閑話六十三 柴田権六 村上攻め
柴田権六視点で村上勢との戦の話です。
天文十七年十月 柴田権六
吉姫様の下でのお役目を離れて早半年、嫡男信勝様の家老を任され、那古野に出仕するようになってからすっかり疎遠になってしもうた。
同じ頃与力として那古野に付けられた半介も、吉姫様とはすっかり疎遠らしい。
姫様には妻を救って頂いたり、色々口添え頂いたりと随分恩義が有る故、いずれ何かの形でお返しせねばな。
信勝様の家老を任せると備後守様に言われた時、正直信勝様のいい噂をあまり聞かなんだ故、少々不安であった。
そして、実際にお仕えしてみると宿老格の林佐渡殿と幼少の頃からお付きでお世話してきたという林美作殿に頼りきりで、後から付けられた我らにはあまり頼ってくださらぬ。
城の差配は元々城代であった林佐渡殿が実質やっているようなもの故、出仕する事自体には特に問題は無いのだが、信勝様が将来備後守様の跡を継がれると考えると、今のままではいかぬと思う。
その辺りは林佐渡殿も解って居られて、傅役として信勝様を色々指導されるのだが、中々に儘ならぬようだ。
信勝様本人も努力はされておると思う。
噂では我儘で我慢ができず傾いて見ては衆目を集めるという様な奇矯が目立つと言うことであったが、少なくとも儂がお仕えしてから目に余るということは無かったように思う。
しかし、元服の儀に客として招かれた国人らの話では、その折信勝様がなにか大きな失態をやらかし、御本人は勿論傅役である林殿兄弟も、備後守様からかなりきつく叱責されたと聞く。
あの備後守様がそこまで叱責されたというのを儂は見たことがない故、どれほどのお怒りであったのかは儂にはわからぬが…。
もしかすると、それで懲りられたのかも知れぬ。
ただ、儂が信勝様にお仕えしだしてまず感じたのは、落ち着きの無さと自信の無さであろうな。
我慢ができず落ち着きがないという風ではなく、そうまるで常にひと目を気にしておるような落ち着きの無さというべきか。結局は自信の無さの現れなのかも知れぬが…。
今や尾張の英雄とも言われる備後守様の嫡男である信勝様であるが、表にはあまり出てこられぬが男であれば文句なしに後継者に相応しいと皆に言われている吉姫様と比べられるのは酷ということかも知れぬな。
そして、その傾向が更に強くなったのが、美濃の斎藤利政様の息女である帰蝶姫を正室として迎え入れてからであろうか。
今はもうお方様であられるが、お方様は流石マムシの娘というべきか、あれ程の女傑は見たことがない。
儂の姉も相当な女傑の部類だと思っておったのだが、お方様はその上を行くな。
見目麗しく聡明で博識であられるばかりか、統率力に優れ人の心を掴む妙に長けておられる。
そんなお方様故、那古野城の者らの心を掴み「お方様」と名実ともに認められるのにそれほどの時間は掛からなんだな。
そんな折、降って湧いたような此度の信濃出兵。
儂は初めてその話を聞いた時は「何故信濃に出兵なのか」と耳を疑ったわ。
そこで信濃への出兵理由を聞いてみると、武田が遠江に兵を出したからだという。
遠江は春先に行われた今川との大掛かりな合戦の末、勝利して漸く取り戻したばかりの地。
確かに遠江は戦続きで疲弊しており、それは尾張三河も同じで、大敗したばかりの今川も動けまい。
それは分かるが、なぜ甲斐の武田が遠江に攻めてくるのだ。
武衛様も織田家も武田とはなんの遺恨も無いであろうに。
それにだ、遠江を攻められたなら遠江に後詰して武田を追い払うが筋であろうに、何故備後守様は山深き信濃などに兵を出す。
尾張と信濃は、隣接もしておらねば近くもないのだ。
尾張から信濃へ出兵しても、武田の軍勢は既に遠江に行った後ではないのか…?
そこまで思い至った時点で儂はふと吉姫様の顔が頭に浮かんだ…。
なるほど、そういう事か…。
備後守様の陣触れが出され、農繁期が済んだ後という事もあり、春の遠江の戦に匹敵する多くの国人が応じて多くの兵が集まった。
今やこれほどの兵がすぐに集まる国はそう多くはあるまい。
信勝様も此度は那古野勢を率いて参陣する様に命じられ、初陣を果たすことになった。
清洲で武衛様臨席で出陣の儀が執り行われ、留守居に一部の兵を残すと我らは美濃へと軍を進めた。
美濃加納口にて参陣する美濃勢と合流すると、更に美濃東部で遠山氏を加え、信濃へと軍を進めた。
行軍は主要街道である中山道を通る無理の無いもので、拍子抜けするほど直ぐに信濃へと到着したのであった。
信濃へ入ってからも周到な根回しがしてあったらしく、美濃との境を領する木曽氏ら信濃南西部の国人を皮切りに次々と信濃の国人が軍勢に加わり続け、遂には信濃守護の小笠原長時様迄が加わられた。そして、殆ど戦らしい戦のないまま小諸城付近で野営陣地を敷いた時には、我が軍勢は五万にも届くほどに膨れ上がっていた。
ここで諸将が集められ軍議が開かれた。
備後守様曰く、信濃はこれまで国人らが相争い安定してこなんだが、そこを甲斐武田に付け込まれた。信濃の安定は信濃の民全ての願いであり、また我らにとっても越後への道が開かれるので大いに利がある故、これを機に守護の小笠原家の下で皆が纏まるべきだ、と訴えられたのだった。
備後守様の話に不満そうな表情を浮かべた信濃の国人もおったが、儂は東海道が安定したお陰で街道整備が進み、どれほどの利があったかを良く知っておる故、尾張から今度は美濃、信濃、越後へと道が繋がればまたどれほどの利があるのかを想像すると、此度の出兵の意義がすぐに納得出来た。
更に備後守様は、越後の長尾家とも既に盟の内諾を得ており、信濃さえ安定すればどれだけ信濃に利が齎されるかという事を説明した。
諸将らは軍議の席だと思って臨席したが、まず備後守が話されたのが信濃の今後についての話であったので少々面食らっておった。
しかし、信濃の国人らは甲斐の武田に度々攻め込まれ明日をも知れぬ日々を送っておったらしい。
現に、今日参陣しておる国人らの中には領地を奪われ陣借りで来ておる者が少なくない数おったのだ。
故に、備後守様の意図が理解できれば皆賛同した。いや、皆はそれを心底望んだ。
ただ、度々信濃で守護家に盾突き近隣に兵を出しては領地を奪う甲斐の武田の如き村上義清という国人がおる。村上義清は守護家の下での信濃の安定など望んでは居らぬ。
故に、臣従すればよし、無視するならば攻め滅ぼす、という事になった。
結局備後守が送った使者に対し村上義清は、余所者は信濃に口出しするな、と使者を追い払い軍勢を砥石城に入れて抗戦の構えだという。
聞けば砥石城は難攻不落の堅城であるらしい。
そこで策を用いて攻めることになり、信濃北部の国人高梨氏らに村上氏の本拠である葛尾城を攻めさせて村上勢を釣り出し、背後より別働隊で横槍を入れて挟撃する、という策に決まった。
そして砥石城は元々海野氏のものであり、その一族の滋野三家が自ら取り返すと名乗り出たので任せることになった。
我らはその別働隊に加わり高梨氏らの軍勢と村上勢が戦い出した後に横槍を入れることになる。
つまり、我らが遅れて後ろから追尾しておるのを気取られぬのが肝要。
高梨氏から出陣したとの連絡が齎され、砥石城より村上勢が後詰に出陣したとの報があった。
我らもややして出陣した。
備後守様率いる本陣は我らが動いておらぬ風を装うため動かぬとのことだ。
信勝様は此度の戦で是が非でも手柄を上げたいと勇んでおられるが、初陣は手柄よりは生きて戻ることが第一。
逸るお気持ちはわからんでもないが、討ち死にしては元も子もないのだ。
別働隊の兵力は五千、村上勢は三千程で対する高梨氏らは二千五百程らしい。
高梨氏と村上氏は長年争ってきた仇敵であるが甲斐の武田が村上氏を攻めた時、村上氏の次に武田が目標とするのが自分たちであることが高梨氏には解っておる故に、遺恨を捨てて村上氏に後詰の兵を出したらしい。
それで村上氏は、高梨氏とは盟を結んだものと勝手に思い込み、本拠に僅かな兵を残して砥石城まで軍勢を進めたそうであるが、高梨氏からすればあくまでそれは武田に対する盟だ。信濃が安定する事は高梨氏にとっても悲願であり、早い時期から備後守様に参陣の知らせがあったそうだ。
勝手知ったる高梨氏が動けば本拠が落とされかねず、村上勢が急遽兵を戻したという事であるが、ここまでは備後守様の読みどおりの展開である。
しかし、信勝様は気が急くのか兵を前に前に進めたがり、儂は落ち着くように何度も進言したのであるが、気がつけば今後のためにも同じく手柄が欲しい信濃の国人らと競うように軍を進めてしまっていたのだ。
儂としたことがなんと迂闊な事をしたものだ。
これは拙いと思った矢先、四方から矢が飛来した。
信勝様を守ろうと身を挺した馬廻りが矢を浴びて落馬する。
この度の我らの役目は横槍のため、矢盾を持ってきて居らなんだのが裏目に出た。
たちまち軍勢は大混乱となり、そこへ槍を連ねた村上勢が突撃してきたのだ。
儂は声を枯らすように兵らを叱咤鼓舞しなんとか兵らを落ち着かせ迎え撃とうとしたが、まともに動けたのは儂の郎党のみ。
美作殿は信勝様をお守りするので必死で、後尾におった半介が郎党を連れて前に出てきたが大多数の那古野勢や信濃の国人らが大混乱で纏まった防戦どころではなかった。
その時美作殿が大声を上げる。
「権六! 信勝様をお連れしてくれ。若をここで失うわけにはいかぬ。
儂はここで殿をする故、軍を引くのだ。
もはや総崩れ、どうにもならぬ。
権六、信勝様を頼んだぞ!」
その美作殿に縋るように信勝様が懇願の声を上げる。
「美作、ならぬぞ。儂を置いていかないでくれ!」
「美作殿、承知!
さあ、若様をお助けするのだ!
掛かれ掛かれ!」
儂は郎党らを引き連れて敵勢を切り崩して信勝様の下へたどり着く。
そして、嫌がる信勝様をむんずと掴んで小脇に抱えた。
それを見て美作殿が声を上げる。
「勘十郎様、おさらばにござる。
立派な跡取りにおなりくだされ!」
そういうと郎党を引き連れて敵に切り込んでいった。
「美作ぁぁ!」
儂は暴れる信勝様をなんとか取り落とさぬようにしながら撤退を始めた。
信濃の国人らも総崩れで撤退していく。
美作殿らが敵に切り込むと敵の勢いが少し衰えた。この隙、無駄にはせぬ。
「半介、後ろを頼んだぞ」
「承った」
半介と郎党が殿に回り、我らはとにかく逃げた。
信勝様は暫くすると暴れるのを諦めすすり泣くばかりであった。
半介が心配になり後ろを見ると、多勢に無勢今にも追いつかれ呑まれようとしておった。
その時、大きな喚声と共に美濃勢の旗印が上がり、横合いから村上勢に攻めかかったのだ。
虚を突かれた村上勢は総崩れとなりもはや追撃どころではなくなった。
そしてそこへ北から軍を進めてきた高梨殿ら信濃北部の国人らの軍勢が浮足立った村上勢を挟撃し、結果として村上勢は散々に打ち破られ、村上義清は美濃勢に捕縛されたのだった。
九死に一生を得た我らであるが、美作殿らは奮闘の末皆討ち取られてしまい、また尾張勢や信濃国人衆の少なくない者らが死傷したのだった。
信勝の焦りが大勢の将兵を死傷させてしまいました。