第百四十八話 守護代
先の甲斐信濃平定の論功行賞の締めの話です。
『守護代就任』
天文十七年十一月、秋も終わり雪こそ降っていませんが風景はすっかり冬模様です。
先の甲斐信濃平定、そして遠江での防衛戦での論功行賞など戦の後始末が一区切りした様です。今回の戦は村上殿との戦で那古野勢に少なからぬ手負い討ち死にが出たそうですが、全体で見れば死傷者が少ない戦だったそうです。
論功行賞の詳細は聞いてませんが、父の今回、そしてこれまでの功績に対して守護様から特にお話があった様です。
実質的に守護様の片腕となっている父ですが、立場は依然として織田大和守家の戦奉行でしかなく、守護様から見れば陪臣であり身分と立場が釣り合ってませんでした。
それは尾張の両守護代も気になっていたようで、守護様と話し合いの結果立場と身分の釣り合いを取ることになったのです。
それには、今回遠江を攻められたことも契機としてあったようで、まず岩倉の織田伊勢守家が尾張上四郡の守護代職を返上し、同時に新たに守護様より遠江の守護代に任じられ、遠江へ行くことになりました。
そして、織田大和守家の現当主の信友様は前当主の達勝様の養子なのですが、実家の織田因幡守家に戻り家を継ぐそうです。
織田因幡守家は後継者が無く、このままだと家が絶えてしまうので御実父の織田達広様が健在のうちに実家に戻ることになったのです。
ちなみに、織田因幡守家も尾張織田家の名家の一つです。
織田大和守家は前当主の達勝様が守護代に復帰し、その上で下四郡守護代職を返上し、同時に新たに三河守護代に任じられ三河に行くことになりました。
更に、兄の信広が跡継ぎの居ない達勝様の養子になり、大和守家を継ぐことになりました。
兄は庶子ではあるのですが、既にそれを無視できるほどの功績を幾つも上げて今や三河の英雄とも呼ばれており、達勝様も英雄を養子に迎えられる事は喜ばしいと仰られているそうです。
つまり、そう遠くない未来に兄の信広が三河守護代に就任するという事ですね。
そして空席となった尾張の守護代職に、新たに父信秀が任じられました。
これで名実ともに、武衛様の片腕として武衛様の領国を治めることになります。
そんな訳で、私は守護代様の娘となった訳なのですが…。
太田殿がこれまでは吉姫と私の事を呼んでいたのに、姫君と呼ぶようになったのです。
なんだか気持ちが悪いので以前通り吉姫と呼んでほしいのですけど…。
『末森へ』
十一月も末の頃、父の仕事が一段落したという事で末森に引っ越すことになりました。
引き続きこの屋敷も使うので、持って行く物は末森で暮らすのに必要な物くらいで荷物は多くはありませんが、馬車に積み込むと末森へと向かいました。
冬空の下、馬車は走り出します。
殆ど限られた場所にしか行ったことが無いので、道中に見える風景は初めて見る風景ばかりですが、窓から見える尾張の村々は活気があるように見えます。
この時代の尾張はまだまだ原野など原風景が多いですね。
末森に到着すると、新築特有の木の匂いが立ち込めています。
新築の城を見られるなんて平成の御代ではありえない話ですね。
母たちは既に屋敷で暮らし始めているそうで、早速挨拶に行きました。
「お母さま、久しぶりです。
今日からこちらで暮らしますが、よろしくお願いします」
「吉や、よく来ましたね。
母は貴女と同じ屋敷で暮らすのを楽しみにしていましたよ。
喜六、あなたの姉上ですよ」
そういうと、近くにいた男の子が駆け寄ってきます。
年のころは小学三、四年生位でしょうか?
女の子と見まがう位の美少年ですね。
母も美人ですが、やはり美人の母とイケメンの父の血を引くと美形が産まれるのでしょうか。
駆け寄ってくると抱き着いてきます。
「あねうえ!」
「喜六殿。
はじめまして、あなたの姉の吉ですよ」
そういうと抱き上げてあげます。
喜六は抱き上げられると思わなかったのか驚いた表情を浮かべます。
私は慌てて下ろします。
「喜六殿と会うのを楽しみにしていたので、嬉しさのあまり抱き上げてしまいました。
大丈夫ですか?」
そういわれると、悪い気はしないのか色白の頬をピンク色に染めます。
うんうん、愛い奴。
史実では元服して間もなく誤射で死んでしまうのだけど、この世界では長生きしてほしいですね。
「そして、この子があなたの妹の於市」
そういうと、乳母が赤子を抱いて近づいてきます。
眠っていましたが、可愛い赤ちゃんです。
この子が将来尾張では知られた美女に育つんだと思うと感慨深いです。
でも、この世界では近江に嫁には行かないかもしれませんね。
「お母さま、弟妹にあうのを楽しみにしていました。
これまで一人で暮らしてきましたが、これからは弟や妹達と一緒に暮らせてうれしく思います。
これからよろしくお願いします」
「おまえには不憫な事をしてしまいました。
輿入れまでの数年間でしょうが、母が果たしてこれなかった役目を果たせる時が来て嬉しく思います。
奥向きの事を何も知らぬまま輿入れさせる事になるのではと心配していたのです」
そうでした、私はこの時代の奥向きの事など何一つ知らないのでした…。
「はい。お母さま」
こうして、部屋は違いますが同じ屋敷の一つ屋根の下で家族と暮らす事になったのです。
信秀は守護代に就任し、尾張を治める立場になりました。
尾遠参三国は織田家が守護代を務めることになります。