第百八十一話 新たな転生者
加藤さんが見つけて来た転生者が古渡に到着しました。
天文十九年一月十日、年が明けて十日も経つと正月気分もすっかり抜けて普段の日常が戻ってきました。
とはいえ父には未だ年賀の客が訪れているとかで、相変わらず年明け早々から忙しそうです。
年が明けてから丹羽万千代君が元服を果し、前世の史実通り丹羽五郎長秀となった様です。前世の史実だと今年信長の近習になったと言われて居ましたが、信長の居ないこの世界では、嫡男である私の弟信勝の近習になる事も無く、万千代君の父上と同じく守護様に仕える事になった様ですね。
彼は寺での手習いの頃からその優秀さは折り紙付きで、熱田の学校の講師も務めるなど、将来を期待されている存在ですから、守護様の下で活躍するかもしれませんね。
彼の後任の講師は、既に麒麟児と知られている日吉丸君が務めてくれる様です。
今後熱田の学校の講師は、卒業生の中から優秀な人物が元服まで勤め、後に引き継いでいくという形で続いていく事になるでしょう。
さて、今日は例の加藤殿が探して来てくれた、転生者の可能性が高い女の子が古渡の屋敷へやって来る予定です。
可哀想ですが、事情を事前に話すわけにもいかないので、こちらで引き取る理由というのを本人には明かして居ません。
如何に前世の人生経験があったとしても、蔵に押し込められている所にいきなり親から守護代家に行ってくれと言われたので、きっと驚かせてしまったでしょうね。
自室で書き物をしていると、千代女さんが呼びに来ました。
「姫様、参りました」
「はい、わかりました」
千代女さんと共に、女の子が待っている部屋へと向かいます。
実はその部屋は、予めこの部屋へ通すように、と私が頼んでいた部屋だったりします。
古渡の屋敷には、今はもう特別用事が無い限り父が訪れる事はありませんし、城代を務める平手殿は自分の屋敷に住んでいますので、ほぼ私が一人で使っている様な物です。
とはいえ、私と千代女さんやお供の小次郎さん達しか居ないという事は勿論なく、広い屋敷ですから屋敷を維持管理するための人達が居ますし、人が訪れる事もあります。
私はこの屋敷を趣味や仕事場として使っていますが、今実際に住んでいるのは清洲の屋敷ですから、別宅の様なものでしょうか。
その為、以前は洋間なんてありませんでしたが、今は洋間があったりします。
さて。
女の子が待っている部屋へと入ると、小袖姿の女の子が平伏して待っていました。
女の子の小袖はこの日の為に新調した物かとても綺麗で仕立ても良く、乙名である実家の暮らし向きは悪くない様です。或いは、初めての奉公先に向かう娘に無理をしてでも恥ずかしくない格好をさせた親心の表れなのかも…。
いずれにせよ、親御さんは致し方なく押し込めたものの、娘を大事に思っている事は間違いないでしょう。
緊張しているのか小刻みに震えながら平伏している女の子に声を掛けます。
「足労、大儀でした。
お顔を上げてください」
私の言葉に、女の子はおっかなびっくりという様子で身体を起こします。
ですが、私を見るなり驚いた表情を一瞬浮かべ、また平伏してしまいます。
そんなに怖がらなくても良いのに…。
そんな風に怯えられると、軽く傷つきます。
「ここは、少し寒いですね。
奥の部屋を暖めていますから、そちらの部屋に行きましょう」
実際この部屋は日はあたりますが、ストーブや火鉢で暖かくしている訳でも無いので少々肌寒く感じます。
女の子を促すと、奥の部屋へと移動します。
ちなみに、移動先は洋間です。
この部屋にはテーブルや椅子があり、予めストーブで部屋を暖めているので、中に入るとほっこりと気持ちが解れます。
私は椅子の一つに座ると、女の子に椅子を勧めます。
「そちらへどうぞ」
女の子は、この部屋に入ると驚いた表情でキョロキョロと部屋の中を見回していましたが、私が椅子を勧めると、その椅子を一瞬ジッと見ていましたが、慣れた様子で椅子を引いて座ります。
椅子に座れば平伏は出来ませんから、女の子の顔が良く見えます。
歳の頃は十三歳と聞いていますが、年齢どおり中学生位の女の子に見えますね。
でも、瞳は知性を宿すとも言いますが、顔つきにはまだ子供らしいあどけなさが残りますが、その瞳のせいかどことなく大人びた印象をうけます。
洋間というのは、この時代の日本では恐らく新しもの好きの商人の屋敷にあるかもしれませんが、非常に珍しい物だと思います。ですが、前世で歴史を真面目に習っていれば、この時代にそう云うものがあったとしても、驚きはするでしょうが有り得ないものが有るとまではいかないでしょう。
ですが、恐らく初めて見た筈の椅子に、手慣れた感じで座った先ほどの様子を見れば、転生者であるというのはほぼ間違いないでしょう。
しかし今日は、幾ら子供とはいえ呼んだばかりの者を一人残して人払い、という事も出来ませんし、千代女さんや小次郎殿が居ますから、いきなり英語で話しかけるというのは憚られます。
そこで、今日は用意しておいた物があります。
ですがまずは、自己紹介からですね。
「私はこの尾張の守護代を務める、織田備後守信秀の娘で吉と言います。
あなたのお名前は?」
女の子は緊張した面持ちで私をジッと見つめると、おずおずと名乗りました。
「私は…。
私は、美濃との国境にある河田村に住む乙名の娘、なつと申します」
大人びた、しっかりした受け答えですね。
「なつさんと言うのですね、おなつさんと呼べばいいですか?」
「なつとお呼びください…」
転生者だと、名前に〝お〟を付けるのは違和感があるかもしれませんね。
私は洋間に置いておいた文箱から二つ折りの紙を取り出すと、それをなつさんに差し出します。
なつさんは受け取りはしましたが、私の意図がわからず、困惑した表情で私の方を見ます。
「開いて御覧なさい」
なつさんは言われるがままに紙を開いてみます。
すると、中身を一目見て目を見開いて驚くと、咄嗟に私の方に視線を向けます。
「何と書かれてありましたか?」
転生者でなければ読めないでしょう。
ですが、先ほどの反応は意味が分かった表情です。
なつさんは、当惑した表情で暫く私を見つめます。
私が頷いて見せると、おずおずと答えました。
「ようこそ、歓迎します…」
そう、紙には英語で、『ようこそ、歓迎します』と書かれてあったのです。
これで、なつさんが転生者だという事は確定です。
「今日は色々と疲れたでしょう。
宿所に案内させますから、今日はもうお休みなさい。
また明日、ゆっくり話をしましょう」
「わ、わかりました…」
私は、屋敷の者になつさんを部屋に案内させます。
今日はこれ以上の話はもういいでしょう。
性格まではわかりませんでしたが、悪い子では無いと思います。
明日、佐吉さん宅に連れて行って、そこでゆっくり話をするとしましょう。
「ふふっ、楽しみですね」
「姫様、良い事でもありましたか?」
部屋から笑顔で出て来た私に、千代女さんが声を掛けてきます。
「ええ、なかなか良い子の様です。
千代女さん、お菓子でも頂きましょうか」
「はいっ、お茶の準備をしますね」
千代女さんはお菓子と聞くと、表情を輝かせてお茶の準備に駆けていきました。
転生者でほぼ間違いないという事がわかりました。