閑話六十 鈴木孫一 遠江出陣
吉姫の戦馬車戦術で遠江を守ります。
天文十七年十月 鈴木孫一
尾張を早朝に出立した我らは、車列を連ねて一路街道を遠江へと走らせていた。
馬車での移動にも随分慣れたものだが、一昔前の徒歩での移動では考えられぬ速さだ。
尾張を早朝に出立し、途中休みを挟みつつも走り続ければ、その日の夕方には武具や資材と一緒に我らは遠江に到着するのだ。
我らが紀伊の田舎より姫に招かれてから驚かされることばかりであるが、この事は戦の常識を大きく変えてしまうであろうな…。そんな事を考えながら、それがしは馬車の車内で物思いに耽っていた。
思えば姫君は常に用意周到なお方だ。日々生き残るために目先ばかりに目が行きがちなこの乱れた世にあって、常にずっと先を見据えておられる。
我らや津田殿を紀伊より招いたのも、此度の戦のことを考えていてのことなのやも知れぬ。
此度の戦の準備の事も今川家との戦の前より此度の事を予見し、領地運営に於いて領地での水路や田畑の造成などを利用して我らに土木技術を習得させ、更に実際に陣地構築の演習までやった。
その陣地構築を今まさに遠江で実際にやろうとしているのだから、今日のことを予見していたとしか思えぬ。
あの方のやられることは後から見てみれば多くが繋がっている場合がほとんどだ。
そしてそれらは無駄がなく、複数の意味を持つことも多い。
身近なところでは、我ら鈴木党が土木技術を習得したことで多方から普請手伝いの声が掛かり、それらに腕を揮うことで未だ戦での功もない鈴木党だが陰口を叩かれることもない。
資材を大量に揃える設備をこしらえたかと思えば、その資材を使って短期間で建築の終わる新たな建築法を取り入れ、更にはそれら資材を運ぶための運搬道具まで揃えた。
実際にその資材を使って鶏舎を作ったりもしたのだが、今度は城の急ぎの普請にその資材や建築法を活用するのだ。むしろこちらが本筋だったのかも知れぬが。
それに留まらず姫様は、備後守様に道を整備する必要性を説き、道を活用するための新たな馬車を作らせ、その結果、今や駅馬車が尾張から駿河迄の街道沿いの駅を定期的に走る様になったのだが、それのお陰で人の行き来が格段に増え、商いが大幅に伸びたと聞いている。
かと思えば、まさに今その馬車を活用して列をなして戦の地へと急行しておるというわけだ。
鉄砲にしても、恐らく此度の戦の為に用意したのだろう。
我らが持ち込んだ紀州筒だが、今や見た目が大きく変わった。
更に銃床や照準器を付けたことでより狙いやすく当てやすくなり、そして早合の工夫で以前より格段に弾込めが早くなった。
津田殿らがこしらえた背の丈程もある六匁筒も竹束対策に此度は複数用意した。
姫様が話した鉄砲対策で最も簡単なものがこの竹束だったのだ。
実際に試した所、通常の二匁半の弾を使う鉄砲では射抜けなかったが、六匁筒であれば見事に竹束を粉砕したのだ。
しかし、六匁筒が人に当たれば大怪我では済まぬだろうな…。物思いに耽りながら色々と思い返している間に、我らは曳馬城に到着していた。
曳馬城で鈴木党は二隊に分かれる。我らの隊は、此度の戦で遠江の国人衆を率いる井伊直盛殿と合流し、井伊殿と国人衆らと共に勾坂城へと向かう。もう一隊を任せることになっておる従弟の孫助は、直ぐに二俣城の松井宗信殿の下へと向かった。
勾坂城へ到着すると、この地で落ち合う予定だった国人衆らも既に全員が到着しており、早速城で軍議が開かれた。
勾坂城に国人衆らが率いて集まった兵力は二千五百余り。他には二俣城に二千、天方城、一宮城にそれぞれ五百づつが既に詰めておるが、遠江にはあまり余力がない。
しかるに頼りの尾張からの後詰があまりに少ない為、遠江国人衆の表情は硬く暗い。
とはいえ、武田の非道なやりようと信濃の酷い有様はここ遠江まで伝わっており、武士の意地を通すしか無いとの覚悟は出来ているようであった。
兎にも角にも、まずは生き残るために陣地構築だ。
軍議の後、突貫で陣地構築を総出で行うが、翌日弩兵五百を率いて守護様の家臣である太田殿が到着した。
姫様は、彼ら弩兵と鉄砲衆を上手く組み合わせて使えと言って居られた故、太田殿とその配置について相談する。
ここには鉄砲衆と弩兵の他に遠江の弓衆が居て、数の上では弩兵が一番多く、鉄砲隊は百しか居ない。
太田殿との話し合いで決まった事は、弩兵と鉄砲衆は陣に満遍なく配置し、六匁筒は敵が柵を突破して侵入して来た箇所に投入して敵竹束を破壊する役目とした。
六匁筒は射程に於いては普通の鉄砲より長いが数が少ない故、遠くから撃つよりは引きつけて普通の鉄砲が届く距離で戦う方が良い、という判断だ。
戦の流れとしては、敵を柵で食い止め、滑車弓で敵の兜首を手負いにして戦線離脱をさせる。
それによって攻めあぐねさせ、敵を確実にすり減らして行き撃退せしめる、という策になった。
いずれにせよ、飢えた武田は長くは遠江に留まれまい。
武田軍が遠江に侵入したという知らせを受けたのはそれから二日の後であった。
最初の報より五日後、物見櫓に居た見張りの兵が武田軍接近を大声で叫ぶ。
井伊殿と太田殿の三人で物見櫓に上がると、遠くから大軍が接近しているのが見えた。
遠眼鏡で見れば確かに武田の旗印だ。
武田は我らの陣の前に自陣を張ると、翌日早朝より列を連ねて竹束を前面に掲げながら全面で攻勢を開始した。
ざっと見た限り一万五千にも届こうかという大兵力だ。
物見櫓の上からそれを眺めながら、それがしが二人に話しかける。
「遂に始まりましたな」
井伊殿が緊張した表情で答える。
「うむ…。あれが武田の軍勢か…」
太田殿は楽しげに微笑む。
「手柄が選り取り見取りでござるな」
太田殿の武勇は勿論伝え聞いている。
その言葉でフッと肩の力が抜けた。
「ははっ、違いない。
揃いも揃って竹束連ねて手柄が向こうから態々やって来るなどとは、本当にご苦労なことだ」
それを聞き井伊殿も顔から緊張が取れて笑う。
「はっはっ、なんとも豪胆な。
さればこの戦、勝ちに行くとしまするか」
「「応!!」」
こうして、戦が始まった。
少し高い位置に作った指揮台から遠眼鏡で敵を観察し、必要に応じてその都度伝令を走らせる。
この指揮台も鉄砲衆や弩弓兵が居る場所も屋根がついており、上方からの矢で射られることはない。
鉄砲衆や弩弓兵は屋根付き小窓から、眼下に迫る竹束の列から頭を覗かせた兵を狙い撃つのが役目だ。
竹束は我らからの鉄砲や矢を防ぐ利点が有るが、同時に武田方にとっても目隠しとなってしまっており、武田方の攻め方に大きな影響が出ている。
いずれにせよ柵を越えねば前に進むことは叶わない。
敵はなんとか柵を越えようと悪戦苦闘するがその度に手負いが増えていく。
そして肩などを射抜かれて動けなくなった敵の武将が郎党に担がれて戦場を離脱していく。すぐさま後続が穴を埋めるがいつまでそれが続けられるか。
兵を鼓舞しようとする武将の叫び声、雑兵らの掛け声や大きな悲鳴など、それらが渾然一体となり戦場の空気を醸し出す。
「ふふ。この空気堪らんな。長らく忘れておったがこれこそが戦よ…」
思えば最後に本格的な戦に出たのは管領家の畠山稙長様に従って高屋城を攻めた時以来か。
攻め手の武田勢は、柵を何とか突破しようとあの手この手で懸命に取り掛かり、片や我ら鉄砲衆と弩弓兵は懸命に防戦する。
そして、そのうちに幾つかの柵が突破された。
竹束を打ち捨てて損害度外視で柵を引き抜いたり、あるいは大勢で竹束ごと力を入れて柵を押し倒したり。
いずれにせよ、柵を突破したところには武田方に夥しい手負いが出た。
慌てて竹束を掲げたり、後続が竹束を掲げて抜けた所を広げようと前進するが、ここぞとばかりに六匁筒が火を噴く。
竹束は縄がちぎれてバラバラに飛び散る。
驚愕する敵兵らに武将が活を入れて更に進もうとするが、砦の壁は遠目には低く見えても真下に来ると倍の高さがあり、ハシゴ等が無くては簡単には登れぬ。
壁の真下で右往左往しておるとそのうち武将が手負いになって結局は戦線離脱。
そんな風景が戦場のあちこちで見られた。
敵は完全に我らを攻めあぐねている状況だ。
しかし敵は中々諦めず何とか突破しようとするのだが、実はこの陣地は北側に向けた出入り口を作っていない。つまり、最初から我らからの出撃を全く考えていない砦なのだ。
そして、手詰まり感が見えてきた時、敵側に動きがあった。
この時を待っていたのだ…。
馬に乗り将兵を鼓舞すべく前に出た将こそ、恐らく武田勢の総大将。
誰かは解らぬが武田の重臣であることは間違いがないだろう。
姫様から預かった鉄砲を取り出すと、五発の弾が付いた挿弾子を取り出し、装填口に差し込むと弾を押し込むようにして装填し把手を操作すると弾を薬室に込める。
そしてこの鉄砲に取り付けられている専用の遠眼鏡を覗き込み、敵の大将をその中心に捉える。
普通の鉄砲や矢では考えられぬ射程距離だ。
前にゆっくりと進みながら将兵に声を掛ける敵の大将の顔を遠眼鏡に付けられた十字の真ん中に捉えると、ゆっくりと顔からその下に十字を下ろしていった。
姫様は中々敵が諦めぬ時、この鉄砲で敵の大将を討てと言われた。
敵は一向に引き上げる風もなく、眼の前の敵の惨状を見れば今がその時だろう。
姫様の言葉を思い出す。
「敵の大将をその場で殺してはなりません。
もし、殺せば敵は激昂し弔い戦となり屍兵を作るかも知れません。
生かして手負いにすれば敵は大将を救けるためにも諦めて引き上げるでしょう」
今は殺しはしない。
生き残れるかどうかはそれがしにも解らぬがな…。
下して行った十字を敵将の腹に合わせると、気持ちを落ち着かせ、そしてゆっくりと引き金を引いた。
火縄銃とは全く違う、甲高い銃声が響いた。
キン
把手を操作し排莢し、すばやく金色の薬莢を革袋に放り込んだ。
さて、当たったはずだが…。
撃った大将を遠眼鏡で見ていると、ややして馬に被さるようにして倒れた。
やったか…。
遠眼鏡の中では、後ろの本陣の天幕から飛び出して来た武将が何かを叫びながら武田の大将に駆け寄るのが見えた。
大将をやれば十分だ。
すばやく残りの弾を取り出すと、鉄砲を仕舞い込んだ。
姫様にこの銃は余人に見せるべからずと言われているのだ。
果たして、敵は手負いを担ぐと程なくして自陣に後退し、慌ただしく陣を引き払って引き上げていった。
戦場に取り残された手負いは回収して金瘡医の元へと運ばせ、遺体は兜首だけ実検して目録にすると直ちに埋葬した。直ぐに近隣の寺の僧侶がやって来て弔った。
「では、我らは行きまする」
「井伊殿、ご武運を。
我らは陣地を元に戻して撤収しまする」
「拙者らも井伊殿らと行きまする」
太田殿と配下の弩弓兵と弓兵は井伊殿と共に追撃するらしい。
さて、それがしの役目は終わったが、この戦はどうなるのであろうな。
今は兎も角、皆を連れて姫様の元へ戻るだけだ。
一先ず鈴木党の仕事は終わりました。