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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第五章 天文十八年 (天文十八年1549)
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第百六十三話 進水式

いよいよ進水式です。





『カティサーク』



天文十八年五月、半年以上の歳月を掛けて日本で最大級の船が、蟹江の造船所で完成しました。


全長五十間、約九十メートル、全幅六間、約十一メートル、喫水は四間、約七メートルの巨艦です。そして蟹江の造船所も、この巨艦を作る為に日本初の乾ドック式造船所として建造されたものです。


前世の感覚であればそれ程大きくは感じなかったでしょうが、この時代で改めて見るとカティサーク、やはり大きいです。


それこそ、この時代の人であれば腰を抜かすような大きさです。


ちなみに、戦国時代の巨艦というと安宅船ですが、最大の大安宅といわれる船で五十メートルなので、この船がどれ程大きいかわかるでしょう。


船体の下部、水につかる部分は薄い銅板を張ってあり、フナクイムシ対策も万全です。

羅針盤と六分儀も手に入れましたが肝心の航海士はまだ見つかっていません。


この、六分儀や羅針盤を参考に梓さんの工房の細工師に日時計羅針盤という海の男愛用の品を作れないか頼んでいます。



そして五月の吉日を選び、守護様臨席で進水式が執り行われ、尾張丸と命名されました。


乾ドックに注水されるとしっかりと浮き上がり、後はドックの門の両脇に備え付けられた巻き取り機で船に取り付けられた縄を巻き取りながら、人の力で海に進水させます。


無事に湾に進み出るとゆっくりと専用の桟橋へと向かい、そこに停泊しました。


と言うのも、この船は大きすぎて専用の桟橋にしか停泊させられないのです。


何しろ乗り込むにも移動式のタラップを取り付ける必要があります。


暫くは近くの海で操船訓練と不具合の手直しを行い、航海士が来たら航海術を学ばせ、そして外海への航海に出すつもりです。


当面の目標は小笠原諸島の発見と開拓移民、そして定期便の設置ですね。


小笠原諸島は日本にありながら南洋の島々と同じ気候であり、サトウキビは勿論、パパイヤやマンゴー、バナナ、それにコーヒーやトウガラシだって収穫されていた筈です。


自生していた訳では無いので、何処からか移植する必要があるとは思いますが…。


夢が広がりますね。





『甲斐その後』



進水式には守護様が臨席して音頭を取られるという事もあり、造船所の周りには沢山の屋台が出るほどの大賑わいで、日本一の巨艦を見ようと多くの人たちが見学に来ていました。


これだけ派手にお披露目すると、他国でもこのクラスの船が作られるようになるのでしょうか。ちょっと不安ですねえ…。



進水式には武田次郎様も一緒に来ていたのですが、彼は山国育ちで船自体が珍しい様で、いつかこんな大きな船で船旅を楽しみたいと抱負を述べていました。


進水式の帰り道に甲斐のその後の様子を聞いたのですが、私が渡した泥かぶれの本を手本に国元で順番に対策を試していっている様です。


やはり、結果的にそれしかないとしても、いきなり川の大規模普請をするとか、米作から他の作物へ転換するとかは、普通ではとても理解を得られない。


それで、本に書いてあった通りの順番で少しずつ領民たちの理解を得ながら、段階を踏んで進めているのだとか。


既に小さな巻貝は発見されて居ますが、これを介して寄生虫が皮膚感染するという事を理解させるのが難しかったそうです。


しかし、現実に被害の多い地方では皮膚炎を起こしている事例を地元民は皆知っていて、父に持参させたサブ引きの長靴を欲しがる農民が多く、次郎様からもっと沢山手に入れられないだろうかと相談されました。


しかし、この時代サブも含めて長靴は未来の量産ノウハウを活用していて一足一足手作りしている訳では無いのだけど、それほど大量生産できるわけじゃないのです。


だから欲しがる農民全てに行き渡らせる数千という数を満たすには、それなりの期間が掛かるでしょう。


とはいえ、ニーズがあれば作るのはやぶさかではないので、後で梓さんと相談しましょう。



泥かぶれ対策の段階として、まずこの小さな巻貝を一つ一つ捕まえて殺そうとしたそうですが、貝は小さくて見つけ難くそして無数に居り、この方法は焼け石に水なのは地元民にも直ぐにわかって、これ以上無駄なことは止めようとなりました。


そして、次に試されたのが石灰を撒いて殺す事です。


農閑期である二月頃、駿河から続々と石灰が運び込まれ、昔から被害が大きい地域で石灰を撒いて貝を殺す作業が試された様です。


一先ず、これで次の田植えに備え、様子を見るようです。


前世でも撲滅までにあれだけ長い時間が掛かっていますから、なかなか難しいでしょう。


田んぼを無くして農業用水路を整備するだけでも随分と違う様な気がするのですが、この時代に米作禁止なんて言われるのは「死ね」と言われているような物ですから不安になるのは解ります。


でも水田から他の作物への転換や水路の大整備が不安だとしても、今なら必要なだけ尾張の米を持ち込めば済むとは思うのですが、なかなか頭の切り替えは難しいのでしょう。





小笠原諸島は素敵ですよね。

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― 新着の感想 ―
[一言] ゆくゆくは北海道、樺太、千島列島、更に南下して台湾、南洋の島々やオーストラリア大陸を抑えたい。 まあ現実的かどうかは置いておいて、その内オーストラリアなんかは本土の人口超えて独立機運が高まり…
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