閑話八十五 村上義清 論功行賞
伊勢での戦も終わりです。
天文十八年七月 村上義清
北畠家当主である北畠晴具の捕縛により、北畠の軍勢は本拠地である多気の地へと退いた。
殿より〝晴具と交渉を持つ故結果を待て〟と指示が届いた為、我らは軍勢の内、田畑が気になる伊勢国人らの軍勢を先に解散させ、残った常備軍がその多気の地へ至る峠道の入り口に陣を張り、殿からの下知を待つ事となった。
待つ事十日余り、漸く殿からの下知が届いた。その間北畠の軍勢は打って出る気配が無く、我らは警戒しつつも手負い討ち死にした者の手当や後送を行い、また必要物資のやり取りを容易にする為長島への街道整備を行っていた。
殿の下知は〝手打ちし和議を結んだ故直ちに軍勢を引き上げよ〟との事であった。
儂は下知に従い、直ちに軍勢を纏めると尾張へと帰還した。
それから十日程後、清洲城にて殿より此度の伊勢攻めに関する論功行賞があった。
といっても常備軍には独自の論功行賞の定めがある為、今回清洲城に呼ばれたのは、それぞれ将として参加した我らだけであるが。
「皆の者、此度の伊勢攻め、大儀であったな」
「「「ははっ」」」
「今回の論功行賞の沙汰を申し渡す」
「「「はっ」」」
「先ず、此度一番手柄は真田幸綱とする。
去年より服部左京進と共に任せておった伊勢の調略。
実に見事であった。
更には、北畠氏らの軍勢との合戦でも見事な働きであったと聞く。
よって感状と、銭五百貫を与える」
沙汰を受け、真田殿が平伏する。
「有難く」
織田家の場合、恩賞は土地では無く銭の場合が多いと聞くが本当の様だな。
「次、二番手柄は軍勢を率いた村上義清とする。
儂の望みを良く察し、良く軍を率い戻って来た。
戦でも兵を無駄に損じるを厭い、しかし攻める時は大胆で実に見事な采配であったと聞く。
誠に天晴なり。
よって感状と、ギャマンの茶道具一式を与える」
「はっ、有難く」
平伏し、感謝の言上を述べるがギャマンとは一体何であろうか…。
銭では無く、ギャマン…。
確かに、今や手勢を抱えているわけでもない隠居の身故、銭はそれほど要らぬが…。
「次、三番手柄は服部左京進とする。
真田幸綱を補佐した伊勢の調略、見事であった。
更には、攻めるに難しい水城である楠城を海から攻撃し陥落させる機転、これも見事である。
よって感状と、銭三百貫、更には古渡の名工の手による鉄砲一丁を与えるものとする」
「ははっ、有難く頂戴いたしまする」
服部殿は余程うれしかったのか喜色満面という風であるな。
此度、彼の御仁も見事な働きだった故、当然であろう。
「此度の伊勢攻めに参陣してくれた元甲斐の国人諸君。
それぞれ、見事な働きであったと報告を受けておる。
実に大儀であった。
これからは、元甲斐の国人では無く、尾張の国人、織田家の家臣としてより励んでほしい。
それぞれに感状、それに銭二百貫、更に三百貫の俸禄の加増と致す」
「「「有難く頂戴いたしまする」」」
甲斐出身者は一律の恩賞、というのには驚いたが、常備軍を率いて皆が懸命に戦ってこその勝利であれば、これで良いのかもしれぬな。
「今日は大儀であった。
これからもよろしく頼むぞ」
「「「ははっ」」」
儂は二番手柄であった。
真田殿の長きに渡る伊勢での働きを考えれば、真田殿の一番手柄は当然であろう。
真田殿は調略にて兵を使う事も無く、多くの城を落とした故な。
二番手柄だが、儂は殿に合戦での采配を認めて貰えた事を素直に嬉しく思う。
更には、殿より頂いたギャマンの茶道具一式。
ギャマンとは一体何であろう、と思いながら桐箱を開けてみて驚いたが、透明でキラキラと輝く見事な器を始めとする茶道具一式であった。
この器に、尾張で流行っておる柿の葉茶など様々な茶を淹れれば、それぞれの茶の色を見ながら楽しめるという一品だ。
それにこの透明の器、これはまだ殆ど世に出回っておらぬ貴重な品であろう。
殿の気遣いが感じられ、実に嬉しい褒美であった。
明日からまた殿の相談役の一人として城へ出仕し、またいつ戦があっても良いように常備軍の練兵にも励まねばな。
一部だけでしたが論功行賞を書いてみました。
織田家では既に恩賞に土地では無く銭や物品を与える事で済ませています。
旧武田の家臣たちは替地で土地を与えられ呼ばれたのですが、貫高は兎も角元の領地よりは少なくなっていました。それで、今回は所領を加増しています。
元々渡す予定だった土地を試用期間を経て渡したという感じです。