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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第四章 激動の天文十七年(天文十七年1548)
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第百四十六話 太田殿の来訪

戦が終わって帰還してきて、いまだ戦後の後始末が終わっていない状況ですが、早々と太田殿がやってきます。







『甲斐攻めの顛末』



天文十七年十一月、早いものでもう十一月すっかり寒くなりました。

前世ではまだ十一月頃ならばそこまで寒くは感じなかったのですが、この時代の十一月は雪こそ降りませんが十分に寒いです。


この時期になるといつも平成の御代には当たり前にあったセーターやダウンなど暖かい服が恋しくなりますね。


信濃に行っていた加藤殿からある程度の話を聞いたのですが、尾張から出陣して行った軍勢は村上氏との戦以外は大きな戦もなく、留守宅に押し掛ける様に信濃を平定し、甲斐も平定してしまったと。


そして、遠江に攻め込んだ武田の軍勢は鈴木殿からの報告に有った通り、匂坂で武田が攻めきれずしかも総大将が撃たれてしまったので撤退し、犬居の地で待ち受けていた三河勢と合戦になったが、飢餓と疲弊の極みの武田の軍勢は精彩を欠き、陣形を組む暇も力もなく三河の軍勢に包まれ、そして遠江からの後詰によって来た道も塞がれて完全に包囲されてしまい、進退窮まって降伏したと。


武田の軍勢が実質的に消えてなくなった結果、父の軍勢に包囲されていた武田の本拠も開城して降伏し、これにて一件落着。


と相成ったわけですね。


匂坂の戦で鈴木殿の狙撃で腹部を撃たれていたのは、やはり武田晴信殿でした。この時代の一般的な医療知識では手当てすることもままならず、残念ながら甲府を前に亡くなったそうです。

これでこの世界では信玄という名は存在しなくなってしまいましたね。


でもこの世界って謙信も居ないんですが、この世界の正史だと武田ってどうなったんでしょうね。

佐吉さんに聞いてみたのですが、歴史オンチなのでよく知らないそうです。


で…。


今、目の前に居るのが太田殿という訳です。


「太田殿、今回の戦でも大手柄を立てられたそうで、無事の生還も併せてお慶び申し上げます」


「気遣い忝く。

 此度も大いに活躍した故、守護様より直々にお褒めの言葉と共に感状を頂いたでござる。

 

 備後守殿も拙者の活躍ぶりを、比類なき弓名人也、と賞賛して下さった」


「ええ、太田殿のご活躍は鈴木殿からもしっかりお聞きしています。

 大勢の甲斐の武将らを手負いにして、追い払ったと。

 更には、太田殿が育てた弩弓隊もかなりの活躍だったと聞きましたよ」

 

「左様。

 一時はどうなるかと思ったのでござるが、思いのほか弩弓というのは習得が早く、それに近くであればよく当たる故、あのような守り戦では特に有用でござった。

 

 弩弓兵には武家の部屋住みの者らを集めたのでござるが、皆手柄に飢えておったのか鍛錬にもよく取り組み良き働きをしたのでござるよ。

 そして、此度勾坂を守り通したという手柄を立てた故、弩弓隊にも守護様より直々のお言葉を頂戴し、更には感状まで頂いたのでござる。

 今しばらくは彼らに弩弓衆として働いてもらうつもりでござるが、いずれ名をあげ身を立てる者も出るやも」

 

「それはそれは。

 そう度々戦があっても困るのですが、何やら不穏な話も聞きますからね…」


太田殿はそれを聞き苦笑いする。


「ほう。

 もう吉姫の耳にも入ってござったか。

 相変わらずの早耳にござるな。

 

 左様、守護様の元へ伊勢の桑名の商人共が庇護を求めて参ったのでござる。


 備後守殿の言われる、いや吉姫の言うところの商圏拡大のお陰で伊勢の商人は陸は近江、海で堺など畿内と繋がる立地故大いに繁盛しておるそうなのでござるが、それを見た伊勢の国人共が矢銭を寄こせと度々要求し、渋ると兵を出して威圧する有様。


 まだ攻め入っては来ておらぬそうだが、これでは安心して商売が出来ぬと」


「ええ、そうでしょうね。


 私たちとしても、せっかく伊勢まで広がった商圏が伊勢の国人らの邪魔で阻害されるというのは好ましくありません。

 

 そして、庇護を求めてきたものを相手にしないというのは、武衛様としても外聞が悪いでしょう」


「如何にも。

 此度は甲斐武田が遠江に攻めて参った故、武田を退治するのが先でござったが、伊勢をこのままにしておくわけにも参らぬ」


「伊勢というと、南に国司の北畠晴具様が治める五郡があり、北部八郡は長野工藤氏と関氏、そして北勢四十八家と呼ばれる国人衆で支配しているのでしたね。

 そして、矢銭を要求してきているのがその北勢四十八家の国人らだと聞きました」

 

太田殿は頷きます。


「守護様は備後守殿にも諮られ、甲斐信濃での戦があった故、一先ず静観という事でござったが。

 その戦も終わった故そろそろでござるな」


「ええ。

 でもすぐにという訳ではないでしょう。

 実の所、商圏が拡大し商いが伸びれば矢銭を度々要求しなくとも、いろんな形で潤っていくので自分達の懐具合も自然と豊かになるものなのですが。でもそれが理解できるのは、恐らくいつの間にか自分達の羽振りが良くなっていると気が付いたその時でしょうから、今我らが幾ら言葉を尽くして語っても解ってくれないでしょう。


 そう言えば、北勢四十八家は一つ一つでは簡単に滅ぼされてしまうので、四十八家のどこかの家が攻められた時は纏まって動くという暗黙の了解があると聞きました。


 つまりは四十八家の内の、商人を矢銭で苦しめている国人だけを攻めたとしても、残りの国人衆が纏まって後詰に来る可能性が高いという事です」

 

 

「でござろうな。

 その話であれば拙者も聞いたことがござる。

 

 されば、吉姫ならどう攻めるのでござる?」

 

「そうですね。

 ある家が我らと付き合いのある商人に害為すからと攻めたとしても、残りの四十七家が団結して後詰すれば面倒です。

 

 ですから、利を示して一家ずつ調略していき、最終的に従属を拒んだ家を速戦にて落としてしまうのです。

 でも恐らくは、大きな家を調略すれば他は雪崩を打って臣従して来ると思います。

 結局、国人は家を残すのが一番大事なのですから。

 

 とはいえ、長野工藤氏や関氏、そして勿論北畠氏とまで戦になると厄介です。

 上手く刺激しない様に絡めとる必要があるでしょうね」

 

「ふむふむ。

 なるほど、これは良き話を聞いたでござる。

 

 さて、それでは拙者は用事も済んだ故、これで暇致す。

 では御免」


そういうと、太田殿は慌ただしく帰っていったのでした。


太田殿の用事とはいったい何だったのでしょうね。



未だ戦雲は完全には晴れません。

太田殿は通称牛さんなのですが、戦のたびに功を上げて結構偉い人になっているので牛さん呼ばわりはしなくなってます。


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