第百六十七話 供応料理
北畠氏と盟を結ぶ時に接待する事になった織田家中です。
『供応料理』
天文十八年八月、伊勢の一件は北畠氏との和議で一先ず解決しました。
北伊勢は、大方の国人衆は武衛様に臣従し、六角氏に近い国人らは以前通り、という勢力地図に塗り替わりました。
尾張より北伊勢を経て近江へと通ずる街道に加え、新たに北畠氏の支配する南伊勢への街道が整備される事になりました。また、律令時代の古道である東海道を復活させる再生事業も随分進みました。
駿河より向こうは北条、そして里見氏の支配する土地ですから、一先ずの終点は駿河になりますが、現状実に往時の四分の三の区間の東海道が再生されたことになるのです。
勿論古道を基幹道路として整備していますが、それと並行して枝道であるローカルな街道の整備も行われて行きますから、商圏はさらに広がり活性化するでしょう。
さて、この度北畠氏との和議が成り、続いて正式に盟を交わす事になったのですが、公家でもある名門大名家の北畠氏を接待するにあたって、何か目玉になる料理は無いか、という相談を父から受けました。
北畠氏のお膝元である伊勢には何しろ伊勢神宮があり、古くから開けた豊かな土地です。そんな地に長く根ざす公家大名家ともなれば雅な都料理を食するのは勿論の事、豊かな伊勢の海の魚介類を使った料理も食べているでしょうし、そして御所の在する地は山間部ですから山の幸の料理もまた然りです。
そうなると出す料理はやはり今の日本には無い、それでいて今の日本でも手に入る調味料を使った料理、という事になるでしょう。
日本というと肉類はあまり食べない印象ですが、意外とそういうことは無く、肉を食べる為の家畜飼育があまり一般的で無かっただけで、実は野生の猪や鹿や雉などが食卓に並びます。
勿論、その量や回数は平成の御代の様な飽食の時代とは比較にもなりませんが。
卵を普及させたお陰で、尾張では鶏肉料理が一般庶民に迄普及し、それが近隣の国にも伝播していったので、尾張周辺では肉料理はそれ程珍しい物では無くなりました。
そこで、豚はありませんから代わりに猪を使った料理を考える事にしました。
私が数ある豚料理の中から選んだのは『豚の角煮』。
醤油ベースの味付けで、脂っこく見えますが、煮豚ですから食べても割とあっさり。
平成の日本でも人気料理でしたから、この時代の人の味覚にも合うのではないかと。
しかし、トロトロに口の中で溶ける角煮を作るには、もう一つ道具が必要です。
そう、文明の利器である圧力鍋が。
圧力鍋の祖は1600年代にフランスで作り出され、後に米国人の発明家が自動密封鍋と言う物を発明するまでは大型の料理施設でした。
しかも、あれは爆弾にも使える危険な代物ですからね。
そこで、日本古来の釜の原理を応用し、鍋蓋の重量と鍋との気密性で圧力を保つ、比較的使いやすい圧力鍋の一種である無水鍋を実現する事にしました。
幸い旋盤が既に動いており、かなりの精度での部品工作が可能になりましたから、きっと良い鍋を作って貰えるでしょう。
早速、古渡に清兵衛さんを訪ねると無水鍋の相談をしました。
実は最近、清兵衛さんは守護様のお声掛りもあり、鎧や刀鍛冶の仕事が多い様で、新規の仕事はあまり頼めていなかったのです。
勿論、お願いすれば作って貰えるのですが、訪ねる度に忙しそうにしているので、ちょっと気が引けてしまって。
そのせいもあってか、新しい仕事というと蒸気機関の改良や馬車の改良など、清兵衛さん自身が進めている仕事以外は今のところ目新しい仕事はありません。
「姫さんから新しい仕事を頂くのは久しぶりですな」
「ええ、工作機械も一先ず一通り揃いましたし、蒸気機関の改良も必要ですからね」
「そうでやすね。蒸気機関の性能は随分良くなりやしたよ。
それにしても、姫様に出会う前は一生野鍛冶として生きていくのだと思っていやした。それが最近は守護様の紹介で武家の方々からの仕事が多くて…。
再び刀鍛冶なんぞやれる事になるとは、思いもしませんでしたぜ」
「元々刀鍛冶だったのですから、再びその腕が揮えてよかったですね。
清兵衛さんに拵えてもらった短刀を引き出物にしていますが、中々好評ですよ」
「そりゃあ良かった。
刀鍛冶冥利に尽きるってもんでさ。
それで姫さん、新しいお仕事というのは…」
「ええ、こちらの方です」
「こりゃあ…、鍋…ですかい」
「ええ、清兵衛さんの技じゃなければ拵えるのは難しいでしょう」
鍋とみて一瞬呆気に取られていた清兵衛さんですが、そういわれると真面目に絵図面の方を見ます。
「ふむ、なるほど。
全て鋳物で拵える鍋と、この鍋と蓋の隙間が肝なんですな」
「ええ、その通り。
この鍋が実現したら煮物がこれまで以上に美味しく柔らかく仕上がります」
「てぇっと、玄米なんかも柔らかく炊き上がるんです?」
「そういう事ですね。
この鍋で作る料理を、今度伊勢からやって来る貴人の接待に供応する予定なのです」
「そりゃあ責任重大だ。
では、早速取り掛からせて頂きやすぜ。
そうですな、五日後位には一先ず形になっていやすかと」
「わかりました。
それでは頼みましたよ」
そして、五日後再び清兵衛さんの元へと訪ねて行きました。
「姫さん、頼まれた品はこれでさ」
清兵衛さんに手渡された鋳物の鍋はズシリと重く、前世でも使ったことがある外国製の鋳物の鍋の様な質感です。
でもこちらの方は、前世の外国製の鍋の様に原色で塗装されている事も無く、鋳物独特の薄く青みがかった黒色をしています。
早速、近くの机に置くと蓋を開けてみます。
蓋の気密性が高いのか、カパッと軽くあくのではなく、一瞬鍋全体の重みが加わった後、スッと開きました。
接合面は見事に旋盤加工され錆止めの表面加工がしてありました。
「如何でやしょう」
「いつもながら素晴らしい出来です。
これならば美味しい料理が作れるでしょう。
この鍋は中々いい鍋ですから、清兵衛さんの家でも試しに使ってみると良いですよ」
「そうさせて頂きやす」
「接待の件が一段落したらこの鍋の追加作製をお願いするかもしれません。
その時はまたお願いしますね」
「わかりやした。
また仰ってください」
こうして無水鍋をゲットした私は、清洲へと戻ると、古渡から我々と一緒に移って来た、いつもの父のお抱えの料理人の元へとやってきます。
「姫様、また何かおつくりになられるので?」
「ええ、猪肉の角煮を作ってみようかと」
「それでしたら、丁度いい猪肉が手に入ったところでございますよ」
「それは好都合です。
材料は、猪肉の一番柔らかく、そして脂ののっているこの部位。
それと、大根、ゆで卵、しょうが、それにねぎです」
「わかりました。早速用意いたします」
「調味料はミリン、醤油、お酒、それにこの前作った水あめはまだ残っていますか」
「はい、まだ残っております」
「なら、それを使います」
「わかりました、用意します」
料理人さんがいそいそと材料を用意してくれます。
準備が整い、私が取り出したのは、清兵衛さん謹製の逸品である愛用の文化包丁。
その使いやすさから、最近は清洲の料理人さんの間にも広まりつつあります。
先ずはしょうがを薄切りに、そして大根を輪切りに更に四等分します。
ねぎは青い部分を薬味として使います。
そして、猪肉は四センチくらいに切ります。
鍋にごま油を引いて猪肉を焼き色がつくまで全面を中火で焼きます。
そして、一度取り出します。
その次に、鍋に水を具材がひたひたするくらい入れ熱します。
良い感じに温まったら、水あめを溶かし込みます。
それに、醤油、お酒を投入し混ぜます。
ここへ、先ほどの大根と猪肉を投入し、最後にねぎを乗せます。
蓋をし中火で煮込み、沸騰してきたら火力を弱め更に半時間煮込みます。
半時間煮込んだ後に、火を止めゆで卵を投入。更に半時間置きます。
時間が経てば完成。
角煮を器に盛り、白ネギの千切りをお好みで。
完成した角煮を料理人さんと一緒に試食会です。
「食欲のそそる美味しそうな香りがしますね」
「ええ、ご飯が進む逸品だと思いますよ」
早速と、箸を投入するとスルりと箸が通り、ホロっと肉が割れます。
口に入れると甘辛い猪肉の味が口全体に広がり、肉の脂が舌の上で溶けていきます。
赤身の部分にもしっかり味が染み通っていて、柔らかくておいしいです。
茹で卵もいい感じに色づきこちらも美味しいです。
最後に、大根。
こちらも良く味が染みていて、しかも柔らかくて簡単に箸で切れます。そして口中に投入すると、舌で簡単に圧し潰せるほどの柔らかさで旨味が染み出します。
こちらも大成功。
料理人さんも太鼓判を押す美味しさでした。
料理人さんに鍋の手入れの仕方などを教えると、次は自分でも作ってみるとの事。
翌日の昼食に、試食として父の食膳に出た猪の角煮は大変好評だったとの事で、無事目玉の一品として今度の北畠氏一行の接待に供応される事になったのです。
後日鍋は幾つか作られ、その内の一つが川田家に贈られました。
子供の為の食事作りに、柔らかく煮炊き出来る無水鍋は重宝する、と大変喜んでもらえました。
豚の角煮を目玉料理に加える事になりました。




