閑話七十四 川田佐吉 堺
堺へ旅立ちます。
天文十八年二月 川田佐吉
姫様の依頼を受けた翌週、津島湊より鈴木党の船に乗り込み堺へと向かう事になった。
今回の堺行に同道するのは懇意にしている津島の大橋殿が付けてくれた番頭殿、それに鈴木党の孫助殿、それに屋敷から小者を一人。
孫助殿も無論、一人という訳ではなく数名の供を伴っている。
「それでは、行ってきます」
「どうかお気をつけて。
今日ほどスマホがない事を恨めしく思ったことは無いです」
「はは、確かに。
どうも、何処に居ても簡単に連絡が取れるという感覚は抜けないね。
幸い、狭い世界で生きているから普段は必要性をあまり感じないけれど。
梓も身体を労わって」
「はい。お土産を楽しみにしています」
「うん」
二月はまだまだ寒く、風邪などひかないと良いが。
船に乗り込んで梓を見ると、既に家の者に連れられ熱田行きの埠頭へと向かっていた。
こんな寒いところに長く居ては身体に障る。早く家に帰って温かくして欲しい。
今回の船旅は、津島の湊を出港して幾つか湊を経由し、五日ほど後に堺の湊へと辿り着く予定だ。
道中暇を見付けては番頭殿や孫助殿に西国の事情を聴いていると、大橋殿は博多まで取引関係があるという事が解り、また鈴木党は薩摩を経て琉球迄船を出す事もあるという事が解った。
薩摩まで行くのであれば、姫様に託されたトーレスという人物宛ての手紙を託すことも出来る。
船旅は順調で時化や風待ちも無く、予定通り五日で堺へと到着した。初めて見る堺の街は津島の港にも匹敵する様な大きな町並みが南北に連なる大きな街であった。
湊に船付けして下船し、まずは番頭殿に宿を探してもらった。
平成時代の町並みを知る自分からすると、それほど大きな街とは感じなかったが、メインストリートとして街の中心部に南北に紀州道に繋がる大道筋が走り、東西に大小路筋が走り、いくつもの町家が規則正しく並んで短冊状に格子に走る小路に連なっている。
そして、それぞれの小路に名前がついていて、さながらヨーロッパの町並みのようにも見える。
そして何より、この堺の町そのものが深く広い堀に囲まれ、城壁を持った城塞都市なのは驚いた。
メインストリートを鈴木殿らと共に散策していると宿が取れたのか番頭殿が呼びに来た。
既に、日が傾いていたため、今日は宿でゆっくり過ごし用事を済ませるのは明日以降ということになった。
翌日、朝餉を済ませると早速用事を済ませるべく街へと繰り出した。
この時代は朝が早く、堺の街もまた早朝から既に人通りがかなりあり活気がある。
この様子ならば、商家を訪ねても大丈夫だろう。
姫様に渡されたメモを取り出すと、まずはその内の一人を訪ねる。
その人物は日比屋という店をやっている福田殿という堺では名のしれた豪商らしい。
番頭殿に場所を調べてもらうと、福田殿の都合を小者に聴きに行ってもらった。
すると、たまたま今日は予定が空いていた様で、すぐに会えるとのこと。
早速、日比屋を訪ねると、確かにいわゆる大店と言われる堂々たる店構え。
しかし、この店は外からでは何を扱っている店なのか、さっぱりわからなかった。
店員に到着を告げると、早速客間へ通される。
出てきた店主はまだ若く、二十代位に見える。
「尾張から見えられはったとか。
えらい遠いところからおいでやす」
久しぶりに聞く関西弁に思わず口元が綻びそうになるがぐっと我慢した。
「尾張国の守護代、織田備後守様の家臣、川田佐吉と申しまする。
この度は、急な訪問にも関わらず時間をとって頂き、忝なく」
福田殿は微笑む。
「尾張守護代様の家臣が訪ねて来はって、粗末な扱いなんて出来まへんで。
ところで、ご用向はなんでっしゃろうか?」
「はい。我が主に日比屋殿を訪ねる様にと命じられまして。
ところで、つかぬ事をお聞きし申すが、日比屋殿は何を扱っておられるので?」
要領を得ない物言いに不思議な表情を浮かべる。
肝心の事は手紙に書かれているからな…。
「うちの店は手広くやらせてもうてます。
知っておられるかわかりまへんが、明国の南に澳門というところがありましてな、そこに船を出せば南蛮人から珍しい物が仕入れられるんですわ。
例えば…。
これ、あれをお持ちしてくれ」
店の奥の方に声を掛けると、奥から「へい」と返事が聞こえた。
ややして、蓋のついた小さな陶器のツボを捧げ持った若い店員が入ってきて、福田殿に差し出した。
「例えば、こういうものですねん。
お武家さんやったら見たことくらいはあるんちがいますやろうか」
そう言うと、そのツボを渡してくる。
早速と、受け取ってみて蓋を開けて見ると。
いわゆる黒色火薬だった。
「火薬でしょうか」
福田殿に戻すと、笑みを浮かべて頷く。
「よくご存知でんな。
火薬ですわ。
十年ほど前から畿内や九州の有力大名が戦の時に使っているんですわ。
火薬を知ってはるって事は、鉄砲もご存知で?」
「ええ、我が家でも鉄砲は使っておりまする」
福田殿は驚いた表情を浮かべる。
「ほう、それはそれは…。
まだ日ノ本ではそれほど出回ってないとおもててんけど…。
尾張では火薬とかどうしてはりますの?」
「いや、それがしは詳しく知り申さぬ」
内製しているなどと、今は言わないほうがいいだろうな。
「うちの店でも扱って居りますさかい、入り用な時にはぜひ声かけて下さい」
「ちなみに、一樽いくら程で売っているのでござろうか」
「大体このくらいですわ」
やはり、そのくらいするのか…。
値段を聞けば、とても戦で使おうなどとは思わない金額だった。
姫様も、戦で使うには内製は必須だと言っていたのがよくわかった。
「主に伝えておきまする。
つまり、日比屋殿は澳門と交易しているということにござるな」
「さようです。
火薬は一例で、火薬だけ扱っておるわけではありまへん。
南蛮人からの買い付け以外にも、呂宋から香辛料とか珍しい物を買い付ける事もありますのや。
備後守様がうちの店に訪ねるようにと言い張ったのは、外国の物が入り用なんと違いますか?」
案外、この店ですべて済んでしまうかもしれないな。
「いかにも。
我が主が手に入れたいものは、六分儀、羅針盤。
それに、それらを使える航海士を雇いたい」
福田殿は驚いた表情を浮かべる。
「六分儀に羅針盤…。
また珍しい物がご入用で。
それに、航海士。
航海士は南蛮人と明国人、どっちがよろしゅうおますか」
「どちらでも構いませぬ」
「承りましたで。
ただ、遠い海の向こうでの商いやさかい、時間は見といてください」
「心得た。それと、手ぶらでは福田殿も交渉し辛いでござろう。
骨折りしてもらうのもあるのでな、これを南蛮人に売ってもらえないか」
そう言うと、持参した木箱を開けて中から品物を一つ取り出す。
中から出て来たのは飾りガラスのゴブレット。
それを見て、福田殿は目を丸くする。
「こ、これは…
ビードロやおまへんか」
「そう、ビードロの湯呑だ」
そう言って福田殿に手渡すと、福田殿は恐る恐る手にとって品を確認する。
「見事な細工でんな…。
これをいくらで売りはりたいんで」
「これがいくらで売れるのも調べてきてほしい。
高く売れれば、六分儀や羅針盤の買い付け費用の足しにもなるだろう。
ああ福田殿、手元のその湯呑は近づきの印に一つ差し上げる」
「え?
ええんですか?
こんなええものもろてしもてええんですか?」
「ええ。
主よりそうせよと、預かってきた品でござる」
「そ、そうでっか…。
では、おおきに。
しかし、こんなええものもろたら、がんばらんとあきまへんな。
今後ともよろしゅうたのんます」
「こちらこそ」
「あと、この手紙を託したい。
主が言うには、堺にそろそろ南蛮人が訪ねてきてもおかしくない頃であろうから、ザビエルという南蛮人が訪ねてきたら此の書状を渡してほしい、との事だ」
「承りましたで。
訪ねて来たらきっと渡しますさかい」
「うむ。頼む。
福田殿も、そのうち尾張の国を訪ねてきてくれ」
「へい。かならず伺います」
福田殿はそう言いながら、私から受け取った木箱の中にまだいくつもゴブレットが入っているのを見て目を丸くした。
帰りは店主自ら外までお見送りだった。
姫様に言われたとおりにしたが、果たしてこれでよかったのかはわからない。
日比屋を辞すると、茶店に入って孫助殿とトーレスに関する話をした。
すると、もう少ししたらまた琉球へ鈴木党の船を出す予定があるから、その時に平戸に寄ることもできるという。
ならばと、トーレス宛の手紙を孫助殿に預けた。
いずれにせよ、船を出すのは一度尾張に戻ってからになるようだ。
茶屋を出るとそろそろ昼餉の時間だからか、通りは人でごった返しまるで祭りの様な有様だ。
津島も活気ある街であるが、ここまで人でごった返すことはない。
やはり、人口がこちらのほうがずっと多いのだろう。
どこかに入って昼餉を取るかと話をしていたら、人混みに紛れて他の同行者が見えなくってしまった。
声を上げるにも、喧騒が凄く声が通りそうにもない。
ひとまず人混みから外に出ようと、人波に流されるようにして往来の外れに身体を動かすと、押し出されるようにして人気の無い路地の様なところに紛れ込んだ。
「しまったな…」
このまま再びこの人混みにまぎれてはかえって余計にはぐれそうだ。
それよりは、この路地を抜けて別の通りに出るべきか。
そう思って、路地を奥に歩いていくと、不意に背中に誰かがぶつかった。
それと同時に、背中に鋭い痛みが走った。
「な?!」
手をやるとべっとりと血がついているのが見えた。
どうやら刺されたらしい…。
「あんたに恨みは無いが、悪く思うなよ」
そう言い残すと、俺を刺したらしい男は人混みへと紛れ込んで消えた。
路地が薄暗く、相手が誰かもわからなかった。
どうして良いかわからず考えを巡らせるが頭が混乱して全く働かなかった。
そうしているうちに身体に力が入らなくなってきて、視野狭窄が始まる。
再び死を迎えるのか…。
眼の前が真っ暗に、そしてただ寒い…。
こんなところで死ぬわけには行かないのに。
俺を拾い上げてくれた姫様の笑顔がまぶたに浮かぶ。
「姫様…」
そして、身重の梓の姿がまぶたに浮かぶ。
まだ死ねない。生きて戻らなければ…。
だが、もう真っ暗て何も見えない。
「梓……」
俺は、消え行く意識の中で、またどこかに転生するのかなとふと思った。