第百五十五話 天文十八年 清洲での元旦
年が明けて天文十八年になりました。
『天文十八年正月』
激動の天文十七年が終わり、新たな年が始まりました。
天文十八年、ユリウス暦だと千五百四十九年です。
今年はそういえばフランシスコ・ザビエルが七月ごろに日本に渡来したと伝わる年ですね。
そして、史実なら最後の安祥合戦も今年あって兄信広が捕縛され尾張勢は総崩れで三河を失った筈です。
ですが、去年遠江まで平定し、今川と盟を結びましたからもうこのイベントは起こらないでしょう。
そんなわけで、私は数えで十六歳になりました。
史実だと信長は既に結婚してますが、私にはまだ輿入れの話はありません。
今年はこれまでと異なり、清洲の屋敷で早朝に家族で年賀の挨拶を交わした後、父は朝から守護館の方で執り行われる守護様の元旦の祝賀に出向いています。
守護館は川を挟んで隣なのですぐ近くなのです。
午後からはこちらに戻ってきて、年賀の挨拶に来訪するお客の対応をする様です。
私はというと、今日は家族と過ごし明日は早朝に清洲を出て古渡の屋敷で年賀の挨拶に来てくれる人の対応をする予定です。
去年迄は兄が年賀には尾張に帰ってきていたのですが、今年は織田大和守家に養子入りしたので三河の守護代家としての年賀を過ごすようでこちらには戻らないと手紙が来ました。
そうそう、今年は家族と元日を過ごすので、弟たちや侍女の人たちと一緒に遊べるように、遊具を色々用意しました。
一つは、かるたですね。
実はこの時代にもあるだろうと思って出入りの商人に聞いたら、そう言う物は聞いたことが無いとかで、仕方がないので自作しました。
文言は定番なもので、犬も歩けば棒にあたるとか、論より証拠とか、いわゆるいろはかるたですね。
他にも尾張から駿河までの街道沿いの宿場町を描いた、東海道双六とかも用意しました。
後は喜六に凧あげの凧をプレゼントしたら、何故か自分で上げる羽目になりましたよ。
遊具は皆結構好評で、年齢問わずみんなで楽しく遊べたと思います。
お陰で、元旦はあっという間に過ぎてしまいました。
元旦の祝賀を終えて屋敷に戻って来た父に今日の話をしたら、そんなに好評だったなら売ってみたらどうだって言われました。
商材にとは考えていなかったのですが、今度出入りの商人の人に相談してみましょう。
そういえば今年は滝川殿が一度国に帰るとかで、半月ほど暇を取って居ないのです。
半月って平成の御代の感覚だと長いように感じますが、歩いていきますし帰省先でも基本徒歩ですから、親戚周りとかしてたらのんびりしている暇もないでしょうね。
そして父が今年は輿入れの話が進むかもしれないという様な話をしていました。
直接私に話は無かったのですが、母が父に今年は腰を入れて考えるみたいな事を話したようです。
さて、どうなるんでしょうね。
個人的には新九郎様の処に輿入れ出来たらなんて考えた事もあるのです。
以前、祭りの時に颯爽と現れて助けてくれた王子様ですし、再会した時に運命的なものを感じましたし。
でも、帰蝶姫が史実とは相手が異なりますが、史実通り織田に嫁いでますし、帰蝶姫が嫁いだことで逆に私が新九郎様の許に輿入れする可能性は低くなった気がします。
父は新九郎様の事、武将として評価してるようですが美濃に輿入れとなると、すでに何度か申し入れがあった家とか、心中穏やかじゃないと思いますし…。
私が悩んでも仕方がないのですが。
今年はどんな年になるのでしょう。
信秀は忙しそうですが、吉姫は元旦を家族とのんびり過ごしたようです。