閑話八十三 織田信秀 楠氏、そして神戸氏
降伏した楠氏と生け捕りされた神戸氏との接見です。
天文十八年六月 織田信秀
四月下旬に伊勢に出兵して早二ヶ月、北伊勢はほぼ勢力下へと収まった。六角氏は吉の見立て通り兵を六角氏に臣従している北伊勢の城へは入れたが、その後動き出す気配はない。
此度、伊勢でどの様に攻めるかについては全て村上殿に任せておるのだが、儂に気兼ねしておるのか楠城攻めも力押しをせず、囲むに留め後詰を誘引して野戦で叩く策を取ったようだ。
しかし、敵の軍勢は楠氏へ救援せず、関氏の亀山城を攻める事で逆に我らを誘引するという策をとり、流石吉が評価するだけあり北畠当主の晴具殿は中々の戦上手と見える。
それに対し、我らは服部左京太夫の発案で海から投石器で楠城を攻撃し、敵の士気を下げ、降伏を迫るという策を取る事になった。
蟹江の造船所で投石器を大型船に搭載すると、水軍衆と船団は楠城へと向かっていった。それにしても吉が作らせたあの蟹江の造船所の設備の数々。あれほどの設備を持つ造船所は日ノ本にそうはあるまいな…。
あの大きな投石器をさして分解する事もなく、釣りあげて船に載せてしまうのであるから大したものだ。
あの設備が無ければあれほどの短期間で投石器を船に搭載する事など無理だったのではなかろうか。
結果、楠城から手を出せぬところから人の頭ほどもある岩を大量に降らせて敵の士気を下げ、これ迄頑なに拒んでおった降伏を認めさせたのだった。
楠城には少なからぬ手負いが出て、死人も出たそうであるが、本当の城攻めになっておればこんな物では無かったろうな。
そう言えば、北畠氏には従う水軍衆が居たはずだが、我らの水軍の行動が早かったからか、或いは我らの水軍が出てくるとは思わなんだのか、楠城の戦に出てこなんだのは僥倖。
あの大型船は船足はそれなりであるが、小回りが利く訳では無く、急遽矢盾を連ねただけの急造軍船ゆえ海戦になっておったら面倒であったわ。
楠氏が降伏した後、伊勢出身の横田殿に楠城を任せて直ちに村上殿は亀山城へと救援に向かったが、敵の軍勢は我らを待っていたが如く軍を引いて北畠の軍勢と合流し、そして合戦と相成った。
北畠氏の誤算は、楠氏が籠城を続けて我らの軍勢の一部なりを楠城に張り付かせておくはずが、急転直下の降伏へと至り、我らは後顧の憂いなく全軍勢を直ちに国府城近くの平原へと進められた事であろう。
しかし、野戦にて勝負を決する、という北畠方の目的は達成された。
農繁期故北畠勢は、野戦にてさっさと雌雄を決して早く兵らを戻してやらねばならぬからな。
合戦では村上殿の策が当たり、北畠勢は陣を崩され本陣にまで攻め込まれて敗退。
神戸氏ら北畠方の国人らは総崩れで手負い討ち死に多数、当主の長盛を含め主だったものは捕らえられ、他の国人らも降伏、北畠氏の敗退で様子見だった南伊勢の国人らは雪崩をうって臣従を申し入れてきた。
北畠氏は本拠地の霧山城がある多気の地へと撤退した。
難攻不落の要害ではあるが、逆に言えばここに押し込まれれば、外への連絡は容易ではない。
とはいえ、我らは北畠氏を攻め滅ぼしたい訳でも伊勢の地を支配したい訳でもない。
我らの望みは地域の安定と商圏の拡大。
北畠氏が我らに敵対せねば、そも彼らの領域に兵を出す必要などなかったのだ。
それを事情を説明に行かせた使者を問答無用で追い返し、出兵準備を始められては我らとしても動かぬわけにはいかぬからな。
北畠氏には北畠氏なりの理由があったのかもしれぬが、我らも畿内への道を諦めるわけにはいかぬ。
六月も下旬の頃、伊勢の戦で我らに降伏した楠正忠、正具親子が清洲へと回されて来た。既に書状にて召し抱える旨を知らせておる。
楠親子が待つ部屋へと入ると、二人が平伏して待っておった。
「面を上げられよ」
「「ははっ」」
二人そろって面を上げる。
歳のころは父の正忠殿が五十位であろうか、そして嫡男の正具殿が三十過ぎ位であろうか、二人とも見るからに良き面構えで、良き将であろうというのが見て取れた。
「正忠殿、正具殿。
以前より楠木氏の末裔で戦上手の御仁と聞き及んでおる。
一度出会ってみたいと思っておったが、この機会を得た。
どうだろう、本領は安堵する故儂に仕えてくれぬか。
知っての通り、我が織田家は常雇の兵を銭雇いで二万五千程抱えておる。
日頃より鍛錬し普請仕事で大いに活躍してもらっておるのだが、良き将がまだまだ足りぬのだ。
軍学校にて将を育てておるが、実になるのはまだまだ先であろうからの」
二人は顔を見合わせ思案顔を浮かべる。
そして、正忠殿が頷くと正具殿も頷く。
「わかり申した。
楠木の末裔とは申せ、我らは伊勢の地に小さな所領を持つだけの国人に過ぎませぬ。
そんな我らを将として召し抱えて頂けるなど、過分なお話。
本来であればお手向かいしたのです。
首刎ねるなり自害申しつけられても致し方ない仕儀なれば。
我ら備後守様にお仕え申し上げまする」
「うむ。
よろしく頼むぞ」
「「ははっ」」
こうして、名高き楠木氏の末裔の二人を家臣に加えることが出来た。
良き将は手許に多ければ多い程良い。好んで戦をする気は無いが、畿内が荒れておる状況を鑑みるに我らも無関係とはいくまい…。
楠氏より遅れて数日後、神戸長盛が連れて来られた。
降伏した楠氏とは異なり、戦で生け捕りにされたそうだが…。
「面を上げよ」
返事を返す事も無く、黙って顔を上げ、儂を見据えて来おった。
歳の頃は三十位であろうか。
「神戸城は関氏へと引き渡した。
神戸一族は城を退去させ長島城にて預かっておる」
「我らを如何されるおつもりか」
「どうもせぬ。
北畠氏とは儂は和議を結び盟を交わすつもりだ。
だが、拒めば攻めて屈服させる。
しかし、儂は別に北畠氏を滅ぼしたい訳では無いのだ。
我らが求めるは安定、そして商圏の拡大のみ。
そもそも我らが兵を出したのは、桑名衆が伊勢国人衆からの度重なる矢銭要求に困り果てて我が守護様に助けを求めて来たからに過ぎぬ。
我らは桑名衆に矢銭を要求しておった伊勢の国人らを既に臣従させておるので、目的は果たした。
しかるに、北畠氏を始めとするお前たちが戦の準備を始めた故、我らが先んじて兵を出したに過ぎぬ」
「その様な勝手な事。
伊勢は我らの国。
備後守殿は関係ござらぬではないか」
「如何にも。
我らは伊勢の領有を望んでいる訳では無い。
だが、我らの商圏の端にある桑名湊は我らにとっても大事な湊。
桑名で荷下ろしし、そこから畿内へと荷を運ぶのだ。
その桑名が伊勢の国人らに苦しめられて居っては困る。
故に国人共を脅し、その上で利を示して臣従させたのだ。
二度と、矢銭は求めぬし、国人同士で争う事もせぬと。
その代わり、我らが庇護を与えるし、我らの恩恵を与えるとな。
それで、皆臣従した」
「その様な上手い話に騙される国人共の気が知れぬ。
それにしても備後守殿は先ほどから商いの話ばかりされるが、貴殿は武士ではござらぬのか」
「儂は騙す気などない。
先の戦で敗れた甲斐の国人共も尾張に連れてきたが、皆に見合う所領を与える約束をし、それを守った。
故に、此度の伊勢での戦、皆奮い立って参陣し戦に出て行ったのだ。
それに商いを軽く見ている様だが、武士だからこそ商いにも通じて居らねばならぬ。何故なら商いから齎される莫大な銭の力があるからこそ、我らは二万五千もの常雇の兵を雇っておけるのだ。
その場限りで集める傭兵などでは無いのだぞ。
その強さ、此度の戦で自ら味わったのではないのか?」
長盛は項垂れる。
儂は此度の戦の詳報を既に耳役から聞いておる。
常備軍の力は儂の想像以上だったのだ。
「…失言にござった。
確かに、備後守殿の軍勢は強うござった。
あの様に一体となって迅速に動き、一丸となって戦う兵らを見た事は御座らぬ…。
無理して集めた農兵主体の我らが軍勢は総崩れ、主に家臣らで構成される晴具様の軍勢ですら存分には戦えませなんだ…」
「晴具殿との会見次第ではあるが、仮に北畠家と和議が成り盟が結ばれたとしても、貴殿は元は関氏の流れでありながら関氏と争った。
故に、関氏は貴殿を許すまい」
「それは…、致し方ありますまい…」
「うむ。
であるから、貴殿は儂が銭雇いで召し抱えてやろう。
神戸の家は嫡男の利盛に、関氏の一族として家を継がせる。
それであれば神戸城を神戸家としてこれからも所領することが出来よう」
長盛は驚いた表情を浮かべた後、複雑な表情になる。
「…それで、神戸の家は安堵されるのでござろうか…」
「うむ、約束しよう。
利盛殿に何かあれば儂が後ろ盾にもなってやろう」
「…、ご配慮忝く…。
さすれば、それがしは備後守様にお仕え致しまする…」
「よし。
屋敷も用意する故、郎党を呼び寄せるがよかろう。
それと、次男を尾張神戸家の嫡男として呼び寄せる事も許す」
「ここに家を立てる事も許していただけるのでござるか…。
手向かいした拙者にそこまで…。
この長盛、誠意をもって備後守様にお仕え申す…」
「よろしく頼むぞ」
こうして、神戸長盛も儂に仕える事になった。
吉が推薦する故、召し抱える事にしたがこれで良かったのであろうか。
特に今は寺に居る次男は名将の風があるという。
また加藤殿にでも見て来させたのか。
まあ、儂の次の世代の力になればそれでよい。
さて、いよいよ晴具殿との対面よな。
二人とも召し抱える事になりました。
多分に吉姫の入れ知恵のあった事でしょう。