閑話六十二 林通具 勘十郎様
信勝と共に側近として出陣している林美作守視点の話です。
天文十七年十月 林通具
「美作、此度の戦じゃが、初陣だと勇んで出てきたが、戦などさっぱり起きぬではないか」
不満顔の勘十郎様が儂に問いかけて来た。
「若、大殿は周到なる戦をされる方。
この度も予め色々と手を打っての出陣なのでしょう。
ですが、このまま戦も無く終わるなどと言うことはありませぬ。
機会を待っておればすぐに訪れましょう」
「そ、そうか?
美作がそういうなら今暫く待つとしよう。
しかし、儂は此度の戦で手柄を是が非でも立てたいのじゃ。
その方も存じておろう」
「はっ、勿論にございます。
若のお気持ちは長らく側仕えしておりまする拙者が知らぬはずがございませぬ」
「なら良いのじゃ…」
そう言われると勘十郎様は落ち着かぬ様子で戻っていかれた。
勘十郎様は元服も果たし、正室も迎え入れた。
名実ともに那古野城の城主であり弾正忠家の嫡男、それは揺るがぬ。
揺るがぬはずであるが、勘十郎様はあまり評判がいいとは言えぬ…。
最近では庶子なれどご長男であられる三郎五郎様を推す声が日に日に高まっておる。
勘十郎様が不安に思われるのも無理はない。
三郎五郎様は元服されてより大殿について戦の経験を積み、三河安祥城を若くして任されてから後、目覚ましいお活躍により武衛様から太刀を拝領する程の功を上げ、今や三河半国を任される大名となられた。
だが勘十郎様はまだ元服したばかりであり、そんな方の功と比べられるは酷であろうに。
儂は思わず嘆息するとこれまでの勘十郎様との日々に思いを馳せた。
儂が勘十郎様とお会いしたのは儂が二十歳の頃であったろうか。
兄の新五郎が勘十郎様の傅役の一人に選ばれ、それの縁で儂も勘十郎様のお側でお仕えする事になったのだ。
あの頃、兄者は那古野城の城代も兼務しておった故、政務が忙しく、実質的な傅役は平手五郎左衛門殿で、青山与三右衛門殿、内藤勝介殿は傅役と那古野城付の家老と兼務であったな。
勘十郎様は元来素直で優しいお心の方であった。
思えば、大殿正室の土田御前の初子であられる吉姫様が物言わぬ姫であったため、まだお若かった御前は気を病み姫を遠ざけられたのが事の始まりであったか…。
その後直ぐに勘十郎様がお産まれになり念願の嫡男誕生となったのであるが、御前は嬉しさのあまり乳母を頼まず御自らお育てになると言われ、大殿もそれで御前の気病みが回復するならばとそれを許されたのだ。
そして勘十郎様が三つにおなりになった時、勘十郎様は那古野城を与えられ御前や傅役四名と儂ら側仕えの武士や侍女らと共に那古野に移られた。
大殿は忙しきお方故、勘十郎様と多くの時間を過すこと叶わなんだが、それでも同じ屋敷に住んでおれば戻られる度に顔も合わせよう、抱き上げられ頭も撫でられよう。
しかし、那古野に移って以降は大殿が偶に御前に会いに来られる時以外、会う機会も無くなり勘十郎様と大殿が共に過す時間は殆どなくなってしもうた。
那古野に移られた翌年、物言わぬ姫であった吉姫様が突如良く笑いよく喋る様になったと聞いた。
吉姫様が物言わぬ姫であったと言うことは家中でも一部の者しか知らぬ事であったが、儂は大殿の家老であった兄者の縁者故その事は知っておったのだ。
大殿は吉姫様と共に古渡の屋敷で暮らして居られるのもあるが、それ以来吉姫様に特に目に掛けられるようになり、那古野にお渡りになる機会が以前に増して減ったのだ。
偶にしか来られぬ、来られてもすぐ帰ってしまわれる大殿に、まだ父親が恋しい盛りの勘十郎様がどれほど寂しい思いをされたことであろうか。
そして、お美しくまだお若かった御前もまた大殿がお渡りになる機会が減った事を随分と寂しがって居られた。
勘十郎様をご自分でお育てになる、とご自身が言いだした事とは言え、まさか勘十郎様に三歳にして城が与えられ、ご自分も共に那古野城に行くことになるとは思いもされなかったであろう。
正室であられるのに大殿と同じ屋敷に住めず、結果として正室としての役目も果たせて居られぬ。
思えば大殿は初子であられる吉姫様の事をずっと気にかけて居られたのだ。
しかし吉姫様を見れば御前が気病みする。同じ屋敷に居られるのに乳母と二人だけ屋敷の片隅で日陰者の様な状態であったと聞く。
それ故、大殿は吉姫様が不憫で手元に置いておかれたかったのだろう。
勘十郎様は嫡男であるからと言うことで、三歳で那古野に城を与えられてそこに御前と共に移り住み、それ以降大殿と吉姫様は古渡の城で共に住んでおられるが…。
そう言えば、吉姫様は姫らしい事をせぬ姫君だと聞いたことがある。
いずれにせよ叶わなかったろうが、恐らく母親であられる御前の下で育たなかったからということも大きいのではないか。
今のままでもし輿入れすれば恐らく嫁ぎ先で大変な苦労をなされることになるのではないか…。
奥向のことは何一つご存じないであろうから。
まあ、吉姫様のことを考えても今の儂には詮無きこと。
勘十郎様は、那古野に城を与えられ移り住むまでは、本当に素直でお優しい気質の方であった。
大殿と合う機会がめっきり減ってしまい寂しい思いをなされていた御前はそのお気持ちを勘十郎様で埋められたのだ。
素直でお優しい勘十郎様は御前の寂しい気持ちを埋めようと御前の喜ばれることを考えるようになった。手習いが始まるまでは殆ど御前と共に過ごされるようになったのだ。
それと同じくして成長され物事が見えてこられるようになり、勘十郎様は色々なことをお知りになりたがった。
特に、大殿は何故滅多に来られぬのかと言う事と、姉君が居たはずだが何処に行ったのかと言うことはいろいろな人に聞かれた。
しかし、その事を下々の我らが答えることは憚られ誰も答えることが出来なんだ。
その問に答えたのは御前。
実は、御前の気病みは癒えるどころか益々悪化しておったのだ。
大殿に会えぬ寂しさを勘十郎様にぶつけ、吉姫様の事を悪く言う。
気がつけばまるでお会いしたこともないのに、勘十郎様は吉姫様の事を「不肖の姉」だなどと思い込まれておった。
そして、まだ若かったこの儂も御前の言われることを無意識に鵜呑みにし出来の悪い姫君だなどと侮っておったのだ。
そのうちに、姫様の事はいろんな方面から噂が聞こえてくるようになった。
曰く変わり者の姫だと。
儂や勘十郎様はそれを聞き出来の悪い姫は変わり者の姫に育ったと笑っておったな。
その後、勘十郎様は成長され御前より傅役や儂らお付きの武士らと共に過ごされることが多くなって行くのだが…。
勘十郎様は以前の素直でお優しいお方から様変わりし、我儘で我慢を知らぬ悪童へとお変わりになられてしまった。
儂らはまさかわずか数年でそれほどまでにお変わりになるとは想像もして居らなんだ。
性分が生真面目な平手殿はなんとか勘十郎様を矯正しようと手を掛けて居られたが、そんな平手殿を小うるさく感じて居られたのだろう。
ある日平手殿は勘十郎様の勘気を蒙り傅役を解任された。
傅役の解任は大殿にしか出来ぬのであるが、大殿は平手殿のあまりの疲弊ぶりに傅役の任を解かれ大殿の下に戻された。
そして、代わりに傅役に任じられたのが長くお側におった儂だった。儂は嬉しく名誉にも思ったが、結局儂では傅役は務まらなんだ。
あまりにも長く側仕えとしてお側におったからだろう、結局儂と勘十郎様の関係は変わらなんだ。
元々教育係の青山殿と内藤殿は以前と変わらず自らの職責から出ることはなく、結局傅役は兄新五郎が城代を兼務しながら務めることになったのであるが、それまで殆ど傅役の努めを果たして居らなんだ兄が今度は平手殿の役回りとなったのだ。
吉姫様を初めてお見かけしたのは裳着の儀の時だった。
その頃には大殿が以前よりは渡られる機会が増えたのもあり、御前の気病も随分落ち着いて居られた。
その御前が姫の裳着の儀に行くと言い出したのだ。
勘十郎様が、幼少の頃あれだけ姫の事を悪く言って居られたのに何故今更裳着の儀に行くのだと御前に問われたら、我が娘の晴れ姿を一目見たいと一言。
勘十郎様は信じられぬというお顔をされて居られた。
結局皆で行くことになったが到着が遅れ、着いた頃には裳着の儀は終わり来客の見送りをしておるところであった。
そこで吉姫様をお見かけしたのだ。
女子にしては大柄で、お美しくあられる御前と美形が多いと言われる織田家でも見目の良い大殿、お二人の血を引いた美しい姫君。それが吉姫様であった。
その受け答えは年長者の様で聡明さを伺わせる。
ひと目で惹き込まれるような、そんな御仁であったのだ。
御前はその日、吉姫様への積年の誤解を解き和解されたのだ。
それを見た勘十郎様はそれまでの御前の言葉とは違う有様に御前を信じられなくなってしまわれた。
しかし、御前はその日を境に憑き物が取れた様に、かつて輿入れしてこられた頃のように明るく快活なお方に戻られた。
それを証すかの様に、その直後に新たな姫を身籠られたのだ。
だが、勘十郎様はそれ以来御前を避けられるようになり、以前に増して大殿と吉姫様を意識されるようになった。
そして元服の儀を迎えたのであるが、あの折は大変であった。
大殿が用意した武家に相応しい衣装を着ず、自ら用意させた綺羅びやかな傾いた衣装を着て大殿の前に現れたのだ。
その時の、大殿の表情と叱責は未だに忘れられぬ…。
我ら傅役も大変な叱責を受けた。
当然であろう、危うく大殿に恥をかかせるところであったのだから…。
だが、勘十郎様は大殿に叱責されつつもその表情は暗くは無かった。
まるで気にかけて貰えたことに喜んでおられるような、そんな表情をされておった。
結局、それを見て大殿の勘気も冷め、無事に元服の儀を終えることは出来た。
しかし、問題はその後であった。
吉姫様が以前の裳着の儀の返礼もあったのだろう、元服の儀の祝を持ってこられたのだ。
だが、儂は後からその時の話を聞いた故、どういう経緯でそうなったのかは解らぬのだが、玄関側の控えの間で吉姫様の下に来客が集まり話をして居られたとか。
吉姫様がおいでになる事を聞いていた勘十郎様は待っておられたのだが、一向に来る気配がないからと玄関まで見に行かれたのだ。
そこで控えの間に集まる来客らをみて激高なされたらしい。
そこに居られたお客らは尾張の有力国人や守護代様の名代まで居られたものだから、勘十郎様は国人らからの評価を下げられたのだ。
だが、儂はその時の勘十郎様のお気持ちは解らぬでもない。
ご自分を祝いに来られたはずの来客らが帰られたと思っておったら祝を持参しただけの吉姫様の下に集まって居られたのだから、何をしておるのだという気分にもなろう。
その話を聞かれた大殿はただ溜息を吐かれただけで叱責もされなんだらしい。
儂は勘十郎様が不憫でならぬ。
元々は素直でお優しいお方であられたのに、それを歪めたのは大人であることは間違いなかろう。
だが、それも回り回ってのこと。元はと言えば御前の初子が物言わぬ姫だった事が原因なのであろうが、それも子は授かりもの故天のめぐり合わせとしか言えぬ。
元服の儀を機に、正式に那古野城城主となり、兄と儂は勘十郎様の家老となった。
青山殿と内藤殿がそれぞれ年齢と健康を理由に傅役を返上して隠居され、代わりに家老として柴田権六殿、与力として佐久間半介殿が勘十郎様の下につけられた。
勘十郎様は元服前に比べれば懸命に励んでおられると儂は思う。
過ぎた我儘も我慢ができぬ質も随分と収まってきておるのだ。
今や尾張の英雄と言われる大殿の嫡男として恥じる事はない、将来は良き後継者となって下さると儂は信じておる。
だが、元服してからであろうか、以前の質が収まるに連れ、不安げに落ち着きがない様が見て取れるようになってきたのだ。
特に、帰蝶様が正室に来られてから、酷くなっておるような気がする。
侍女から初夜の床で帰蝶様に喝を入れられたと聞いたのだが、そのせいであろうか。
お方様は見目美しく聡明で快活、自信に満ちて居られ輿入れして来られて直ぐに城の者らの心を掴んだ程の手腕のお方。流石マムシの娘というべきか…。
儂はそれほどの方をお方様に迎え入れられた勘十郎様の幸運を喜ばしく思う半面、不安感が拭えぬのだ…。
現に先程見えられた時も不安げで落ち着きがなく、その表情には明らかな焦燥感が見て取れた。
お方様の影響が皆無だとはとても思えぬ。
ともかくだ、なんとしても勘十郎様に手柄を取って頂かねば。
林通具からみた勘十郎の顛末でした。