第百八十五話 勘十郎廃嫡
勘十郎廃嫡です。
『勘十郎廃嫡』
天文十九年二月七日、新年の祝賀ムードがすっかり抜けていつもの日常に戻ってもう一月が経ちました。そんな尾張に激震が走りました。
半年ほど前に父から「このままでは…」と私に予告はありましたが、とうとう尾張の守護代である父信秀が、私の弟であり嫡男である勘十郎の廃嫡を発表しました。
本当はもっと早くに廃嫡するつもりだった様ですけれど、去年はあれから義元公の来訪があったりと、タイミングが合わず年明けの今になったそうです。
父は〝器用の仁〟と言われる程細やかな気配りをする人なので、影響が最小限になる様に根回ししてこのタイミングを選んだのでしょう。
以前父から廃嫡の話が出た時は、勘十郎の嫡男の坊丸君を嫡男にする事も考えている、と話していましたが、廃嫡した嫡男の子に家を継がせるというのは難しく、結局は我が家の四男、嫡流では次男である喜六が新たに嫡男として指名されました。
喜六は私にも良く懐いている可愛い盛りの男の子で、天文十年生まれで今年数え年で十歳、満年齢だと九歳の、平成の御代なら未だ小学四年生の腕白盛りと言ったところなのだけど、喜六はおっとりとした温厚な性格で、我儘で周りを困らせるというタイプでは全く無く、しかも見た目は色白で華奢で女の子に間違われそうな美少年と言う、正に史実に残っていた描写通り。見てるだけで割と眼福です。
この辺りの美少年ぶりは多分、織田の美形の血筋を色濃く受け継いでいるのだと思う。
母上も美人だしね。
今は熱田の学校に通っていて、学校での受講態度は真面目で勉学の成績はまずまず。しかし父の少年時代の数々の武勇伝を伝え聞くと、この華奢で可愛い喜六が将来父信秀の後継者として戦国武将になるって言うのがちょっと想像がつかない。
だけれど、人を惹きつける何かがあるのか、同級生に人気があって皆から大事にされている感がかなりある。尾張守護代家の御曹司というのはあるのだろうけれど、出自を問わず人気があるところを見ると、これは持って生まれた物なのかもしれない。
史実では、喜六は若くして人生を終えてしまったけれど、今生ではもう一人で出歩くなんて事は無いだろうし、信次こと孫十郎叔父さんは小笠原諸島への船旅が殊の外気に入った様で、尾張周辺からいなくなる可能性が高いから、洲賀才蔵殿も叔父さんと一緒に旅立つ事になりそう。
だから多分〝喜六の不慮の死〟という事件は起こらないと思うのだけれど、もしこのまま予定通り喜六が尾張守護代家を継いだら、信長とはまるで違ったタイプの武将になりそうな気がする。
一方勘十郎は、廃嫡を言い渡されるなど思ってもいなかったのか、父からの使者が申し渡し書を読み上げると、それを奪い取って自ら読むとその場で大声を上げて卒倒し、前後不覚のまま寝込んでしまったらしい。
今は食事も満足に取れない有様で、このまま一気に衰弱してしまう可能性がある、と加藤殿から報告を受けたのだけれど、心が壊れてしまったのかもしれない…。
帰蝶さんと坊丸君は父の下に一先ず預りとなって、既に那古野城から清洲へ移って来ていて、勘十郎も本来なら即日那古野城退去の上そのまま寺へ行くところを、今はとてもそんな事が出来る状態では無い事から、父の恩情なのでしょう、今月中に退去させる事を那古野城の城代に任じられた林佐渡殿に命じたとの事。
そんな勘十郎は、私にはいい思い出の無い弟だけれど、元々は素直で優しい性格の子供が歪んでしまったのは可哀そうだと思う。私の知る史実では折り目正しい真面目な青年として成長していたし、この世界の歴史では、信秀の後を継いだ信勝は少しだけだが、普通に名前が出てくる程度には織田家の当主を務めたのだと思う。
もし数々の悪評があったなら、間違い無く太田殿が色々と書き残したはずだからね…。
もしかすると私が転生したせいで、勘十郎の本来の人生を歪めてしまった可能性は否定できないだけに、弟が廃嫡に至ってしまった事態を他人事とすることは…、私には出来ない。
この先、勘十郎はどうなってしまうのだろう。
本作では喜六こと喜六郎秀孝は弾正忠家の信広、信時、信勝と続く四男、嫡流の嫡男信勝の弟で次男という説を取っています。