第百八十四話 構内線開通
なつさんは一先ず玄庵さんの所に落ち着き、古渡で年初一発目のお披露目が模様されました。
『なつさんその後』
天文十九年一月十五日、なつさんが玄庵さんのところへ行き、数日経ちました。
国境の実家から初めて出て来て、独り暮らしでは無いとはいえ、初対面の男性の家に移り住むという事がなつさんのストレスになるのではないかと少々不安に感じていましたが、杞憂だったようでもうすっかり馴染んでいるようです。
やはり、周囲を気にせずに前世の話をすることが出来る相手が出来たというのは大きかったようで、この巡り合わせに感謝していると話していました。
玄庵さんも、なつさんと打ち解けた所で色々と話をしてみると、見た目はまだ子供ですが、やはり知識と見識はなつさん自身が話していたとおり、玄庵さんもその知見を賞賛する程でした。
知識範囲も広く、また研究職をしていただけあって技術面でも梓さんが褒めていたくらいですから、かなりの物なのでしょうね。
そこで早速、なつさんの意見を取り入れた設計で、新しくなつさん専用の研究用の建物を用意する事にしましたが、なつさんは設備環境や研究用の機材が余りに整っているので驚いていました。
既にガラス窓は勿論の事、各種ガラス器具ばかりか代用ゴム、実験用の様々な器具が梓さんの為に作られてきましたから、私自身梓さんの実験室に来ると、ここだけ違う世界の様な錯覚を受ける程です。
ただ、なつさんの事を転生者以外に話すのは未だ憚られますから、あくまで彼女は〝玄庵さんに見込まれて診療所の方で見習いをする事になった少女〟という事にして、当面はなつさんによって出来上がった成果物は玄庵さんが作らせた物という事にしないとまずいかもしれません。将来的には玄庵さんの優秀な弟子という事で名前も出していけると思うのですが…。
『トロッコ』
佐吉さんが〝そろそろ製鉄にも手を出したい〟と話をして来たのですが、手の届く範囲で比較的採掘が楽な鉱山というと、美濃の不破郡赤坂にある金生山でしょうか。
あそこは後に化石や石灰で有名になる露天堀ができる鉱山ですが、製鉄に利用可能な赤鉄鉱石も露天掘りする事ができる筈です。
実際に、加藤殿に頼んで人をやって赤い石が無いか見てきてもらったのですが、普通に鉄鉱石が露出してたみたいで、すぐにサンプルを持ってきてくれました。
ただ、美濃は同盟国とはいえ斎藤氏の支配する国ですし、大垣の地は一時織田家が支配していましたが、帰蝶さんの輿入れで盟を結んだときに返還していますからね。
山を削らせてくれなんて話を気軽に出来るわけもありません。
では武衛様の治める尾参遠三国内となると、硫砒鉄鉱とか扱いの難しい鉱物であれば、奥三河や北遠江辺りに無くはないのですが、さすがに少々危険で手を出すのが憚られる上に、そもそも鉄を含有しているだけで製鉄に利用することはありません。
となると、やはり斎藤氏に話を通した上で、不破郡を領する不破氏に頼み込むしか無いでしょうね。
当代の不破氏は確か不破河内守光治殿でしたか。
多分、父に頼めば一筆書いてくれそうな気もしますが、この場合、お願いするのは武衛様でしょうか。
今度武衛様に呼ばれた時にでも聞いてみるとしましょう。
ちなみに、普通は私如きが本来守護様に目通りが叶うわけもないのですが、何故か武衛様に気に入られたようで、偶に話し相手に呼ばれることがあるのです。
以前はそれほど多くなかったのですが、私が清洲に移り住んでからは頻度が増えた気がします。
多分、私の家がお隣になったからだと思うのですが、世間の目が怖い此の頃です。
閑話休題、製鉄に向けて佐吉さんがいろいろ準備しているみたいで、今年に入って一発目のお披露目がトロッコでした。
トロッコ自体は、古渡の工房区画に搬送用の構内線を引く為に前から準備していたらしいのですが、試験用の短い路線製作に必要な材料が揃ったので拵えてみたのだとか。
この試作トロッコは構内線を前提に作られたのもあるのか、気動車も含めて前世の遊園地にあったミニ鉄道くらいの大きさで、前世で実際の鉄道を知っている私からすると、可愛らしく感じてしまいます。
今回のお披露目には古渡の工房区画の職人たちばかりか、城の管理を任されている山田殿までが見物に出てきており、そんな皆が見守る中、焼玉エンジンを搭載した気動車が独特のエンジン音を響かせると、おおっと声が上がります。
流石に焼玉エンジンの音で驚く人はもういませんでしたが、やはり初めて見るトロッコが動き出すのを見るのは楽しい様で、こういうのは時代問わずといったところですね。
佐吉さんが出力弁を開くとゆっくりと気動車が動き出します。そして、気動車に接続された貨車がガシャリと音を上げて引っ張られて行きます。
前世では遊園地で見た風景ですが、和服を着た武士や職人たちが見守る中、ミニ列車が走る光景はさながら江戸末期に日本で初めて汽車の模型が走る風景を彷彿とさせます。
試運転を終えて佐吉さんが戻ってくると、運転してみたいと手を上げる人が何人も居て、佐吉さんが運転方法と注意点をレクチャーするとまるで玩具を手に入れた子供の様な表情の男衆が構内鉄道に乗り込み、ワイワイと騒ぎながら乗り心地を楽しんでいました。
この古渡の工房内では、流石に順番を巡り喧嘩する事などは無く、順番に交代している所は大人の分別ですが、男の人達って幾つになってもこういうの好きなのでしょうね。
私の傍らに戻って来た佐吉さんが、〝レールには兎に角鉄が必要で、鉄の入手に手間取った〟と言っていました。
古渡での鉄の需要は増加の一途ですが、それを賄っているのが鈴木党が船を出して博多から仕入れてくる〝舶載鉄〟と呼ばれる外国産の鉄材です。
この時期の日本の鉄は輸入鉄が大部分を占め、国内での製鉄は手間やコストの問題から廃れていたと記憶しています。
鉄鉱石自体は日本国内にもありますから、製鉄施設を作れば当面の需要を満たすだけの鉄を生産することが出来る筈です。
製鉄に必要な燃料は、良質の石炭の確保が今の時点では難しいので、相良油田の石油か、今サンプルを頼んでいるのですが、越後の国新津にある新津油田の〝くそうず〟と呼ばれる石油が使えればと思っています。
この辺りのプラントに関しては私も前世で扱ったことがありますし、なにより佐吉さんが前世で実際に海外向けプラントを手掛けた事がある様なので、佐吉さんに任せておけばきっと大丈夫でしょう。
トロッコのお披露目は好評のうちに終了し、古渡の工房区画の構内で重量物を運ぶのに使われる様です。
今回は気動車と簡単な貨車だけのお披露目でしたが、勿論様々な形状の運搬物に応じた貨車の準備も進めているとの事で、流石佐吉さんは抜かりないですね。
遊園地のミニ列車のサイズですが、十分実用に足るレベルの構内線が引かれました。
勿論、将来的に鉄などを運ぶための鉱山鉄道を開通させるための前準備です。




