閑話六十五 真田幸綱 甲斐攻め
信濃を平定した軍勢は甲斐へと軍を進めます。
天文十七年十月 真田幸綱
備後守様は見事信濃を平定され、約束通り我らの本貫である小県郡を取り返して安堵下さり、真田家も約束通り備後守様の家臣としてお仕えすることになった。
それにしても武田の主力が不在の甲斐を攻めるという、この備後守様の策には驚かされる。
遠江、三河、尾張の軍勢がそれぞれに役目をもって同時に動いておるというのだ。
我らの軍勢は諏訪の上原城下で軍を整えると、甲斐に進軍する為甲州街道を南下する。
甲斐に入ると領内には城は少なく我らを遮る軍勢もなく、甲州街道を更に南下すると武田家の本拠地である甲府に到着した。
四万の軍勢は甲府の町を包囲する様に陣を張ると、躑躅ヶ崎館へと軍使を派遣した。
恐らく武田の留守居の軍勢は多くとも二千も居らず、我らに野戦を挑むことはせぬだろう。
暫くして軍使が戻って来た。
報告によれば甲府の町には人気なく、躑躅ヶ崎館ももぬけの殻であったそうだ。
どうやら詰城の要害城へ避難し籠城しておるらしい。
要害城は山の尾根に作られた南北に長く続く強固な山城であり、二千の兵で守っているとするならばこれを落とすのは容易ではない。
そこで軍使を要害城へと派遣したところ、やはり武田勢はこの城に籠っており、降伏を拒絶し軍使を追い返した。
要害山は大手から主郭まで全部で八つの門と郭が連なる城であり、攻めるとなれば大手からか、搦め手からとなる。
更に、谷を挟んで南側にも熊城という支城がある。
ここまでは城攻めらしい城攻めもなく今に至ったのであるが、備後守様は如何攻めるのであろうか。
ところが、備後守様はこのまま城を囲んだままで攻めぬと仰る。
もうすぐ武田の主力との決着がつくであろうから、その結果を要害城に突き付けて再度開城を迫るというのだ。
確かに、それで開城すれば無用な人死にを出さずとも済むであろう。
信秀が取った策は武田の主力との決着を待つでした。