第百七十六話 忘年会
今年も吉姫は領地で忘年会です。
『忘年会』
毎年の恒例となりましたが、今年天文十八年の年末も、忘年会で年納めです。
忘年会が〝年忘れ〟として庶民にまで普及したのは江戸時代になってかららしく、この時代は貴族などやんごとなき人が集まり夜を通して和歌を詠み合うという静かな会だった、とか前世で物の本で読んだことがありますね。
とはいえ、今の私には公家に知り合いは居ませんから、実際にそうなのかはわかりません。
父などは身内で集まって、当年の出来事などを語り合って酒盛りをしていたと思います。
私の領地の村でも、私が毎年師走に宴を開くまではそういった催しは無かったそうですが、今ではすっかり年末の村人の楽しみになっている様です。
宴の準備が既に整った村の広場に入ると、よそ行きの服を着て身綺麗にした村人たちが笑顔で迎えてくれました。
私がこの村に通い始めた頃の村人は着の身着のままといった風で、継ぎ接ぎだらけの服を大事に着ていたのですが、今では現金収入もそれなりにあるので毎年服を新調する事も出来ますから、晴れの日には晴れの服を着ることが出来るようになりました。
また、石鹸や風呂などの普及で衛生状態が良くなったのと栄養状態の改善のお陰で、みんな年齢相応に見えるようになったのも大きいです。
この時代、四十代にもなると普通に亡くなる方が居て、平均寿命は五十前後だと聞きます。
農村部で耕作地に恵まれない貧困地域だと、四十を迎える前に亡くなってしまう人が珍しく無いのだとか。
流石に耕作地に恵まれた尾張でそれは無いのですが、史実の父信秀が四十前半で亡くなった事からもわかる様に、重い流行り病で無くとも、ちょっとした病気や怪我で亡くなる事も多いのです。
この時代の医療水準は、平成の御代の様に多くの命を助けられる水準では全く無いですから。
とはいえここ尾張は特別で、特に玄庵殿のお陰で父は史実よりは確実に長生きしそうです。
それは兎も角この時代、平均年齢が低いので私の村も皆若いのです。
言ってしまえば農村には高齢者が殆どいません。
勿論、居ないという訳では無いと思います。
この村で最年長だという乙名さん。私が初めて乙名さんを見た時、五十代位の人かな、と思いました。
でも初めて会ったときの乙名さんは、実は未だ三十代後半だったのです…。
村の人達も三十代、四十代位の人が多いのかな、と思ったのです。
でも実際は、みんな二十代とかだったわけなのですが。
今はみんな年齢相応に見えますから、みんな若いのが分るんですけどね。
今後、栄養状態が維持できて医療も発達すれば平均寿命は伸びていくと思いますから、当たり前にどこの村でも高齢者が見られるようになるかもしれません。
村の広場の中央に着いた時、私が歩きながらこんなことを考えているなんて、村の人は誰一人思いもよらないでしょう、と考えたら思わず声に出して笑ってしまいました。
「ふふっ」
「姫様、どうかされましたか?」
「いえ、皆と今年もここで集まることが出来て嬉しくてつい」
「ははは、そうでございましたか。
では、姫様。
村人にお声がけください」
「皆の者、今年もまた皆と宴を催す事が出来て嬉しく思います。
今年も皆が大いに励んでくれたお陰で、皆が暖かく年を越す事が出来るようになりました。
これからも皆で励めばより豊かになる事でしょう」
領民たちの表情から笑顔が零れ口々に私にお礼を言ってくれます。
「姫様有難うございます!」
「姫様のお陰です!」
ですが、私がした事と言えばお金を少しばかり出して物の手配をしただけなので、なんだか心苦しいですね…。
「では、今日も古渡から良き酒や食材を持ってきましたから、皆で楽しむとしましょう」
「「「おお!」」」
私の音頭でめいめいがそれぞれの場所へと散っていきます。
「姫様、ではこちらへどうぞ」
「はい」
私も乙名さんに案内されて、設えられた席へと向かいます。
私が案内されたのは上座的な場所なのでしょうか、広場より少し奥まったところに私達の為の場所が用意されて居ています。
そこの一番奥の、所謂お誕生日席な所が私に用意された席でした。
私がそこに案内されるままに座ると、村の女衆が料理を運んできます。
古渡から持ち込まれた食材などは先に村の人に渡していますから、既に料理になっている筈です。
この時代は各個人それぞれに膳があって、旅館の宴会に似ていますね。
膳が行き渡ったところで宴の開始です。
今日は尾張で作られている清酒や焼酎が振舞われていますが、そう言えばこの村に持参するお土産というと、皆に喜ばれるからと云うのも有るのですが、お酒が多かった気がしますね。
宴が始まると料理に舌鼓です。
今日出された料理は尾頭付きの焼き魚や海鮮の具がたっぷりの汁物の他、村や山で収穫した根菜の煮物や御浸しなどの野菜類もあります。更には村で採れた卵で作った卵料理など中々豪勢ですね。
流石、晴れの日の膳に相応しい料理だと思います。
料理を食べていたら、武田次郎殿が話しかけてきます。
「吉殿、去年の年末の料理も豪華でござったが今年の料理も中々に豪華でござるな」
「はい、今年の料理は去年よりも更に豪華だと思います。
元々海の幸、山の幸に恵まれた村でしたが、ここ数年で作付けが更に増えていたりと豊かになりましたから」
「吉殿が進めていた〝農地改革〟でござるな」
「そうですね、全てやり切るのには何年か掛かりましたが、以前の田畑に比べれば格段に農作業がしやすくなり、更には純粋に田畑の面積が広くなっていますから。
流石に此れがどこででも出来るとは思いませんが、この村で上手くいったのですから、尾張だけでなく他の国でも農地改革が進むかと思います。
既にかなり進んでいる国もあると聞きますし」
「それは三河でござるな。
噂には伝え聞きますが、三河の守護代が居城にしておる安祥城の周辺には、綺麗に区切られた広大な田畑が広がっているとか」
「ええ、そうですね。
元々あの辺りは沼地が多かったのですが、田畑へと整地したと聞きました」
「甲斐から移り住んで来た者が話しておりましたが、これが出来るのは、これ程の平地がある尾張や三河だからこそでござろうか」
「かもしれません…。
ですがこれからは甲斐は甲斐で、甲斐特産となる産物が出来てくると思いますよ。
恐らく数年内に、甲斐で採れた葡萄を使った新しい酒造りが始まるでしょうし」
「酒にござるか…」
「葡萄酒という、今の日ノ本では馴染みのないお酒ですが、異国では良く飲まれているお酒です」
「ほう、それは楽しみにござるな」
「そうですね。次郎殿が甲斐に戻られる頃には、上手くすれば飲めるかもしれませんね。
とはいえ、葡萄栽培をはじめたばかりなので、すぐに美味しいお酒が飲めるとは限りませんが…」
「なれば、その葡萄酒を日ノ本でも名の知れた酒に育て上げるのも、それがしが国元に戻った後の仕事にござるな」
「次郎殿が尽力すれば美味しいお酒が飲めるようになるかもしれませんね」
「良き葡萄酒が出来たら吉殿にも送ります故、是非飲んでみてくだされ」
「はい。楽しみにしておりますよ」
次郎殿は力強く頷きました。
最近、悩みがちな様子でしたが、少し気持ちが晴れた様で良かったです。
その後、私達は次々と運び込まれる料理や珍味を楽しみながら、今年の出来事や世間話など、色々なことを話したりと楽しく過しました。
千代女さんは山育ちだからかこの村で催す宴が非常に楽しみの様で、ここに来るたびに海鮮料理を美味しそうに食べています。
やはり、人は本当に美味しい物を食べる時は寡黙になるのでしょうか。
普段は良く喋るのに、今はひたすら食べる事に集中している千代女さんを見ていて、ふとそんな事を思い出しました。
こうして、楽しい宴の刻は過ぎて行ったのでした。
勿論私達は、暗くなる前には古渡を経て清洲に戻りましたよ。
千代女さんもまだまだ色気より食い気なのです。