閑話五十九 武田次郎 遠江攻め
武田次郎信繁視点の話です。
天文十七年十月 武田次郎
甲斐を出陣した我らは信濃にて信濃国衆と合流し、一路遠江を目指し秋葉道を南下した。
道中我らを遮るものは何もなく、信州街道へと入ると最初の目的地である犬居に物見を出した。
物見によれば犬居の地はもぬけの殻で城も人気が無いそうだが、もしかすると城兵領民ともども城にこもって息を殺しておるのかも知れぬな。
事前の調略にもかかわらず犬居城の天野景貫は態度を明確にせなんだが…。
いずれにせよ、犬居は遠江への主要街道が通る要所、素通りはできぬ。
犬居の地へと軍を進めると、物見の報告通り城下の宿場町はもぬけの殻、そして陣を敷き降伏の軍使を出したところ、城もまたもぬけの殻であった。
これはどういうことであろうか。
諸将を集めて軍議の結果、我らに恐れをなして逃げたのであろうと結論付けた。
前年の志賀城で我らの勇猛ぶりを見せつけたお陰で、敵がロクに戦いもせず開城することが増えたのだ。
お陰で去年は不作であったが甲斐の民は食いつなぐことが出来た。
大方、犬居城の天野も恐れをなして逃げたのだろう。
兵らに乱取りを許すと四方の村落にも物見を派遣し、犬居城は兵糧他価値が有りそうな物を運び出させ破却することにした。
遠江を支配下に収めればこの地に相応しい新たな城を建てることになるだろう。
我らはこの地で数日間を兵糧の調達に当てたが、何ということか犬居の地はおろか周辺の村々や国人らの屋敷にも兵糧はおろか家畜もなにもない事が解った。
この地の者どもは収穫したての農作物が奪われるのを忌避したのか、その全てを持ち去った形跡が見られたのだ。
だが、土地に執着の強い百姓や国人共がそう簡単に土地から離れるものであろうか。
この様な状況は全くの想定外であった。もしもこれが誰かの描いた絵図面であるとしたら…。
杞憂であればいいが、儂は自分の想像に嫌な汗をかいた。
しかし目的を果たせず甲斐に戻る事になれば、甲斐は今年も不作だったのだ。餓死するものが必ず出る。
もはや引き返すなどと…。
将兵らの士気が下がることを恐れた兄者が殊更逃げた天野氏や遠江の国人らを臆病者とこき下ろし、我らに敵なしと鼓舞し更に軍を進めた。
犬居から次の目的地である二俣城への道中も村を見つけては兵を出したがすべてもぬけの殻で食料は無かった。
まだ大丈夫であるが、このまま行くと兵糧が厳しいことになろうことは予想がついた。
二俣城は犬居城とはうってかわって、将兵らが詰めて守備しており、直ぐ側の支城にも兵らがしっかりと詰めておるのが見えた。
ここを落とせば兵糧を得ることができよう。
二俣城を望む平地に城攻めの陣地を敷くと早速、城攻めの軍議となった。
見たところ二俣城は山城であり堅固な様子であるが、城其の物は小城でありそれ程多くの兵が詰めることは難しかろう。
我らは一万五千を超す大軍でありこの程度の城であれば落とすことはそれ程困難では無いはずだ。
降伏を促す使者を出し、合わせて城内の様子を見てこさせる。
すぐに使者は戻り、敵将の松井宗信からは"存分に攻めてこられるが良い〟との返答だ。
その尊大な物言いに兄者はならば希望通りにしてやろうと翌日より城攻めとなった。
翌朝、服従したばかりの信濃の国人らを先手として城攻めを命じる。
信濃の国人共は此度の戦で功を残せるかどうかで疑いを晴らし、今後の武田家における立場を手に入れるのだ。
陣太鼓の音に合わせ、掛け声高く城の大手門に攻め寄せた。
敵から飛んでくる矢の量は少なく、こちらから射返す矢は雨のように敵の曲輪へと降り注ぐ。
やはり、敵の城は一千名を超える程度の兵力で間違いなかろう。
矢楯を連ね破城槌を担ぎ、大手門口へと先手が進む。途中、城から矢を射られるが、矢楯に阻まれ特に被害もない。
不思議と丸太や岩等の矢楯を崩すための定番の物が使われぬのが気になる。
それに、大勢の逃げてきた国人共の受け入れをしながらも、大急ぎで籠城の支度でもしたのであろうか。よく見ると城のあちこちに普請の手が入っているところとそのままの所が斑に見て取れる。
先手が破城槌で門を破ったら、雪崩れ込む後続の信濃の国人衆も隊伍を組み矢楯を連ねて大手口へと列を進める。
順調だ。このまま行けば、今日中にも城は落ちるのではないか。
そんな楽観視が出てき始めた頃、いよいよ槌が門に叩き込まれ様とする。
その時、城の方から何かが爆ぜる音が幾重にも響き渡る。
まるで太鼓を乱打するように爆ぜる音が鳴り響き、先手がバタバタと倒れ雑兵共が混乱して右往左往しておるのが見えた。
何が起こっておるのだ。
鉄砲だ…。本陣の諸将が集まっている天幕で誰かが不意に口にする。
鉄砲だと?あれが鉄砲だというのか?
儂は、鉄砲については話に聞いたことがあるだけで、まだ実物を見たことも撃つ所を見たこともなかった。
先手はもはや混乱状態で総崩れ、このまま手もなく攻めさせても被害が増えるばかり。
この瞬間も鉄砲は鳴り止まず、兵らがつぎつぎと倒れ伏していく。
退き鐘だ!退き鐘を鳴らせ!
兄者の怒号が飛び、すぐさま鐘が打ち鳴らされる。
攻めに出ていた信濃の国人らが大慌てで引き上げてくる。
大手門の前には何百という死傷者が残された。
兄者の決断は早かった。兄者は、ここでこれ以上時間を使うわけにはいかず、また先の鉄砲を見た兵らの動揺が広まるのはまずい、という二つの理由を挙げ、ここには抑えを残し直ちに矛先を変えることにしたのだった。
我らには時間を掛けて城を囲み、じっくり落とす時間はない。
そんな事をしていては兵糧が尽きてしまう…。
腹立ちを紛らわすかのように城下で乱取りをしたが、まるで我らを嘲るかの様に何も残されては居なかった。
報復に火を掛けると次なる目標に向けて軍を進めた。
遠江の南へと出るには天方、一宮、勾坂の三つの城のうちのどれかを抜かなければならない。
天方と一宮は山城、勾坂は平城であるらしい。
山城は落とすのに堅く、力攻めをすると夥しい損害が出る。
城を囲み水の手を止めるなど、少しずつ追い込んでいくのが損害が少なく良い攻め方なのであるが、我らにそんな事をしている時間はない。
結局二俣城より南に進んでも、行く先々の村々はもぬけの殻で、食料は何も見つからなかったのだった。
事此処に至れば、誰かの絵図面による策であるのは明白だろう。
敵は我らの兵糧が尽きて撤退するのを待つという策なのであろうか。
軍議の結果、大軍を活かすためにも平城の勾坂を攻める事と決まった。
この地であれば大軍を活かして野戦で敵を討ち果たし、四方より城を攻めて落とすことが出来るだろう。
勾坂を前に陣を敷くと、どうやら敵は城に籠城する事をせず、城下の前に我らに対陣するかのように陣地を作ってそこに布陣して待っておった。
敵の陣は空堀を巡らせて居るが、物見櫓以外はたいして高さもなく、人の身長より少し高めの格子をまるで城壁代わりの様に空堀に巡らせておる。
誰が何を考えてこの程度の陣地を作らせたのかは知らぬが、一揉みで抜けそうな陣地であった。
一先ず、鉄砲に対する対策は用意した。
米倉重継殿が竹の束ならば防げるのではないかと発案したのだ。
試しに弓で試してみたが、矢楯程使い勝手は良くないが矢楯より遙かに竹の束は矢を防ぐことが出来たのだ。
これならば鉄砲をも防ぐことができよう。
早朝より、陣地攻めを開始する。
此度はより多くの兵を出し、全面押しをして敵陣を押しつぶす策を取る。
敵の陣地は東西に広く、陣の横に出ようにも西に川、東に急峻な山があるので非常に難しいが、物見の報告では陣地に籠もる敵兵は多くとも五千程度の様子。
旗印を確認したところ、遠江の国人衆らばかりで今川勢や三河、尾張勢は来ておらぬ様子であり、甲斐での兄者の見立て通りであることがわかった。
横に広ければ兵力に劣る敵の軍勢はその分薄くなり、数に勝る我軍は俄然有利になるのだ。
この様な策を考えた敵の将はその程度のことも解らぬと見える。
ここで遠江の国人衆らを討ち果たし、その生首を城に籠もっておる臆病者共の前に並べてやればすぐに震え上がって城から出てこよう。
お屋形様はそう諸将らを鼓舞すると攻め手を送り出した。
竹束を縄で結び雑兵らに持たせると、それを連ねて壁とし陣太鼓に合わせてジリジリと敵の陣地に近づいていく。
鉄砲の射程は一町程度しか無さそうな事が、先の二俣城攻めで解っておる。
更には此度は野戦、矢の届く距離はさほど変わらず、陣地に矢が届く位置まで列が進むと〝放て!〟の将の号令の下、矢が射掛けられ敵の陣に矢の雨を降らせだす。
そして敵の方からも矢が射返され、双方矢の応酬を繰り返す。
その間も竹束を構えた攻め手は敵陣ににじり寄っていき、浅い空堀に飛び降りて行く。
空堀は何故か降りる所は浅く敵陣に近づく程深くなっている様で、扱い辛い竹束を掲げていても苦もなく降りることが出来、兵らは更に進んでいく。
そして格子のところまで来たところで敵が鉄砲を撃ってきた。
流石に二度目であり、もう驚かされることはないが、竹束を掲げた兵らは生きた心地がせぬであろうな。
見ると、竹束が功を奏して敵の鉄砲が抜けることはなく、撃たれるたびにバタバタと兵が倒れる、という事態はなんとか避けられたようだ。
そして敵軍勢が横に広がったお陰で、我らが鉄砲で撃たれる数もかなり少なく感じられた。
しかし、簡単に越えられると見た格子が思いの外厄介であった。
竹束を掲げたままでは当たり前だが格子は越えられず、くぐり抜けようにも竹束から出ると敵に撃たれる。引き抜こうにも結局竹束から出ると敵に撃たれる。
更に敵は鉄砲とは別に真っ直ぐ矢を飛ばす武器をそれなりの数揃えていたのだ。
真っ直ぐ矢を飛ばす武器、つまり奈良の時代に使われていたという弩弓を持ち出して来たのだ。鉄砲は恐らく五十あるかという量であるが弩弓は五百はあるのではないか。
そして厄介なことに、敵の鉄砲や弩弓は陣地を連ねるように作られた屋根付きの小窓から撃ってくるので、矢を射かけても敵の撃ち手には全く当たらぬのだ。
そんな中でも状況を何とかしようと我が攻め手は試行錯誤するが、鉄砲や弩弓に撃たれて動けぬようになる兵が続出した。
弩弓の威力はそれ程ではないが、鉄砲の弾は恐るべき威力であり、矢が当たっても当たりどころが悪くなければ即死することはないが、鉄砲か当たると死に至ることも多く、例え死なずとも動けぬほどの手傷を負うのだ。
結局、少なくない将兵らの犠牲の上に幾つかの箇所で格子を突破する事に成功したのであるが、格子を越えて更に先に進んだ数少ない兵たちは、敵の眼下迄たどり着くことは叶わなかった。
格子が突破されたと見るや、敵は新たな鉄砲を突破された箇所に投入してきたのだ。
その鉄砲はこれまでの鉄砲以上の轟音とともに発射され、弾が当たると分厚い竹束を簡単に撃ち抜き、縄を千切ってバラバラにしてしまう。
兵に当たれば手腕がちぎれ頭が吹き飛ぶ。そんな恐ろしい威力の鉄砲が火を吹くのだ。
更に悪いことに、兵らを指揮する筈の将が幾人も矢に射抜かれ、少なからぬ被害が出ていた。
まだ討ち死にしたものは居らぬようだが、肩を射抜かれたり足を射抜かれたり。
その矢は威力が強いのか、具足など物ともせず深く突き刺さり、そうなるとその将は最早前線で采配を振るうなど不可能な有様と成り果てて、郎党に守られながら後ろに運ばれてくる。
将が撃たれて下がれば、その将の率いる雑兵らは領民でもある為一緒に下がってくる場合が多い。
結果、敵に目立った打撃を与えることも出来ず、ただ攻めあぐねながら前線の味方の将兵だけが減って行く、という最悪の事態となったのだ。
数倍の兵で攻め掛かる、平地での野戦にもかかわらず、だ。
なんとしても此処を抜かねば、我らに後はないというのに。
彼方此方で将らが金切り声を上げて兵らを叱咤激励しているが、とにかく簡単に落ちると思われたこの陣地は非常に厄介だ。
まさか、我ら武田はここに、この罠に態々嵌められるために引き込まれたとでもいうのか?
この大きな絵図面を描いた者の掌の上でただ踊らされていただけ、とでもいうのか?
そう思い至った時、儂は心底肝が冷えた。
そして、攻めあぐね士気が下がりつつある将兵らの士気を鼓舞するため、兄者が馬に乗り少し前に出た時、よく晴れた天に木霊するようにこれまでの鉄砲とは違った高い銃声が響く。
兄者の動きが不意に止まると、そのまま馬に被さるように崩れ落ちた。
「あ、兄者ぁ!」
兄者危機一髪。