第十九話 寺にて候う
牛さんと一緒に寺に行きましたで候う。
『寺にて』
ここの所は週一で寺に通っている。
と言っても、この時代の人は所謂グレゴリオ暦など使ってないから、私ルールみたいなもので、七日区切りでスケジュールを考えてるだけなんだけど。
故に、週一と言っても七日に一度という意味だし、土日があるわけでもない。
さて、寺通いですが裳着後は明らかにその内容が以前より変わっていて、薬草園の様子を見て、講義をして、精神修養の為の座禅を組んで、和尚さんとお話して帰る筈が、講義の時間が明らかに長くなってますね。
最初は四半刻を二回くらいだったのが、その内半刻を一回になり、今や一刻弱の長さになり、普通に座学だけだったのが、今や駒や地図使って机上演習やりながら説明したり。
今回は例の牛さんが話を聞きに来てる。後ろの方でニコニコしながら帳面を出し筆を走らせている。
今日の講義は鉄砲。以前は最近話題の鉄砲というものの説明だけだったけど、今回はその欠点、利点や簡単な運用方法の説明。
弾丸の装填に時間がどの位掛かるとか、雨の日など悪天候では使えない場合があるとか、或いは接近戦に弱く、討ち取られて鉄砲を遺棄したら大変な損失になるから慎重な運用をしなければならないとか。
その代わり、数を揃えて戦列を敷いて掃射した時の威力は、猛将率いる精兵からなる先手の兵を挫き潰走させられるくらいの打撃力を持ち、その弾丸は武将の着る鎧すら軽々と射貫くなど。
講義を聞いた人の殆どが、それなりの数を揃えねば目に見えた効果が発揮できないのに、一丁が途轍もなく高い鉄砲の運用は現実的ではないとの反応だった。
だけど、それをやってのけた奴が居たのだな。信長とかいう、この世界には居ないやつだけど。
それに、雑賀衆とか根来衆とか紀伊の傭兵連中は実際にそれだけの数を揃えて集中運用して大変な戦果を上げる。勿論、今ではなく近い未来ではあるのだが。
そこまでは面倒だから説明しないけど、いずれ数を揃えた勢力が出てきたらどう対策するか位は考えておいたほうが良いと締めくくった。
講義の後、ニコニコ顔の牛さんが帳面と筆を手に駆け寄ってきて、権六殿と半介殿も牛さんを威圧するように側に来るが、そんなのはどこ吹く風。牛さんは肝が座ってる。
滝川殿もよく見たら何やら書いてるなあ。あまり見ないから気が付かなかったけど、これまでも講義内容とかメモしてたのかな?
牛さんは、いやあ吉殿。興味深うござった。十二の子とは思えぬ博識、迫力でござるな。拙者感服仕つた。とご機嫌。
そして、ところで吉殿、鉄砲でござるが、吉殿は敵が使ってきたらどう対処されるか、もう考えておられるのかな?と聞いてきた。
私は、勿論。と答えた。そう、単発火縄程度ならいくらでも対処の仕方があるからだ。
それを聞いて、牛さんが、ほほぅ。さすが吉殿。と何かをメモしている。
興味が出てきたので、何を書いたのか見せてと言うと、意外やすんなり見せてくれた。
ふむふむ、吉殿は自信アリげに微笑み、勿論と答えたナリ。と。
そのまんまじゃないか。
他の部分を見ても、流石この国の元祖ジャーナリスト、要点抑えつつもちゃんとメモ書きしていました。これが後日纏まって信長公記なんてのに化けるわけですな…。
てか、この人使ったら瓦版とか余裕なんじゃないか?
なんてこと考えましたよ。
牛さんに帳面を返すと、ちなみに対処の方法を伺っても?と聞いてきたので、鉄砲の弾は威力が強いが、竹の束を貫通するほど強くはない。と答えたら、それもメモして、確かに竹束ならば矢だって防げますな。と、ウンウンと頷きながら答えたのだ。
そう言えば、この人は弓名人だっけか。
ところで、太田殿は弓名人だと聞きましたが、そうなんですか?と聞くと、ほほぅ。拙者如きの事をよくご存じですな。名人かどうかはわかりませぬが、少々使えまするよ。と、謙遜気味に答えた。
ならば腕のいい弓師など誰か知ってますか?と聞くと、ええ弓師ならば知ってますよ。と答えたので、今度紹介してください。と頼んだ。
すると一瞬牛殿は意外そうな顔をしたが、弓でも始められるのですかな。女子でも弓を嗜まれてる方は多い故、それは良きことですな。と答え、またウンウンと頷いた。
今度お屋敷にお邪魔する折にでも連れていきましょう。と請けてくれたのだった。
そして、牛さんはでは拙者はこの辺で、と。また足早に去っていった。
権六殿と半介殿と違い、忙しい人のようです。
その後、和尚さんとまたお話です。
和尚さんは、今日の講義は拙僧も未だ知らぬ事だった故、勉強になりましたよ。と、微笑みながら話す。
そして、最近、多いと言うほどでは無いのですが、吉姫様の事を聞かれます。
何処の家中の女子なのかとか、いくつなのかとか、或いは既に相手は決まってるのかとか、そんな話が多いですが、何故そんなに博識なのかと、聞かれることがあるのですよ。と、少々困り顔。
拙僧も、それなりに諸事を学んできたつもりですが、吉姫様は私の知らぬことを多くご存知だ。
勿論、拙僧がお教えしたことも多くありましたが、講義するようになってから話されることは、拙僧も知らぬことが多いのです。
何処で、どのように学んだのかはお聞きしますまい。
しかし、どのように拙僧はお答えすればよろしいかな?と、また私の瞳の中を覗き込んでくる。
私は、屋敷の書庫の漢書にて学んだということにしておいて下さい。
とお願いしました。
なんとなく、和尚は私の事が薄々わかってるんじゃないのかという気がします。
和尚は、分かりました。確かに漢書なればこの日ノ本でも一般的に知られておらぬ事も多いですからな。未だあの国には学ぶことが多い。というと、大きく頷いたのだった。
しかし、気持ちの上では納得はしてないような…。そんな表情です。
すると和尚は、初めてあった時のように爽やかに。
吉姫様がどのような事を知ってられようと、私の弟子であることには変わることはありませんよ。これまでもそうでしたし、これからもそうです。
何か悩み事があれば、拙僧、いつでも話し相手になりますよ。
というと、爽やかに笑ったのだった。
今生は友達の居ない私ですが、師には恵まれたような気がします。
私も快川和尚の弟子であると、胸を張って答えますよ。と微笑み返したのだった。
『武芸を鍛える。その後』
早朝からの用事が無い時は、毎朝薙刀の修練をしている。
まずは柔軟体操。これ大事。
そして、身体が暖まってから、素振り。
素振りは薙刀ではなく木刀で。こちらのほうが腕力が付くので。
その後、暫しの休憩を挟み師匠の女中さんを交え、薙刀の型をやってく。
最後に師匠を相手に打ち込みをして終わり。
相変わらず師匠には歯が立たないが、身体は随分鍛えられてきたのではないかなと。
何もやっていなかった以前に比べれば格段に身体が動くようになってきた気がする。
現実に使うことは当分ないだろうけど、ある程度の腕になるまではこのまま日課として鍛えるつもりなのです。
さて、そんなわけで師匠にどのくらい敵うか、素手で対戦してみました。
勿論、師匠も素手ですよ。
師匠いわく、素手なんかで戦わなければならない時は死ぬときだけですよ。と、笑ってましたが。まあ、たしかにそうでしょうねえ。薙刀の次は短刀、その次は死ぬか酷い目に遭うかどっちかでしょうから。
とはいえ、この時代にどの程度通用するのか、多少は興味が。
結論から言うと、一度は勝てましたね。
師匠が油断してたのかもしれませんが、腕をロックするまで持っていけました。
でも、その次からは身体に全然触らしてもらえず、逆に掴まれて同じ技で返されましたよ。なんですかこの人は!
師匠いわく、面白い技だと。笑ってました…。いえ、笑われました…。ふぅ。
とりあえず、未だ全然鍛え方が足りないようです。お嫁に行くまでにどの程度までいけるのか…。
師匠は、かなり小さい頃から母親に仕込まれたそうです。
師匠は何者なのでしょうか。土豪の娘だと父は言ってましたが、何処の土豪なのだろう…。