表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第五章 天文十八年 (天文十八年1549)
257/290

第百七十一話 秋の栗

秋というと収穫ですね。





『マロングラッセ』



天文十八年十一月、平成の感覚だとまだ秋ですが、すっかり冬という位冷え込んできました。


そんな折に、信濃の国人である高梨政頼殿の子である秀政殿が清洲を訪ねてきました。

高梨殿というと先の甲斐信濃攻めで村上氏を降伏させるのに一役買った国人ですね。


実は信濃で整備中だった越後迄の街道が一先ず完成して多くの商人が行き来する様になったので、商圏で一番の経済大国となっている尾張へ挨拶方々領地の産物のサンプルを持参したとの事ですね。


この時代は行商人が本拠と大きな都市を行き来しながら、途中の地域の産物も商いしているのですが、それとは別に例えば津島等の大きな商業都市の豪商が特定の産物に関して買い付けに行く場合があります。


やはり確実に売れる商品などは自前で買い付けに行った方が、中間業者の手数料が乗らない分安く手に入りますからね。


高梨殿の領地では農作物が主な産物だそうですが、特に栗が名産品との事です。


つまり、その名物の栗を売り込みに来た、という事ですね。


栗自体、尾張でも収穫できますからそれ程希少性がある訳ではありません。ですが、栗にも品種がありますから、良い栗であれば需要は勿論あると思います。


何しろ尾張はすっかり豊かになり、甘味なども庶民が普通に買えるようになりましたから。



さて栗ですが、栗というと秋の風物詩の一つですよね。


高梨殿の領地というと長野県の北の方。

私の記憶が正しければ、小布施栗の産地でしょうか。

既にこの時代には栗を積極的に生産していた筈です。


そんな名物の栗を、父は高梨殿から沢山貰ったそうで、清洲の屋敷にも籠一杯の栗が持ち込まれました。


見てみると確かに立派な栗で尾張の栗だとここまで見事なのは見た事がありません。

栗というと丹波栗が有名ですが、この栗も中々の物ですね。



一般的には栗は焼いたり外の殻を剥いて煮て食べたりという感じですが、栗餡なんてのも既にある事はあります。


しかし、栗を美味しく楽しむお菓子というのはまだ見た事はありません。


そこで、栗を使ったちょっと贅沢な簡単お菓子を作る事にしました。



用意するのは圧力鍋、蒸し器、麦芽糖、はちみつ、みりん。そして栗です。


栗の皮を人海戦術でせっせと剥いてしまいます。

渋皮はこの時点ではそのままです。


その栗を、蒸し器をセットした圧力鍋に投入し、十分ほど蒸します。


蒸しあがったら水に浸して熱をとると、渋皮を剥きます。


その後、鍋に先ほどの栗が浸るくらいの水を投入、ここに麦芽糖、はちみつ、みりんを投入し沸騰させます。


沸騰したら落とし蓋をし、二十分ほど弱火でコトコト煮込みます。


煮込み終わればそのまま冷ませば出来上がりです。


この時代風に言うと栗の甘露煮、平成風に言うと和風マロングラッセです。


早速料理人と二人で試食です。



ンー、甘くて美味しい!

ホッコリと軟らかく、それでいて栗の触感がしっかりと残って栗の美味しさを楽しめます。

口が久しぶりの美味しさに自然とほころび、ほっぺが落ちるとはこの事でしょうか。


栗が良いものだったというのも大きいのでしょうね。



早速、手伝ってくれた屋敷の女衆は勿論、母や弟妹たちにも振舞いました。


勿論、父にも晩御飯の時に食べて貰いました。



父を含め食べて貰った人には大変好評で、父からは、どこかで売り出せばどうだ、という話になりました。


あとで甘味処のご主人に相談してみましょうか。





『尾張丸の帰還』



尾張丸が蟹江を出航して一月と少し経った頃、無事に船が戻ってきました。


なんとか無事に外洋での遠距離航海が出来、小笠原諸島の発見も出来たとの事です。

幸い、危惧していたヨーロッパの船との遭遇は避けられたようですね。


一番大きな島の砂浜に上陸を果たし、私達が上陸したという証拠の碑文を設置したそうです。


上陸した砂浜を拠点に内陸部も探索してきたそうですが人の気配は無く、恐らく無人島だろうとの事。


ちなみに、何故島がある事を知っていたかは、漢書に書いてあったという事にしています。この時代の日本は漢書に対するリスペクトがすごくて、漢書に載っていたと言えば大体通用するのが楽でいいですね。


小笠原諸島から大きなヤドカリや珍しい草花を持ち帰って来ましたが、残念ながらヤドカリは途中で死んでしまい、草花もすっかり萎れてしまっていました。


でも、死んでいてもヤドカリの大きさはわかりますし、草花も尾張では見た事も無い品種でした。


同行した鈴木党の人達から聞いた話だと、海が兎に角きれいで温かい島だったそうです。


今回の航海は、島々の存在の有無の確認が主任務だったので、無事に任務を果たした事になりますね。


ただ戻れなくなることを危惧して、あまり広い海域を探索しなかったそうなので、残念ながら今回硫黄島は見つからなかったそうです。


それでも、今回新しい島々を発見した事から祝賀式典が催される事になり、そこで探索団長の孫三郎叔父上始め参加者全員に対し守護様直々にお褒めの言葉を頂けるとの事で、併せて宴も催されるとか。


そして、その式典になぜか私も呼ばれているそうです…。

あまり目立ちたくないのですが。



今世の小笠原諸島にはまだ正式な名前が付けられていないので、今は仮に〝南の島〟とよばれて居ますが、後で正式に名前を付ける様です。

どんな名前になるのでしょうね。


そして現在尾張では小笠原諸島に入植する志願者を募っていて、次の航海の時には入植の第一陣が上陸する運びになるようです。

前世で見た様な南の海特有の綺麗なビーチを今世でも見る事は出来るのでしょうか。





尾張丸は無事に任務を終えて帰還しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 枯れちゃいましたかー。 ガラスもありますし、かつて大英帝国が世界中から生きたまま植物を 持ち帰った秘訣、「ウォードの箱」を作っておくべきでしたね。 英国はウォードの箱を使って、世界中から様々…
[一言] 前話でエンジン開発してトラクターが実用化されていたけど、尾張丸改装して外輪船とかの動力付き船舶にしたりせんのだろうか? まあ、まだまだメイン動力にするには問題ありすぎだろうけど、外輪船みたい…
[一言] クリとサツマイモは江戸時代では数少ない甘味でしたからね。 ましてやこの時代だと甘いクリは貴重です。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ