閑話五十八 織田信広 奥三河行
いよいよ信広も出陣です。
天文十七年十月 織田信広
収獲が一段落し、今年の米もまずまずの出来と安堵しているところに、父上から武田が動いたとの書状が届いた。
以前よりその可能性については吉が予見しておったが、まさか本当に来るとはな。
書状には、直ちに兵を纏めて長篠を経て犬居城へと進軍し、犬居城に武田勢が居れば囲み城の南部の平地に布陣せよ、との指示が書かれていた。
傍に控える勘助に犬居城について聞けば、遠江から信濃へと至る主要街道の要衝であり、信濃から遠江曳馬城へ至る場合は、山深い地故道は限られており必ずそこを通るであろう、との事。
父上は我らに武田を阻止せよと仰せなのであろうか…。
更に書状を読み進めると、武田勢が南下して犬居城に居なかった場合、犬居で陣を敷き、撤退してくる武田をその地にて野戦で討取るべし、と。
そう締めくくられていた。
良くわからぬが、武田を遠江南部へ行かせるが、敗退するから撤退してきた武田勢を犬居で討て、とそういうことなのであろうか。
尾張勢がどうするのかは書かれておらぬが、この策を考えたのは間違いなく吉であろう。
吉でなければ、撤退してくる武田勢を三河から出陣して犬居の地で討つ、などと思いもつかぬ。
早速陣触れを出すと、農繁期が終わったこともあり常備軍と合わせ二万の兵が集まった。
これまで敵方であった松平広忠殿を始めとする東三河勢も、兵を率い味方として参陣してくれた。
東三河はこれまで戦続きで疲弊しておった故、今回は留守を守ってくれればそれでよかったのだが、和議を結び武衛様に臣従してから受けた色々な恩義に応えたいと、東三河の多くの国人らが参陣を表明し、結果三千もの兵が集まったのだ。
直ちに諸将を安祥に集め、軍議を開いた。
「各方、甲斐の武田が遠江を目指し進軍中との知らせだ」
諸将らからどよめきがでる。
「今川家は春先の敗戦の痛手で動けず、またこの三河と遠江、そして尾張は毎年の様に戦を繰り返し、戦の度に駆り出される民百姓らは疲弊しておるは事実。
故に我らは当面は内政にて国を充実させ豊かにしようという方針であった」
自ら普請の陣頭に立つこともある諸将は一様に頷く。
「それが武田にどう見えたのかは儂にはわからぬが、攻めあぐねておる信濃を攻めるよりは手薄に見えた遠江を取りに来ることにしたのであろう。
事実、遠江一国であれば今は今川家も居らずそれ程多くの兵は集まるまい」
話を静かに聞いておった広忠殿が発言する。
「されば我らは遠江へと後詰めに参るのであろうか」
儂は頷き答える。
「我が父より、三河勢は長篠に進み犬居城へ向かえ、との事だ」
奥三河から急いで駆けつけてくれた奥山殿が発言する。
奥山殿はあの辺りに根を張る国人で、遠江北部の事情にも詳しいはずだ。
「犬居城というと…、天野殿のところへ後詰に向かうということにござるな。
確かに、あの地には信濃から遠江へと抜ける主要街道がござる。
あそこを抜かれたら、遠江の南へ抜けられてしまいまする」
「左様、故に我らは出陣準備を直ちに整え、明後日安祥を進発する。道すがら各方の軍勢と合流し、菅沼貞景殿が居城の長篠を経て山間の街道を抜け、犬居城へと軍を進める。
遠江が万が一にも武田の手に落ちれば、次は我らに牙を剥くは必定。
また折角苦労して道を繋げ尾張から駿河に至る街道で商いを伸ばし国を豊かにしようという矢先、これを頓挫させられるわけにはいかぬのだ。
各方の奮闘を期待する」
「「「応!!!」」」
諸将は大急ぎでそれぞれの居城へと戻っていった。
軍議より二日後の早朝。
いよいよ出陣の日だ。
「では行ってくる」
「お前さま、ご武運を。
無事の帰還、お待ちしております」
「うむ。
我が子を見ずに死ぬわけにはいかぬからな。
無事に帰ってくる。
祐も身体を厭い息災でな」
「はい」
儂にも先ごろ子が出来たことがわかったのだ。
嫡男の誕生が望まれておるが、元気であればどちらでも儂は構わぬ。
安祥城で家臣らと出陣の儀を執り行うと、城の者らに見送られ出陣した。
「半蔵、犬居城の情勢が気になる故、物見を出してくれ」
「ははっ」
「武田の乱取りの酷さはこの辺りに迄知れ渡っておりまする故、犬居は酷いことになっておるやも知れませぬな」
父からの書状の内容は、勘助と半蔵の二人にだけ話してある。
皆に話しては、どこから武田方へ話が漏れるかわからぬからな。
行ってみたが間に合わなかった、という体にせねば、我らの真の行動が敵に伝わるのはまずい。
「うむ。
ともかく、予定通りに犬居に行くしかあるまい。
恐らく野戦となる故、到着したら物見を四方に飛ばして状況を把握し、策を練らねばならぬ。
勘助、頼むぞ」
「ははっ」
こうして、我らは道すがら諸将と合流し長篠に到達する頃には予定の兵が集まった。
そして長篠で夜を過ごすと、翌早朝より再び進軍を開始する。
ここからは山深い土地となる故、明るい内に行軍せねばならぬ。
幸い、山深いとは言え街道ゆえそこまでの困難は無い。
奥三河に詳しい者に先導させての行軍だが、山深い峡谷に沿って走る街道を脱落者を出さぬよう慎重に行軍したので、犬居城のある秋葉山を望む所まで二日を要した。
そこで一先ず野営をし、物見の報告を受ける。
物見によると、犬居城の城下町でもある宿場町は廃墟と化しており、人っ子一人居らぬ様子だとのこと。
また、犬居城にも城兵は居らず破却状態にあるらしい。
不思議なのは、町や城がこれだけの酷い有様でありながら、遺骸が全く無く血の跡も見当たら無いとの事。
「勘助、どう見る」
「誰も居らぬのは連れ去られた可能性もありまするが、ただ城に至るまで手向かいもせず連れ去られる等と、考えられませぬ。
まして、犬居城は規模は小さくとも山城。これほどの期間であれば籠城出来ぬはずも無いでしょう。
恐らくは…、事前に城主の天野殿が命じて領民と一緒に避難したのではないかと思われまするが…」
「ふーむ。
事前に皆が逃げていた、と言うことであれば、血の跡が無いことも遺骸も無い事も理由が付く。
しかし、何故そんな事をしたのであろうか」
吉は何がしたいのか。
「実際に、その場に行ってみれば何かわかるやも知れませぬ。
いずれにせよ、犬居の地に布陣するのが我らの役目なれば」
「うむ、ではそうするとしよう」
翌朝、そこから更に行軍して犬居の地に到着する。
物見の報告通り、乱取りの後なのか町はひどい有様だ。
城も修復せねば使い物にならぬ有様であった。
しかし確かに遺骸も血の跡も無く、乱取りの時に此処に人が居た気配がない。
ともかく、この地に陣を敷き野営の準備をさせる。
吉の作ったという背負子という道具で雑兵らに兵糧を背負わせ運ばせたお陰で、兵糧は暫くはなんとかなりそうであるが、多いに越した事はない。
「この戦、どのくらい掛かるのかまだわからぬ。
半蔵、一先ず兵糧が残っていないか調べさせてくれ」
「ははっ」
半蔵の配下の者が散り、家屋や城の中などに調べに入る。
半刻程後、配下の者が皆戻ってきて報告を受けた半蔵が報告に来た。
「殿、食料の類は一切ここには御座りませぬ」
「やはり乱取りで持っていかれたか」
「いえ、乱取りであれば少しは残っているものでござる。
しかしこの地では、その家の者が全て持ち出したかのように、きれいに無くなっておりまする。
そのせいか、武田勢が隅々まで家探しした跡がありまする」
「ふーむ。
ということは、避難する時にすべて持ち去ったと見るべきだな。
勘助」
「は。
そのとおりかと。
恐らく備後守様は、この地のどこにも食料を残さぬよう、避難する時に全て運び出させたのでござりましょう。
武田の軍勢は、恐らく乱取りで兵糧を現地調達することを前提に軍を動かしておるのでしょう。
それが、貧しき国の民を食わせる方法なのかも知れませぬが、備後守様は武田のやり方をご存知で、恐らくそれを逆手にとって食の手を断つ策を採ったのでござりましょう」
「なるほどな。
つまり、この地には恐らく近隣も含めて、すぐに食べられる様な物は何も無い、という事だな。
兵糧は今は十分であるが、ここに来るまでにもそれなりの日数が必要であった。
長篠に兵糧を集積させて、直ぐに運ばせるように手配すべきだな、勘助」
「はっ。それがよろしいかと。
直ちに手配いたしまする」
こうして三河勢はこの地に陣を築き、武田勢を待ち構えることになった。
後詰に入り直ぐに戦になることを想像していた諸将らは拍子抜けの様であるが、緩まぬようにせねばならぬな。
信秀は情報が漏れぬように必要なことしか伝えていないようです。
これで、武田の帰り道は塞がれました。