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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第五章 天文十八年 (天文十八年1549)
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第百五十九話 滝川殿の帰還

滝川殿が帰ってきました。





『滝川殿の帰還』



天文十八年一月下旬、国元へ帰っていた滝川殿が戻ってきました。


予定ではもう少し早く帰る予定だったようですが、国元での用事が長引いたり雪の関係で直ぐには戻れなかった様です。


少々心配していたのですが、無事戻ってきて何よりです。


久しぶりに帰って来た滝川殿は、ちょっと雰囲気が変わった気がしますね…。


「滝川殿、予定を過ぎても戻らないので心配していました。

 兎も角、息災に戻って来てくれて何よりです。

 国元は如何でしたか」


「姫様、ご心配をおかけし申し訳ござりませぬ。

 久しぶりに国元の方、見て参りました。

 

 ところで姫様、いきなり不躾に御座りまするが、人払いして頂いても構いませぬか」


真剣な面持ちで人払いを願い出ます。

これ迄滝川殿が傍仕えしてきて、こういうケースは初めてですが…。


多分、何か理由があるのでしょう。

人払いしなければ話せない何かが…。


「わかりました。

 千代女さん、少々人払いしてください」

 

「はい」


千代女さんが部屋から出ていくと、暫くして人の気配が遠ざかります。


「さて、人払いしましたよ」


滝川殿は用心深く周囲を注意する様に視線を走らせた後、懐から包みを取り出します。


「姫、わが父よりの書状に御座ります」


そういうと、少しにじり寄り私に書状を渡してきます。


「まずはご一読下さりませ」


「わかりました」


包みを外すと、中に手紙が入っていました。


早速と手紙を取り出し、中に目を通します。


私は、手紙を読み進めるにつれ、我が目を疑いました。

しかし、それと同時にこれまでの出来事に付いて妙に腑に落ちたところもあったのです。


ただ、一言で言えばその手紙の内容は私にとって驚愕でしかありませんでした。



そう、なんと言えばいいのか、まず目の前の滝川殿は滝川殿では無かったのです。

しかし、その手紙の内容はそれすら些事だと思えるほどの内容…。


そもそも、私如き小娘に手紙を書く筈がない人物からの手紙でした。


しかしあて先は、確かに私でした。


「吉殿」から始まるその手紙は、何処となく懐かしい雰囲気の文面でありましたが、差出人は何と近江守護である六角定頼様だったのです。そして手紙には「自分は転生者である」と書かれていたのです…。


定頼様は、前世で知った知識でも正に英君と呼ぶにふさわしい人物であり、私が商人などから伝え聞いた話では、後の世に伝わった数々の逸話は全て事実、或いはそれ以上だという裏付けとなる話でした。


後の世に伝わる信長がやったと言われる先進的な政策である楽市楽座や関所の廃止、或いは街道の整備や商業の活性化等は、ほぼ定頼様の模倣でないかと思えるほどです。

現在の観音寺の城下町はさながら京の都以上の賑わいだと、布施屋さんからも聞きました。

更に鉄砲隊や常備軍まで備えた今の六角家を築いたのは定頼様なのです。


私は、鉄砲隊位は持っていると思っていました。何しろ近江は鉄砲鍛冶でも有名ですし、六角家は豊かですからね。

しかし、常備軍迄備えているとは思いませんでした。

布施屋さんからその話を聞いたとき、定頼様の片腕に転生者でも居るのかと思ったほどです。

正にリアルチートな人物だと、そう思ったのです。


ですが、まさかその当人が本当に転生者だったとは…。


しかし定頼様の方は、私が転生者だと見抜いて居ました。

そしてずっと、私の事を見守っていたのです。


滝川殿を通じて。


その滝川彦右衛門殿は正しくは滝川彦右衛門殿ではありませんでした。


滝川家自体は六角家の被官で、今もそうです。

滝川殿はその六角家の被官滝川家の名前を借り、実在する滝川彦右衛門に成りすまして尾張の視察に来ていたそうです。

その時、たまたま私を見つけた様です。


そして滝川殿から「とても変わった娘が居る」そう報告を受けた定頼様は、その報告内容から私を転生者だと見抜き、そのまま滝川殿を私の傍仕えとして私の動向を定期的に報告させながらずっと見守って来たのだと。


手紙には平成の香りのする暖かさがにじみ出る文面でそう書かれていました。


そんな滝川殿の本当の名は「六角五郎義頼」。定頼様の次男であり庶子だそうです。

信広兄上の様な立場なのでしょうか。


五郎殿は元服した後、滝川彦右衛門として諸国を回り武者修行をしながら見聞を広め、その一方で定頼様の目や耳として諸国の情勢を報告しながら旅をしていたそうです。


そして偶々訪れた尾張で、大きな評判になっている講話を聴きに訪れた寺で私を見つけたと。


これはある意味、運命的な出会いなのでしょうか…。


定頼様の手紙には「五郎は引き続き滝川彦右衛門として吉殿に仕えさせてほしい」と書かれていましたが、庶子とはいえ六角家の次男を私の傍仕えなどにしておいて良いのでしょうか…。


そして何故、定頼様がその素性を今明かしたのかに関しては、織田家が伊勢に手を入れようとしていると知ったからだそうです。

この情報は五郎殿が報告したのでしょう。そういう意味では五郎殿は〝六角家の間者〟ともいえるのでしょうね。


しかし手紙には、六角家は武衛家が伊勢を平定し商圏を拡大する事を容認する、と書かれていました。つまり、六角家としては武衛家、つまり織田家と伊勢で事を構える気は全く無いし、むしろ安定した商圏の拡大は、定頼様としても願ってもいない事の様です。

だから、私にも六角家と敵対などしないように動いてほしいと、そういう話でした。

勿論、伊勢に関しては六角家は介入も関与もしないとも書かれてありました。


そして手紙の最後の方に、定頼様が転生者としてこの時代に目覚めてからこれ迄経験した数々の苦労談が綴られて居ました。

近江守護家に産まれ、最初は寺で過ごし後に還俗して六角家を継ぎ、それからはもてる知識を活かし、懸命に生きて来たと。

とはいえ、定頼様の前世はただの小説家に過ぎず、専門的な知識も限られており、何かやるにも生半可な知識では結局何もできなかったそうです。

後に、私の事を聞き息子の嫁に欲しいとも思ったそうです。ただ、その後織田弾正忠家の姫と聞き諦めたとも。

その代わり自分の子であり、また自分にとって一番信頼のおける五郎殿を私に傍仕えさせて、その動向を把握しながら見守らせたのだと。

また、実は自分は六角定頼と言う人物については全く知らなかったので、小説を読んで知っていた信長の代表的な政策を思い出しながら楽市楽座を開いたり、関所の開放や街道整備、商業の活性化などを行ったところ、こちらの方はうまくいったとも書かれてありました。


自分は既に六十前であり、身体も以前ほど壮健とは言えない。

願わくば一度会って話をしてみたいが、立場的に難しいだろう。

息子は嫡男の四郎も五郎も転生者ではなく、後継者の四郎が自分の方針を引き継ぐかどうかは分からないが、少なくとも自分が生きている間は六角家は吉姫の味方なので安心して欲しい、そう手紙は締めくくられていました。


定頼様は孤立無援の中、一人「六角定頼」として何とか生き抜いてきたのでしょう。

こうなっては、定頼様の優れた内政は信長がオリジナルなのかどうかわからなくなりますね。

しかし、現実に観音寺の城下は京の都を凌ぐほどの発展ぶりで、定頼様は英君と名高いのです。

これは、定頼様の努力が結実した結果なのですから、模倣かどうかは問題ではないようにも感じますね。


私もぜひ会って話をしてみたい。

でも、流石に近江の守護様に会うなど、現実的ではありません。


とはいえ、これで北伊勢を平定できれば観音寺、つまり南近江まで商圏が拡大されるという事ですね。




私は手紙を読み終えると、思わず大きなため息をついてしまいました。

恥ずかしさのあまり、口元を隠しながら滝川殿、いえ六角五郎殿に視線を移します。


「姫様、これ迄名を偽って居た事、申し訳ござりませぬ…」


これで何故五郎殿が常にせっせとメモを取っていたのか、理由がはっきりしました。

本人が見聞を広めるという意味もあったでしょうが、定頼様へ報告する為でもあったわけです…。


とはいえ、折角巡り合った転生者、それもあの定頼様です。

ここでその糸を切ってしまうのはダメだと思うのです…。


「正直、驚きました…。

 しかし、私の事をずっと見守って居てくれていたのですね」


「はっ。

 しかしそれがしの、姫様のお話に感銘を受けたという言葉に嘘偽りは御座りませぬ。

 何卒これまで通り、滝川彦右衛門としておそばに置いて頂けませぬか…」


そういうと平伏します。


「私も、定頼様の政治には常々感銘を受けていました。

 会う事は叶わないでしょうが、手紙のやり取り位は出来るのでしょう?」


「はっ、出来まする」


「では、私も定頼様に返書を書きますから、届けてください。

 五郎殿は、これまで通り滝川彦右衛門殿として傍仕えしてください」


「承りました。

 ありがとうござりまする…」



こうして、私は定頼様に返書をしたため届けて貰いました。

簡単にではありますが、こちらの状況と、そして伊勢平定後は観音寺まで街道を整備し、商圏を広げる協力をする事などを書き記しました。


しかし、リアルチートな定頼様が私と同じ転生者だった、というオチとは。

残念なのは既に高齢でいらっしゃることですね…。

史実だと、あと数年で亡くなられたはず。

平成の感覚だとまだまだこれからという年齢ではあるのですが…。


一体どんな方なのでしょう。





やっと、初期プロットからの設定の一つが消化出来ました。

滝川殿登場の時、まさかこんなに掛かるとは想像もしませんでしたね…。

義頼さんは有名なろう小説の義頼殿では無くて、史実にも少しだけ名前が出る程度で殆ど記録の残らない次男義頼さんです。

多分、母親の身分が低くて嫡流としては扱われず、信広みたいな扱いだったのかなと。

そういう人物なので定頼様の為に諸国を回り情勢報告をして回るうちに吉姫発見、傍仕えを命じられる。

みたいな感じに使わせてもらいました。

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