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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第四章 激動の天文十七年(天文十七年1548)
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閑話六十九 武田信繁 寺にて

古渡で暮らしだした信繁の話です。





天文十七年十一月 武田信繁



尾張にやって来て十日余り、古渡での暮らしにも慣れてきたが、甲斐での暮らしとは比較にならぬな…。


甲斐は何年もの間不作続きで毎年の様に飢餓で死ぬ者が出る有様だというのに、尾張は逆に毎年のように石高が伸びておるという。

新しい農具が普及しており、一つの村の耕作面積が他国と比較にならぬのだとか。

我らはこんな国を侮っておったのだな…。


甲斐へと戻るまでの間に、新しい農具や農法の事、そして泥かぶれの対策法などを学ばねばならぬ。


しかしそれら新しい農具や農法を考え出し、更には泥かぶれの対策法について詳しいのは備後守様のご息女であるという。


初めて聞いたとき、儂は正直耳を疑ったが、この尾張では有名な話らしい。

なんでも〝賢姫〟とよばれておるのだとか…。


そこで、尾張で世話をしてくれておる者にも勧められたので、半信半疑ながら姫君が講義をしているという凌雲寺に行き、話を聞いてみることにしたのだ。


姫君が講義をしておるという日時を教えてもらい、その日に供の者らと寺を訪ねた。


古渡から馬車に乗せてもらい寺へと行ったのだが、初めて乗った馬車は道の整備が行き届いているのもあるのだろうが、ひどく揺れるという事も無く想像以上に快適であった。


恐らく車輪の取り付け方法に工夫があるのであろう。馬車に乗る前に少し見せてもらったが、見た事も無いような構造をしておった。


寺へ到着すると既に話を聞きに来た者達が講堂に集まっており、彼らは顔見知りなのか雑談を交わしておったが、その身分は様々。


流石に見るからにみすぼらしい恰好をしたものは居らぬが、身分ある御仁であろう武士も居れば下級武士と思しき者もおる。かといって武士ばかりかという訳でもなく、僧侶も居れば商人風の者など武士以外の者もおる。


それらの人々が立場など関係無いが如く気さくにざっくばらんに話しておるのだ。


その話の内容も他愛もない日常的な話もあれば、商いの動きの話や領地運営などの意見交換、或いは先の甲斐信濃など他国での戦の話など諸国情勢などの情報交換などもしておる様だ。


気になったので隣にいる者に、初めてここを尋ねた者だがここは如何なる場なのか教えて欲しい、と聞いてみれば、この場は節度は守らねばならぬが身分出自や年齢を問わず自由に話をして良いという場なのだそうだ。

その様な場がこの世に存在するのか、いや存在してよいのかと儂は耳を疑ったが、目の前の光景がそれが事実だと物語っていた。


気さくに語ってくれたその者にならばと詳しく聞けば、元々この寺は織田弾正忠家が建立した寺であり、また武衛様もたまに訪れるこの寺に構い無しのお墨付きを与えていて、武衛様の家臣筋の方も良く来ておられるのだと話してくれた。


これだけの様々な話が聞けるのであれば、他国の間者が紛れ込んで聞き耳を立てておるだけで情報収集の役目が果たせような。


或いはそれも狙いの一つやもしれぬ…。


その様な事を考えておったら周りの話声が収まっていき、ふと顔を上げると噂の吉姫が講堂に入って来た。


織田殿の姫は女子にしては背が高く年のころは二十位であろうか。しかし織田殿のご息女が二十過ぎても輿入れせぬというのも考えにくい。実際にはもっと若いのやもしれぬ。

しかし美しく、しかも一目で見る者を魅入る不思議な魅力がある。これ程の姫であれば縁談の話が皆無というのはあり得ぬだろう。

むしろ、尾張でも屈指の有力者の娘という事を考えれば縁談は断り切れぬほどあるのではないか。


理由はわからぬが武家の娘にしては珍しく、眉を落とさずお歯黒も付けておらぬ様だな。

しかしこの場の者は、誰もその様な事を気にも留めておらぬ。


そしていざ話が始まると、これが二十歳にもならぬであろう女子の話す事かと我が目と耳を疑った。


この日は商いにより銭がどのように動き、どの様に豊かになっていくかという話であった。

その話は分かりやすく、売り物を作る農民や職人の立場、物を扱う商人の立場、そしてそれらを治める領主の立場とそれぞれの立場に立って語られ、銭が如何に重要かという事がよく分かった。

この話を聞けば銭のやり取りは商人だけの話ではなく、その動きを把握することは農民であろうと、領主であろうと疎かにできぬという事がよくわかった。

この様な話は初めて聞く話であり、まさに目から鱗が落ちる思いであった。


目の前でこの様な話をする姫は本当に二十歳前なのであろうか。儂よりさらに歳を重ねた者だけが持ち得るような雰囲気を纏っていた。


確かにこれ程の内容の講義であれば、ここに若い者だけでなく年配の者まで来ておるというのがよくわかる。


一通りの話が終わると、話した内容に対する質問を受け、その問いに澱みなく答えていく。皆得心した顔をして居った。

今日の話に対する質問が終わると、話を聞きに来ておった者の中の一人が先の甲斐信濃の戦に関する質問を行った。


儂はいかなこれ程の話をする姫であろうと、つい先ごろ終わったばかりの戦の話など知らぬだろうと思っておったが…。

姫は武田の動き、対する斯波の動きとその理由について実に詳しく知っておった。


中には儂が窺い知らぬ話まで知っておったのだ…。


馬場民部は兄上が亡くなる間際の言葉を儂に話してくれた。儂はそれを思い出していた。

それはよもや武田は誘い込まれたのではないのかと。


儂は姫の話を聞き、それはあながち間違っては居らぬのではないかと思えた。

無論、武衛殿はその様なつもりは無かったろう。遠江を探らせた者の報告にも武衛殿は寛容をもって国人共を従える。その慈悲に縋れば皆所領安堵して貰える故争う必要が無いと。


儂から見ればそのような事をして甘い顔を見せれば国人らに舐められると思うのだが…。


結果、遠江は遠江の国人らに任され力を以て支配されると言うような事も無かった。


我らはそんな遠江が無防備に見えた故、攻めたのだ。

そして、遠江の国人らは自らの国を守るため皆で協力して戦い兵力に勝る武田を食い止めた。


まあそれは良い。我らの判断が誤っておったのだろう。

我らも懸命に戦ったが、そんな弱体に見えた遠江の国人らを攻め切れなんだ。

いつもなれば有効であった調略にも結局どの家も乗らなんだのだ。

みな武衛殿の治世を望んでおったのだろう。


だが、兄上が誘い込まれたのではないかと感じたのは、武田が動いた後の周到さだ。

武田と斯波はこれまで特に遺恨も無かった筈であり、国も接しては居らぬのだ。


それが、待ち構えていたとばかりに、遠江では糧の手を断つというような普通では考えられぬような策を用い、平地に陣地を作り我らを誘い込んで野戦に見せかけた攻城戦にて敗退せしめた。


そればかりでなく、我らの気づかぬ内に準備しておった三河勢が、信濃への入り口である犬居の地へと軍勢を送り込み、伏せて敗走する我らを待ち受けておった。


更には我らの留守を待ち受けておったのかの様に、尾張勢が美濃を経由して道すがら軍勢を増やしながら信濃を瞬く間に平定した。あまりの手際の良さは事前に調略や根回しがあったのは明らかであろう。


信濃は簡単に平定されすぐさま甲斐に大軍を以て雪崩れ込み、それ程の大軍なれば勢いのまま甲斐全土を落とす事も出来たであろうに、それもせず甲府の街を囲むだけにとどめた。

そして、我らの軍勢が敗れる事を知っておったかのように、儂の到着を待って留守居の信廉に開城させたのだ。


聞けば戦であれば当たり前の乱取りや街を焼く様な事を甲斐でせなんだのは、遺恨を残すような事をしたくなかったからだという。

つまり、戦が始まる前に既に平定後の事も考えておったという事だ。


お陰で甲斐の民らの武衛家や織田殿に対する感情は悪くない。無論、戦ゆえ遠江で討ち死にして戻れなんだ者も多い。

だが、甲斐が攻めた戦だという事は皆知っておるのだ。攻めて負けた側である甲斐に寛容と慈悲を以て武田家すら取り潰すことなく、飢える民には食料が分け与えられたのだ。

これで靡かぬ民は居るまい。

長く治めてきた武田家は依然として甲斐にあるが、これではもはや斯波家が治めておるようなものだ…。


これら全てが余りにも周到に過ぎるのではないか。

儂はそう感じたのだ。


恐らく兄上もいまわの際にそこに思い至ったのであろう…。


そして、それらを話して聞かせられるこの姫は一体何者なのであろうか。

笑みを絶やさぬ優し気な姫は皆に慕われておる様に見える。


だが、戦上手と名高き織田殿にこの大がかりな策を授け、用意周到に準備させたのはもしやこの姫なのではないのか…。


そう考えれば、目の前のこの姫は兄上を死に追いやった仇ではないのかと…。

そう思い至ったが、この姫に憎しみの感情は起きなかった。


仮にそうだったとしても、姫は遠江を守るために献策したにすぎぬ。

故意に遠江を無防備にしたわけでもない。

それを無防備と思い込んで攻めたのは我らであり、何かの可能性に備えている事はむしろ賞賛されるべき事だ。


これ程の姫が我が妹に居れば…、甲斐も豊かになったであろうに。

一瞬ふとそんな風な事を考えたが、我が武田の家に居ったとしても、その才能が花開く事は無かったろう。


これ程の異能者の才を花開かせ活かす事が出来る様な者は武田には居らず、またそんな御仁はそうは居るまい。

改めて織田殿の器量は底が知れぬと感じたわ。






信繁自体が聡明な人物ですから色んな事に気が付きます。

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