第十八話 牛さんがやってきた。モウモウ。
吉姫のもとに牛さんがやってきました。
『牛さんがやってきた』
最近、どうも人に見られてる気がするのです。
気のせいかもしれないけど、何故か視線を感じるのです。
もしかして、ストーカーに付きまとわれてるのでしょうか。
そんな風に感じてたら、滝川殿が屋敷の周りで中をしきりに覗いてる不審な男を見つけたとかで、屋敷の中に連行してきた。
滝川殿と同じくらいの年齢のその人は、下級武士といった風体で、大小の他に行李を身に着けていて、大小は既に滝川殿が没収済み。
屋敷の皆の前に引き出されたその人は、それがしは決して怪しいものでは御座らんと、釈明するのですが、屋敷の中を外から覗いてるってどう見ても怪しい。
何者か聞くと、拙者は守護様の家臣で太田又七郎という者で御座ると答えた。
女中さんが守護様の名を騙るとは不届きな奴、この屋敷を織田弾正忠の屋敷と知っての狼藉かと激おこです。ちなみにこの屋敷の女中さんは殆どが皆武家の娘さんです。
そんな時、騒ぎを聞きつけたのか柴田権六殿がふらりと訪れました。
権六殿にこの男が屋敷を覗いていたと、話すと、権六殿は何ですと!と怒り出し、男の前に立ったが、その顔を見るなり、太田殿では御座らぬか、なんでここにこうして居られる?と呆れ顔で訊ねます。
権六殿に、この男を知っているのか聞いてみると、なんでもこの男は守護の斯波武衛様の家臣なのだとか。
家臣と言っても、末席に連なる下級武士ではあるらしいのですが…。
ここで、私はふと思い出しました。
武衛様の家臣で太田というと…。牛さん?つまり、太田牛一?
そうきくとなんとなく腑に落ちたような気が…。
権六殿に問われて、太田殿はなんでも、斯波武衛様に備後殿に変わり者の娘が居るから、どんな女子か見て参れと言われたのだとか…。
あれま、お気の毒…。
それを聞いて権六殿は呆れ顔で溜息をつき、滝川殿はこれまたヤレヤレという顔。
女中さん達も呆れて、仕事に戻っていったのだった。
疑いが晴れた?太田殿はよっこらせと立ち上がり、着物をパンパンと叩き、にっこり微笑むと、滝川殿から大小を受取り、早速とばかりに、そういうことですから、武衛様に報告せねばならぬので、ちょっと話を聞かせて下さいー。と。
それを聞いて、権六殿は姫様、此奴に関わると根掘り葉掘り聞かれて鬱陶しいだけですぞ。と、忠告。
それを聞いた太田殿は、鬱陶しいとはツレナイですな。権六殿の美濃攻めでのご活躍、しっかりと拙者が記録しておりますぞ。武衛様も大層喜んで読まれておりました。
というと、またニッコリ。
この人は天性のメモ魔だったという記録が残ってるけど、元々は立場上、あまり城を離れられない武衛様に合戦での出来事など、色々な出来事を知らせるのが始まりだったのかな?なんて事を思ったりした。
それならまあ、少しくらい話ししても良いかなあ。どうせ信長は居ないのだから、信長公記は書かれないわけだし、守護様の暇つぶしの助けになるなら、父の覚えも目出度くなるだろう。
やはり、この時代って権威は大事なのです。
太田殿に、わかりました。ではちょっとお話しましょうか。
その前に、こちらで喉を潤して下さい。と、焼酎をパス。
太田殿はほう、お酒ですか。気が効きますな。と上機嫌。
そして、グビリとこの時代の普通のお酒のノリで飲んでしまいました。
途端、ブハッと息を吐き出し、こ、これはキツうござるな。と目を白黒。
権六殿がそのさまが面白かったのか笑いだし、それは焼酎という新しいお酒よ。
随分強い酒ゆえ、そんな風に飲むと喉が焼けるような気分だろう。と話す。
太田殿は、それで焼酎と…。と、早速筆を走らせる。
もしかして、その新しいお酒は吉殿が作ったので…?
権六殿が上機嫌で、そうよこの吉姫が作ったお酒よ。と自慢げに話す。
なんだか権六殿の手柄みたいに話してます。
太田殿がふむふむと筆を走らせる。
そして、私に向き直り、では早速吉殿の事、少しお話いただいても?
というので、私は父備後守の長女で吉と言います。
先日裳着を済ませたばかりで十二です。と話をすると、太田殿がびっくり。
なんと、未だ十二でござったか、てっきり十五、六だとばかり。
見えませぬな…。と…。
なんと、私はそんな歳に見られてるのか、とちょっとショック…。
そんな私をよそに、太田殿が、それで吉殿はこの焼酎もそうですが、何処でこのような知識を得られたのです?と聞くだろうなと思ったことを聞いてきた。
私はいつものことながら、父と祖父の遺してくれた書庫を使わせて貰ってるので、そこにある漢書を見て学びました。と答えた。
太田殿は、ほうほう漢書ですか。吉殿は漢書も読めるのですな。それは凄いでござる。
確かに拙者も中国には強いお酒があると、小耳に挟んだことが御座るよ。と答える。
多分、白酒とかあのへんの蒸留酒のことかなあと、頭を巡らせる。
そして、吉殿は快川和尚のお寺に通われてると聞いたのですが、なんでも講義をされてるとか。十二で講義をしているというのも凄いですが、どんな講義をされてるので?
この人は来たことが無かったか。
私は、三国志とか史記の解説とか、昔の合戦の話とか、まつりごとの話とか、その日の希望を聞いて色んなことを講義してますよ。と、当たり障りなく答えた。
権六殿も居るし、ここで適当な事は言えないので…。
太田殿は、ふむふむ。今度拙者も聞かせてもらいに行っても?と言うので、今は七日に一度だけですが、身分年齢問わず自由に聞くことが出来ますよ。と答えた。
太田殿はそれを聞いてニンマリしておおそれは良いですな。と。
それでは、今日はこの辺にしますが、武衛様の命故、ずっとではござらんが、何かの折にご一緒させて頂く事があるやも知れませぬが、よろしゅう御座るか?
それを聞いて、権六殿があからさまに渋い顔。滝川殿もジロりと太田殿を睨めつけたのが見えた。
でも、これを断っても隠れてついてくるかも知れないし、父経由で正式に武衛様から話が来たら、そういうことはめったにないことだけど、多分断れない…?
私は、まあそう言うなら便利に使わせてもらいましょうとも。と、割り切ることにしたのだった。
わかりました。太田殿も忙しいでしょうが、来られたら無碍にするようなことはいたしませんよ。と、答えた。
それを聞いて、太田殿はパッと表情が明るくなり、そうで御座るか。それではよろしくお願い申す。と言い、では拙者はこのへんでと足早に去っていった。
太田殿が帰ってから、権六殿が姫様、本当によろしいので?私はご忠告しましたよ。
と、やれやれという表情で話す。
私は、ご忠告は頂きましたよ。でも、武衛様の家臣ですから、無碍なことは出来ませんので。と答えた。
すると、権六殿も何かを察したのか、溜息をつくと、そうですな…。と。
そんなわけで、牛さんが来るようになったのでござる。
さて、牛一さん登場です。信長公記は出ませんが、吉姫記なんでのが書かれたらネタ本必至ですね。
記録作家として後世で評価される筈の牛一さんがネタ作家扱いになってしまいます。