第百六十二話 顛末
佐吉暗殺未遂事件の顛末です
『顛末』
権六殿が訪ねて来た数日後、加藤殿より依頼していた佐吉さんの件の報告を受けました。
「姫様、川田殿が刺された件にござりまする」
「何かわかりましたか?」
「はっ。堺にて川田殿を刺したのは、依頼を受けた伊賀者らにござります」
「伊賀者…、ですか」
「はい。伊賀の地の忍びの技に長けた者達にござる」
有名な伊賀忍者というやつですね。
家に仕える事が多い甲賀衆と異なり、フリーランスで仕事をする傭兵の様な物だったと記憶していますが、確か織田家でも以前より使っていた筈。
「我が家でも使っていたと思います」
「左様、織田家でも以前より何人か使っておりました」
「その者達が佐吉さんを刺したのですか?」
「いえ、その者達は備後守様配下の者達。備後守様がその様な事お命じなさる筈もありませぬ」
当たり前の話ですね…。
「愚問でしたね…」
加藤殿が微笑むと話を続けます。
「ですが、まったく無関係という訳でもござりませぬ。
備後守様配下の伊賀者達に許しを得て何か知らぬか聞いたところ、那古野が忍びを探していると聞き紹介したと聞けました。
彼らはそれ以上の事は知らぬと思いまする」
那古野というと勘十郎でしょうね…。
「そうでしたか…。
実は先日柴田殿が訪ねてきて二月から三月に掛けて弟の様子が大きく変わり苦慮していると相談されたのです。
柴田殿によれば、美作殿亡き後塞ぎ気味であった弟の様子が二月頃何かいいことがあったかのように俄かに明るく上機嫌に振舞うようになったそうです。
その事は、気持ちが吹っ切れて良化したのかと喜んでいたそうなのですが、三月に入ってから、それまでの上機嫌が嘘の様に不機嫌になり、また塞ぎがちに戻ってしまった様なのです」
「二月と三月にござるか…。
姫様は川田殿の件と信勝様が無関係では無いと考えておられるのですな」
「ええ、三月のあの辺りというと佐吉さんが無事に戻って来た頃に符合します」
「恐らく、姫様の見立てで合っておりましょう。
拙者が調べたところ、どうやら川田殿の監視役が堺行きの船に紛れ込んでおった様です。
そして、別の一団が先回りして堺で罠を張って待っておったのです」
「まさか…」
「彼らは周到にござった。
状況からの推測にござるが、恐らくは川田殿をうまく供の者達から引き離す為に、旅一座になりすまして人だかりを作り出し、更には人だかりに紛れ込んだ者達が川田殿を人気のない路地に巧みに誘導したのでござる。
そして、人気のない路地で一人になった川田殿を…。
刺された場所も運よくずれておりましたが、本来なら急所にござった」
「そんなに大がかりな…。
確かに、玄庵さんが助かったのは運が良かったからだと話していました」
「はっ。
恐らく、仕事に成功したと思った伊賀者達は雇い主に“成功”と報告したのでしょう。
ですが、三月に何故か川田殿が無事生還した。
それが真相でなかろうかと思いまする」
「そんなところでしょう…。
弟が佐吉さんを襲わせた証拠は何か掴めましたか?」
加藤殿が首を横に振ります。
「申し訳ござらん。
すべては状況のみにござりまする。
実際に手を下した伊賀者の足取りを掴むのは無理にござった。
恐らく仕事が済んだ後には直ぐに引き上げたのでござろう。
そして、仮に備後守様が伊賀者の伝手を使って照会したところで、雇い主など真相を話すとはとても思えませぬ」
「…そうでしょうね。
しかし、何故佐吉さんを襲わせるような事を…」
「拙者にはわかりかねまする。
ですが、それがしが知る限り川田殿に恨みを抱き害為そうと考える様な者は聞いたことがござりませぬ。
そもそも、士分への取り立ては多くは御座らぬが川田殿だけという訳でもござりませぬし、それ以前に川田殿はそれほど名の知れた御仁でもござりませぬから」
「…確かにそうですね。
佐吉さんは今もそうですが元々鍛冶職人で、織田家中でもそれ程名前が知られているわけでもありません。
名前が広く知られているというならむしろ清兵衛さんの方でしょう」
私にとっては佐吉さんは大事な得難い転生仲間の一人なのですが、そんな事他の人は知りませんから。
「わかりました。
調査、大儀でした。
念のために弟の周辺の監視をお願いします」
「承りました。手の者を配しておきまする。
拙者はまた伊勢で戦の動向を見て参りまする」
「ええ、お願いします。
今度の伊勢での戦も大事な戦ですから動向は把握しておきたいのです」
「ははっ。
それではこれにて」
加藤殿はまた静かに退出していきました。
後日、権六殿に使いを出しました。
数日後、権六殿が都合をつけて訪ねてきます。
「吉姫様、先日の件にござりまするか?」
「はい」
権六殿が緊張した表情になり生唾を飲み込みます。
「いかがでござりましたか」
「あくまで、状況だけです。
証拠は何もありません。
故に、他言は無用です」
「心得てござる」
「川田佐吉という、鍛冶職人から士分に取り立てた者が居るのを知っているでしょう」
「はい。
士分に取り立てられる以前から吉姫様が職人仕事を頼んでおられた者にござりまするな」
「そうです。その佐吉さんです」
「…川田殿が、どうかしましたか?」
「実は佐吉さんに用を頼み、一月下旬に堺へ行って貰っていたのです。
実際に堺に到着したのが二月、そして帰って来たのが三月です」
権六殿はそれを聞き目を丸くします。
「二月に到着し、そして三月に戻ったのでござるか…」
「ええ、権六殿の先日の話に妙に符合しますね」
「そ、そうにござるな…。
川田殿は道中無事でござったのですか?」
権六殿は何か知ってますね…。
「重ねて言いますが、他言無用です」
権六殿が緊張に満ちた表情で頷きます。
「佐吉さんは二月に堺で刺されて生死を彷徨いました。
ですが、運良く助かり三月に帰って来たのです」
それを聞いて権六殿の表情からサーっと血の気が失せていきます。
「手を下したのは、伊賀者ではないかと報告を受けました。
そして、最近那古野が伊賀者を探して居たから紹介した、と父が使っている伊賀者が話していたそうです。勿論、その者達はそれ以上の事は知りません」
目を泳がせながら話を聞いて居た権六殿の顔から、脂汗がつつっと滴ります。
彼ほどの知勇に溢れる堂々たる男子のこんな姿を見たくはありませんでした…。
それをさせる弟には正直怒りを通り越し、情けなさしか感じません。
「権六殿、話してくれますね」
私に声を掛けられ、ハッと我に返ると権六殿が平伏します。
「姫様…。
拙者が今お仕えしているのは信勝様にござりまする…」
「ですが、このまま状況だけで真相を明らかにしないわけにはいかないでしょう。
あなたは那古野の家老かもしれませんが、父信秀の家臣では無いのですか?
この度の事、父が何も知らぬと思っていますか?」
権六殿が顔を上げます。
「姫様の仰る通り、それがしは那古野城の家老にござるが大殿の家臣にござる…。
…。
お話し致しまする…」
「はい」
「去年の暮ごろの話にござる。
信濃での戦で、我らは失策で多くの兵を失い大殿に叱責され、那古野で謹慎の身にござった。
その謹慎は未だ解けてはござらぬが…。
そんな暮のある日、信勝様に呼ばれ姫様の人となりを聞かれたのでござる」
私の事に関心を持つなんて、珍しい事があるものです…。
私は頷き話の続きを求めます。
「それがしが姫様の暫しの間の警固にお供仕っておりましたから、それで聞きたい事があったそうでござる。
それがしの答えそのものは、取り立てる様な事は何も無かった筈でござる。
あくまで、一般的な評判を話しただけにござった」
一般的な評判…、どんな話をしたのか気にはなりますね…。
しかし話の腰を折る訳にはいきません。
「なるほど…。
話を続けてください」
「はっ。
その際に信勝様は、甲斐信濃での戦の策を立てたのは姫様だと聞いたと話されたのです」
「どう答えたのですか?」
「私の口からはお答えできませぬと…。
現実にそれがしは姫様が策を立てられたのかどうかは知りませぬし…」
まあ、あまりそれを私から話したことはありませんし、父も話しませんからね…。
しかし、その返事だと私が策を立てたと言っているような物ではないですか…。
「ええ。
それで、弟はなんと?」
「それ程の策を立てて軍を動かす思慮深き姉であるなら、弟の晴れの舞台を用意すべきでは無いのかと…。
つまり…、信濃で失敗に終わった初陣ではなく、万が一にも失敗の無い初陣の舞台を用意すべきだったと…。そう仰ったのです…」
戦場は常に変化するもの、戦場に万が一にも起きない事など無いというのに…。
父が初陣に相応しいと判断したのですから、勝てる戦だった筈ですが。
「それに対して、権六殿はどう答えたのですか?」
「姫様がそれを考えようと考えまいと、それを決めるのは大殿で、信濃の初陣も大殿が決められた事で、それに応えられなかったのは那古野の大人の不甲斐なさにござると…」
「権六殿が答えた通り、それは信勝の父であり現地の総大将でもある織田信秀様が決める事ですから、そこに私が介在する余地はありませんね…」
「その通りにござる…」
「それで、その話と佐吉さんがどうつながるのでしょう」
「その話は、一先ずそれで信勝様は納得されたように見えたのでござる。
その後、姫様の家臣を紹介してほしいと言われまして、雑事を頼まれている加藤殿と、士分に取り立てられた川田殿が居ると話しました」
「なるほど…。
しかし、それだけでは私の家臣を紹介しただけですよね」
「はい。
ですがその後、何故そんなことを仰ったのか理解できなかったのでござるが、川田殿が他家に引き抜かれるなどして居なくなれば姫様は随分こまるのではないか?
そういわれたのです…」
「なんと答えたのですか?」
「川田殿は真面目で忠義一途で万が一にも靡いたりはしないと…」
「そうですね…、確かに佐吉さんがよそに行くことは多分無いでしょう。
確かに、居なくなると困りますが…。
でも、それは引き抜かれない様注意すべきとも取れる話ですね」
「はい。
ですが、その後信勝様が我にも忠義一途の家臣が居たと話されたのです。
美作殿の事にござるが…。
その時は、我らへの当てつけかと思ったのでござる…」
つまり、自分は美作殿を失ったのだから、私の家臣も奪うと。
まるで八つ当たりの様な話ですね…。
「確かに、当てつけにも聞こえますね…。
そして、その後弟自ら命じたのかどうかは分かりませんが、那古野は伊賀者を雇い佐吉さんを堺で亡き者にしようとしたと…。
あくまで状況だけで物証はありませんが…」
「それがしも今日姫様の話を聞くまで、まさかそんな事が起きているとは思いもしませなんだ…」
「そうですね…。
普通、そうは思わないでしょう。
しかし、繋がっていたと…」
私はもうなんだかため息しか出ません…。
「はい…」
「わかりました。
この事は父に話します。
しかし、状況だけでは父も動けないでしょう。
権六殿も重ねて言いますが、他言無用にしてください。
そして、これ迄と変わらぬ様、那古野での務めに励んでください。
意味は分かりますね?」
「ははっ。
ここでの事は一切他言いたしませぬ。
そして、これまで通り那古野での務めに励みまする。
…では、失礼いたしまする」
「はい。足労大儀でした」
つまり、事の真相は…、人一人の命を奪うにはあまりにも情けない話だと…。
これでは美作殿も浮かばれないでしょう…。
後日、私は事の顛末を父に話しました。
予想通り父はただ他言無用と言いました。
しかし、このまま済ませる気も無いとも言いました。
このまま勘十郎がどうなるのか、どうなっていくのかは分かりませんが…。
折角、帰蝶姫といういい奥さんを貰い懐妊までしているのに、何故今ある幸せに目を向けないのでしょうか…。
私が勘十郎の嫡男の座を奪う訳でもなく、普段何の関わりも無いのに…。
私には想像もつかない何かが勘十郎の心の闇を作り出しているのでしょうか…。
物証が無い為、この段階ではまだ直接的には動いて居ません。
しかし、信秀の信勝に対する見方はかなり末期的な状況に陥った事は間違いないでしょう。
吉姫と信勝に関する話はもう少しだけ続きます。