第百七十七話 年の瀬
これで天文十八年も終わりです。
『古渡の年の瀬』
天文十八年も今日で終わりです。
去年は正に激動でしたが、今年も色々とありましたね。
大きな戦は伊勢であっただけでしたが、私個人としては色々ありました。
堺にやった佐吉さんが暗殺されかけたというのが一番私の中では大きな出来事でしたが、それが弟の暗躍の結果だったと知ったときは、何ともやるせない気持ちになりました。
最早私達姉弟は、相容れないのでしょうか…。
他には、私の大好きな船である『カティーサーク』改め『尾張丸』が完成しました。
『尾張丸』はその後二隻目が完成し、あと二隻建造される予定です。
その『尾張丸』の探索の航海で新しく発見された、前世で言う小笠原諸島の島々の名前はまだ決まっていないようですが、来春には入植者の第一陣が向かう予定です。
全く知られて居ない新たな島を得たというのは、案外珍しい事なのかもしれません。
定期便が出るまでになれば、私も一度は南の島に行ってみたいものですね。
そう言えば、駿河から尾張へ雪斎和尚が二年続けて訪ねて来たのには驚きましたが、義元公と龍王丸様迄が訪ねて来たのにはもっと驚きました。
でもその折に、駿河で順調に農業改革が進んでいる話を聞かされ、流石は義元公だと感心しました。
そして、甲斐信濃から移り住んできた人たちも尾張に馴染んで来た様ですし、これで信濃と、何より甲斐の国内が安定するのではないでしょうか。
今年も一人部屋で一年を振り返っていると、障子の向こうから声がします。
「姫様…」
「お入りなさい」
加藤殿がやって来たようですね。
「はっ」
スッと静かに障子が開くと、素襖を着た加藤殿が入ってきます。
普段は武芸者の様な恰好をしている事が多いのですが、きっちりと正装すると武士らしい佇まいというか普段とは違った雰囲気です。
「今年もよく働いてくれました。嬉しく思います」
「勿体無いお言葉にござりまする」
「伊勢攻めの際の調略、加藤殿のお陰で随分やり易かったと真田殿が感謝していた、と父上が話していました。
服部殿だけではあれほどの国人を短期間で調略するのは難しかったろう、とも」
「姫様のご指示に従い繋ぎを作っておりましたので。
それを真田殿に引き継いだだけにござる」
いつもながら事も無げに言ってのけますが、その繋ぎを作る事が簡単では無いでしょうに…。思わず苦笑いしそうになります。
「それで…、その後那古野の方に動きはありませんか?」
「那古野はそれがしの手の者の他、備後守様の手の者も動いておる由にござります」
「父上の?」
「はっ。
那古野に気取られぬよう、入り込んで監視しておるようです。
それがしの手の者の存在には、未だ那古野も備後守様の手の者も気づいておらぬ様子故、引き続き動きを見張らせておりまする」
「そうでしたか。
柴田殿から勘十郎や帰蝶姫の様子を定期的に知らせて貰っていますが、勘十郎は塞ぎこみがちの様子。もしかすると、父上からの叱責に堪えかねているのかも」
「手の者からの報告でも、勘十郎様はあまり政務に係らずに部屋に閉じこもっている事が多い、との事にござります」
「引き続き監視の方、お願いします」
「ははっ」
加藤殿には、他にも玄庵殿の近江行きの影守についてもらったりと、色々と働いてもらっています。
玄庵殿の近江行きに関しては流石定頼公というか、近江に入ると既に迎えが来ており、道中も抜かりなく警護されていたそうで、佐吉さんの事もあり心配していたのですが、杞憂におわりました。
玄庵殿は定頼公の往診を行い、食事指導などもして無事尾張に戻ってきました。
流石に定頼公は転生者だけあって、前世でも当然医師に掛かったことがあったので話が楽だった、と玄庵殿は言っていましたね。
「ところで、姫様」
「はい」
「前に姫様が、それがしにお命じになりましたお探しの条件に合う者を、ようやっと見つけました」
私は最初加藤殿の言葉が理解できなかったのですが、直ぐに思い出しました。
以前とりあえず探してみて欲しいと頼んでは見たけれど、その後報告も無く、やはり中々に難しいだろうし、見つかればいい程度に半ばあきらめていたのですが…。
流石加藤殿、本当に見つけてしまうとは。
「それは…」
「最初それがしには、姫様が仰られたことが良く理解できておらなんだのか、条件に合いそうな者の噂を聞いて訪ねていっても徒労に終わる事が多かったのでござるが、実際に条件に合う者を見つけたところでようやっと何か掴めたように思いまする」
加藤殿の言葉に、私の説明の仕方が悪かったのか、と思わず苦笑いを浮かべてしまいます。
「苦労を掛けました…」
「いえ、姫様の為なれば」
加藤殿はそういうと話を続けます。
「恐らく、姫様が探しておられる者に間違い無いと思われまする。
其の者は、美濃との国境に位置する村の、乙名の娘にござる」
「乙名の娘ですか…」
「はっ。
その娘は、今は土蔵に押し込めになっておりまする。
村人などに聞いた話にござるが、その娘は生まれた頃より暫くは少しも笑わぬ表情の薄い子にござったそうな。
それが四歳になろうかという頃、突然人が変わったかのように表情豊かに良く喋る子になったとか。
娘の生育を心配しておった乙名は治ったと喜んで居ったのですが、その後娘は成長するに従い、徐々に習っても居らぬのに難しき言葉を話すようになり、人の知らぬ事を話すようになり、まるで狐に憑かれたかの様になっていったそうにござる。
そして、その内にそんな娘の様に恐れを抱いた乙名は、娘を土蔵に押し込んだそうにござる。
娘は出してくれと暫くは懇願しておった様ですが、今では諦めたのか大人しくなり、日々窓の外を眺めて暮らしておるとか」
もろ、ソレですね…。
「それで、その娘はどうなるのですか?」
「乙名に話を聞いたところ、このまま土蔵に押し込んだままでは余りにも不憫故近く寺に出す、とそう言っておりました」
やはり、そうなりますか。
でも、まだ温情的な親で良かったのかもしれません。
「その娘は幾つになるのですか?」
「確か、十二、或いは十三と聞いておりまする」
十二、三歳ならば…。
「ではその娘、一度古渡に連れてくる事は出来ませんか。
会ってみて私が探していた者であれば、侍女として召し抱えます」
「ははっ。
では、早速乙名に話を付けて参りまする」
「頼みましたよ」
「はっ」
「今年も大儀でした。
こちらの方をお持ちなさい。
来年はまた動きがあるかもしれません。
今年の六月ごろ、再び大樹が都から近江坂本へと落ちのびられました。
尾張は近江の六角家と、まだ手紙の上だけですが、盟を結び道が繋がりました。
其れ故我等は、これからは近江や都の出来事から無関係では居られないかもしれません」
加藤殿は私が指し示した木箱を持ち上げると、また私の方を見ます。
「良き働きには見合う報酬。
そして、良き仕事には然るべきお金が掛かる物です。
伊勢の調略でもそれなりに掛った筈ですよね」
「はっ。
では、有難く…。
来年も見合うだけの良き働きが出来る様、励みまする」
そういうと平伏し帰っていきました。
私は、今年も随分と稼いでしまったのですが、使い道がまるでないのです。
これで第五章も終わり。前の四章に比べると随分短くなりました。
ちょっと話を端折り過ぎた感があるので、第六章はもうちょっと話を入れる予定です。