閑話五十五 真田幸綱 小諸城にて
真田幸綱は小諸城にて戸石城攻略を命じられます。
天文十七年十月 真田幸綱
お屋形様は遠江攻略に出陣され、それがしは滋野三家と共にかつて我らの城であった砥石城の攻略を命じられた。実質的には村上氏に対する抑えであろうな。
高遠頼継殿ら南信濃の国人衆はお屋形様に従って遠江攻めに出陣した為、南信濃の護りはこの小諸城が引き受けることになるのであろう。
新参者故に、滅多なことは言えぬがそれがしは此度の遠江攻めは失敗すると見ておる。
お屋形様の頼りとしておった重臣らを失い、気が焦るのはわかる。
そして、遠江を攻めるならば今が好機であるというのも、わからぬではない。
しかし、それがしはどうにも不安を感じるのだ。斯波家の力はそれ程弱いのか、と。
今や斯波家は尾張から遠江まで勢力を拡げ、美濃斎藤家すら盟とはいうが負け戦を繰り返した末での盟で実質軍門に下ったも同然ではないのか。
更には今川家を見事に遠江で打ち破りこれまた盟を結んだが、これも下ったようなものだろう。その気があれば斯波家は駿河をも攻めることが出来たはずだ。
何故かそれをせなんだがな。
故に、斯波家はいわば濃尾三遠駿の五カ国を領する大大名とも言えるのだ。
だが、その支配は緩やかとも聞く。
遠江も、今川家臣が駿河に退去した後は今のところは遠江の国人だけで治めている様なものだという。
それが故、遠江は手薄であるように見えるのだが…。果たしてそうなのであろうか。
元々、我らが武田家に臣従したのは我らが故地を奪還するため。
武田に臣従すれば小県郡を取り返す為に兵を出し、奪還した後は故地を返還して安堵する、という約束をした故に武田に従ったのだ。
そうでなければ、村上と結託して我らを攻めた武田などに誰が臣従などするものか。
だが、お館様は我らに砥石城攻略を命じられ、自らは遠江攻略に行ってしまわれた。
まあ、今更考えたところでそれがしが遠江攻めを止めることなど出来ぬし、最早詮無きこと。
問題は、これからの己の身の振り方をどうするかであろう。
そんな事を考えていたその夜、それがしを訪ねてくる者があった。
聞けば尾張の守護代織田家の使者だという。
それがしはそれを聞いて思わず苦笑いした。
使者はそれがしの笑いを不思議がったが、要件を聞くと書状を届けに来たという。
それがし如きこの信濃であればいざしらず、尾張にまで名が知れ渡っているとはとても思えぬ。
しかし、受け取った書状には確かにそれがしの名前が書いてあった。
これが意味する事は、斯波家の長い手はこの信濃の奥深くにまで伸びていると言う事よ。
お屋形様が出陣してまだ幾日も経たぬのに、尾張の使者が訪ねてきたということがその証。
それがしの不安は現実の物となったようだ。
兎も角、書状を開いてみると。
真田殿を直臣として召し抱えたい。
条件は旧領回復と安堵、それとは別に年五百貫。
武田家が遠江を攻めた報復に小笠原長時殿を旗印に信濃に出兵する故、承諾の場合は旧諏訪家など信濃の国人衆の調略を頼みたい。
小諸で会うのを楽しみにしている。
書状にはこの様な内容が書かれてあった。
そして、織田備後守信秀様の署名と花押があった。
お屋形様は尾張の虎の尾を踏みつけたようだな。
我らは武田家と共に滅びるつもりは更々無い。
故地を取り戻す為に武田に従っているだけ故、力を貸してくれるならばそれはどこでも構わぬのだ。
真田の願いは一つ。それが武田でも織田でもどちらでも良いのです。