第百七十五話 年の瀬の領地訪問
恒例となっている年の瀬の領地訪問です。
『年の瀬の領地訪問』
天文十八年も、もうあと少しで終わりです。
恒例行事になっている年末の忘年会に参加する為に、今年も領地へとやって来ました。
同行者は、警護役の滝川殿こと義頼殿、それに小次郎殿、先頃無事に龍王丸様を駿河に送り出して大任を終えたばかりの藤三郎殿、そして私が出かける時にちょくちょく同行している次郎殿こと武田信繁殿。そう言えば、信繁殿というと知られた通称は〝典厩〟なのですが、典厩では無く次郎と呼んでほしい、と言われたのでそう呼んでいるのですが、どちらが礼儀的には正しいのでしょうね…。
それに、いつもの弥之助に千代女さん、古渡の警護の武士たちやお供の皆さんなど総勢四十名程。
今日は宴を開くという事もあり、食材なども運ばせています。
一足先に弥之助が先ぶれに行ったこともあり、私達が到着すると乙名さんや村の人たちが、村の入り口で待っていました。
「姫様、お寒い中よくぞお越しくださいました。
村の者も今日のこの日を心待ちにして居りました。
準備は粗方整っておりまする」
「出迎え大儀です。
皆も息災そうで何よりです」
「これも姫様のお陰にございます。
屋敷を暖めて居りますので、ささ、先ずはこちらへ」
乙名さんの先導で、私達は乙名さんの屋敷へと向かいます。
警護の武士達やお供の皆さんは、それぞれの役割に応じてそれぞれの場所へと散っていきます。
そうそうこの冬に、外で待機する事も多い古渡の警護の武士達に、試しに作った懐炉を支給してみました。
この時代にも焼いた石を燃えにくい布で包んで懐へ入れた温石という物があるのですが、私が新たに作ってみた懐炉は、古渡の製材所で大量に出るおがくずを砕いて固めて作ったオガライトを燃料として真鍮製の容器の中でゆっくり燃やして暖を取る、という物です。
火傷しない様に真鍮製容器が二重構造になって居たりと一工夫された代物なので、あまり沢山は作っていないのですが、試しに使って貰った人にはなかなか好評でした。
温石の場合は、当たり前ですが只の温めた石ですから、時間が経って冷めてしまえばそれきりで、しかもそれ程長時間暖かいと言う物でも無い様です。だから予備の燃料さえ持って居れば、出先でも簡単に燃料の入れ替えが出来てずっと温かさを保っている懐炉は有難い様ですね。
流石にホッカイロ的な物は梓さん曰く、原理は分かるが、あれの中身は各社秘伝のレシピらしくて、作るとしても開発にかなり時間が掛かるだろう、と言っていました。
この時代、大量生産大量消費時代でもありませんから、使い捨てカイロはあれば便利ですが、無理してまで作る必要も無いでしょう。
乙名さんの屋敷の客間へと案内されると、部屋は既に暖かくて、正にストーブ様様です。
部屋で暖まっていると、乙名さんの家の家人がお茶セットを持って来てくれました。
それを千代女さんが受け取ると、お茶を入れてくれます。
お茶は柿の葉茶ですが、梓さんが持ち込んだ柿の葉茶がすっかり尾張に定着してしまいましたね。
以前は白湯が出されるのが普通だったのですが…。
家人と入れ替わる様に、乙名さんが客間へとやって来ます。
「姫様、ただ今準備をしておりますので、今しばらくお待ちください」
「はい、分かりました。
ところでストーブは、村中に行き渡りましたか?」
「お陰様で、皆の家に行き渡らせることが出来ました。
今年は皆暖かく冬を過ごしております」
「布団も行き渡りましたし、これでこの村で冬を越せない人はもう居なくなるのではないでしょうか」
「それはもう。
今年は寒さで調子を悪くするものも殆ど出ておりません。
皆元気に春を迎えられる事でしょう」
私はそれを聞き、笑みを浮かべて頷きます。
領民たちとの約束を、これで一先ず果たせたでしょうか。
「竹炭の生産の方も順調の様ですね」
「はい、近隣に大きな竹林があった事も幸いしました。
村で使う分には問題なく」
「いずれ余れば、外に売るのも良いと思います。
しかし、竹林は全て使わずに或る程度維持しておいた方が良いと思いますから、気を付けてください」
「はい。竹林に詳しい者も居りますので、ご安心ください」
「竹林に詳しい人も居たのですね。それは心強いです。
この秋の収穫で、以前から進めていた農地整備が一通り終わったと思いますが、領民から何か不満は出ていませんか?」
「農地整備が済んだ田畑は、以前のものよりも遥かに耕作がしやすくなり、生産高も上がっております。
最初の頃は、姫様は面倒な事を仰る、とこぼしておった者も居りましたが、結果を見れば違いは一目で判りますから、みな自分の順番が来るのを心待ちにして居りました。
結局、姫様が以前作られた良き畑との替地によって農地整備を進めたのですから、以前の自分の田畑より良い田畑と変えて頂いて不満など出ようはずもありませんよ。
寧ろ我等は、姫様はそれで大丈夫なのだろうか、と心配しておったくらいで…」
「うふふ、そうでしたか。
それならばいいのです。
皆が広い田畑を扱えるようになって生産高が増えれば、その分納められる産物や税も増えるのですから、私に損はありませんので安心してください」
「はは。理屈ではわかっておるのですが、自分の田畑を新しく整備された良き田畑と変えて頂くなどという事、普通はございませんので」
「でも、これでやっとこの村でやりたかったことが一通り終わりました」
「はい。最初、姫様が語られた話。
その時は夢物語の様に思えましたが、夢物語どころか想像以上の事が現実のものとなりました。
いつか覚めてしまう夢なのではないかと、心配になる程にございます」
「ふふ。皆の励みがあってこそです」
「これからも我等は益々励みまする。
さて、私も準備の方に顔を出してまいります」
「はい」
乙名さんが戻って行き、私達は準備が出来るまで待つことになりました。
折角なので、雑談でもしましょうか。
とはいえ、私が話しかけなければ、皆から話しかけてくれることはあまりないのですが…。
「藤三郎殿、龍王丸様はその後息災ですか?」
「はい、無事駿府に戻られ、尾張で学んだ事を活かすべく日々励んでいる、との御手紙を頂きました。
また手紙には、その内にまた尾張を訪ねたい、とも記されておりましたよ」
「そうでしたか。それは良かったです。
次郎殿は、尾張に来て二度目の冬になりましたが、ご家族は息災ですか?」
次郎殿は私が話しかけると少し驚いた風な表情を浮かべましたが、直ぐに微笑みます。
「はい、おかげさまで。
清洲の方々にも良くして頂いております故、側のさちも子も、尾張で息災に暮らしておりまする。
今年の夏に甲斐で生まれた嫡男も順調に育っているとの由、何時かお目に掛ける日もござりましょう」
「それはそれは。
ふみ殿に出産のお祝いを贈らせてもらいましたが、御子共々その後息災なのか気になって居ました」
「御気遣い忝く。
お祝いの品、どれも心温まる品々で、ふみも喜んでおりました」
「それは良かったです。
お会いできるのを楽しみにしていますよ」
「はい」
お供の人達と雑談を交わしていると、乙名さんが呼びに来てくれました。
「姫様、準備が整いました」
「はい。
では、向かいましょうか」
乙名さんに先導されて、いつも宴などに使っている村の中心の広場へと向かいます。
既に村の衆は皆そこに集っていて、鍋や料理などの準備も整っているのが見えます。
また今年も、新鮮な海鮮に舌鼓を打てそうですね。
吉姫の領地運営も一区切りついたようです。