閑話五十七 松井宗信 二俣城籠城
二俣城に武田勢が攻めてきます。
天文十七年十月 松井宗信
突然やって来た備後守様の使者から”武田遠江へ来たる”の話を聞いた時、我が耳を疑った。
しかしそれは現実の事であり、儂は備後守様のお指図通り慌ただしく戦準備を始めた。
天竜川の浅瀬に備後守様より送られてきた仮の橋を架けると、近隣の村々から食料や家畜、貴重な品を二俣城へと運び込ませ、そして村人達には持参した貴重品と持てるだけの食料を持たせ井伊谷に避難させた。
備後守様のご指図は、遠江北部からこの二俣城へと至るまでの全ての食料を総ざらいせよ、であった。そして遠江北部の国人らは郎党を引き連れ、続々とこの二俣城へと入城してくる。
備後守様は二俣城を天竜川より西を守る要衝とされるおつもりなのだ。
此処より北にある犬居城の天野景貫殿も、一族郎党皆連れて二俣城へとやってきた。
この二俣城はそれほど大きい城とは言えぬので、二俣城へと入った国人らの女子供など戦えぬ者は更に南の曳馬城へと逃した。
備後守様の使者が来てから三日の間、大勢の人々がこの二俣城を通り過ぎ避難していった。
そして四日目には、二俣城より北には誰ひとり居らぬ様になった。
その日の夕方、備後守様よりの後詰が到着した。
「二俣城城主の松井宗信にござる」
「織田備後守様が家臣、鈴木孫助にござる。
鉄砲衆を率いて参り申した。
これより城の守りに付きまする」
鉄砲衆というが、百五十名位しか居らぬが…。
先遣隊であろうか。
「鈴木殿、良くぞお越し下された。
後続の軍勢はいつ頃参られるのであろうか。
当城も受け入れの支度がございますれば」
「備後守様に後詰を命じられたは我らだけにござります」
それを聞き儂はめまいを覚えた。
城には今二千程度の軍勢しか居らぬ。
如何な二俣城が堅城とはいえ、あの武田相手にこの兵力ではもたぬのではないか。
幸い兵糧は十分すぎるほどあるが…。
「我らは鈴木殿の軍勢を加えても二千そこそこの兵力しかござらぬ。
備後守様はいかなる存念であられ様や」
「備後守様は守りきれるはずだと仰って居られまする。
武田は一当てして簡単に落ちぬようであれば、ここを放置して別の道に行くだろうと」
「ふーむ…」
そうであれば良いのだが…。
だが、あの備後守様の事、何の考えもなくこの様な事はなされぬ筈。
三河の戸田氏を海を越えて救援した備後守様が、我らを見殺しにするとも思えぬ。
「わかり申した、我らも懸命に励む所存。
共にこの難局を切り抜けましょうぞ」
「我ら鉄砲衆、此度がはじめての戦でござるが、我らの働き存分にお見せ致す」
なんと、初陣というのか…。
不安しか覚えぬわ…。
鈴木殿が来てから、鈴木殿が持ち込んだ資材以外にも続々と資材が届き、鈴木殿ら鉄砲衆の指導で城の防備が固められて行く。
固まれば石のように固くなる漆喰や、簡単に打ち付けて組み上がる建材など、初めて見るものばかりなれど、これが備後守様の力、戦かと改めて感服致した。
二日ほどで目に見えて城が強固になり、守備する場所の割り振りが決まる。
鉄砲衆は、小窓の付いた鉄砲衆専用の長い廊下を張り巡らせたので、そこから城に攻め込む敵勢に鉄砲を打ち込むとの事。
我らの弓衆には弓衆の為の曲輪が用意され、そして万が一にも門が抜かれた時の為に守備する兵が待機する溜まり場なども有り、実に見事に縄張りされたのだ。
鈴木殿らの到着から三日目、物見から武田勢が攻め寄せてきたとの報告。
それから更に半日程経った頃、武田の軍勢が此の地に到着し清瀧寺の辺りに陣を敷き出した。
二俣城は北に山並みが続く山城であり、南に平地を挟んで鳥羽山城がある。
そして、鳥羽山城から見て川向うに和田ケ島砦があり、この三拠点でこの地域を抑えている。
南の鳥羽山城はこの二俣城ほどの規模はない。
武田勢は城を囲んでその日は動かなかったが、降伏勧告の使者がやって来た。
使者曰く、武田は甲斐信濃の軍勢一万五千を号し、直ちに降伏しこの度の遠江で功あれば所領安堵の上、必ず厚遇するとの言上。
しかし、既に武田の軍勢がここまで通ってきた道すがら、無人の野とは言え乱取りしながらの行軍で、ひどい有様となっているのは物見の報告でわかっている。
甘いと謗られようとも、乱取りもせず無益な殺生を嫌う武衛様の軍勢とは大違いだ。
使者には存分に攻めてこられるが良いと返事し、お帰り頂いた。
翌朝、準備が整ったのか武田は攻め手を繰り出して来た。
信濃の国人らの旗印が並び、矢盾を前に陣太鼓に合わせて大手口を目指してゆるゆると進んでくる。
この二俣城は大手口くらいしか大軍勢での攻め口が無いのだ。
定石通り、城から攻め手に向けて遠矢を放った。
この矢は精々牽制の意味くらいしか無く、具足に劣る雑兵の幾人かに矢に当たり引き下がっていく。
攻め手は直ぐに矢盾を連ねると矢を防ぎ、更に前進してくる。
武田方の矢がこちらに届く距離になると、武田方から矢の斉射が行われ夥しい量の矢が降り注ぐ。
こちらの弓衆は矢を防ぐ待避所に大急ぎで逃げ込み皆無事だが、先程まで居た場所に矢衾が出来ていた。
鈴木殿の話だと適当に矢を交わして敵を近づけてほしいとの事。
鉄砲が届く距離は矢ほどでは無く一町ほどで撃つのが理想らしい。
武田勢が大手口に入り、門を打ち破る破城槌を矢盾を連ねて運んできているのが見える。
槍を構える兵らが不安げな表情を浮かべるが、鉄砲衆は黙々と射撃準備を整え攻め手に狙いをつけ号令を待つ。
鉄砲を撃つ所は見たことがあるが、これほどの量の鉄砲を同時に使うのを見るのは初めてだった。
彼らが持参した鉄砲は百丁もあるのだ。
攻め手の先手に矢を断続的に射かけながら敵を進ませ、今まさに武田方が大手門に破城槌を仕掛けようというところで、鈴木殿の号令が聞こえた。
放て!の号令と共に、五十丁の銃が同時に火を噴く。
そして、後ろに控えた者に撃ったばかりの銃を手渡し、別の者が鉄砲を差し出す。
撃ち手は弾が込められた新たな鉄砲で狙いをつけ、更に射撃を加える。
撃ち終わった鉄砲を受け取った者は手際よく新たに弾込めし、もう一人に渡す。
渡されたものは火縄の準備をして、撃ち終わった射手に弾込め済みの銃を渡す。
それの繰り返しで、次々と弾込めしては銃を放つを繰り返すのだ。
鉄砲が火を噴く度に弾を受けた攻め手がバタバタと倒れる。
轟音を上げて飛び出すその弾は矢楯を簡単に貫き破壊するのだ。
雑兵は轟音に恐れおののき右往左往し、間髪を入れずに射かける我等の矢に当たりまた倒れる。
攻め手はたちまち総崩れとなったのだ。
恐ろしい…、これが鉄砲の威力なのか。
矢盾も具足もまるで役に立たぬではないか…。
攻め手が攻めきれぬと見たか、武田の本陣から引き鐘が鳴り響き、無様に引き上げていったのだ。
その後には持ち手が居なくなった破城槌と遺骸、そして呻き声を上げる兵達が残されていたのだった。
敵勢の全体から見れば今回の攻めによる損失はまだ少なく、失ったのは信濃の国人の兵ばかり。武田の本隊は痛くも痒くもなかろう。
その後再び攻めてくる事は無く、抑えの兵らを残すと武田の本隊は南に下っていった。
我らの仕事は一先ず終わったのかも知れぬ。
しかしまた戻ってこないとも限らぬ故、我らは武田が信濃へ引き上げるまでここを守らねばならぬ。
武田の本隊が去った後敵陣に軍使を送り、城の前に放置されている遺骸と負傷兵を回収させた。
我等の眼の前にいつまでも遺骸や負傷兵が放置されているべきではない。
ここは儂の家でもあるのだからな。
武田勢は簡単には落ちないと見て南に進路を変えました。