第百四十三話 越後からの帰還
春頃に使者に立った平手久秀殿が帰ってきました。
『越後からの帰還』
天文十七年十月中旬、越後の長尾晴景様の元へ返礼の使者として訪問していた平手久秀殿が戻ってきました。
春に旅立ってから、実に半年を超える旅路です。
総勢二百余名の使節団は無事に帰還したようで、古渡城で父に帰還の報告をした後に帰還を祝う宴も催されました。
越後への旅路は陸路で美濃を抜けて越前へ、そこから船で越後の直江津へ向かいます。
そして直江津に到着すれば、晴景様の居城春日山まではそう遠くありません。
本来であれば信濃経由のルートを通るのが行商では一般的らしいのですが、近年戦続きで信濃国内は物騒になっており、今回は避けることになりました。
道中の斎藤家、朝倉家にも行き帰りに挨拶に立ち寄り、越後でも歓待されてそれなりの期間過ごしていたらこんな半年を超える旅になってしまったようです。
いずれにせよ、帰蝶姫輿入れの返礼に斉藤家へ、そして代替わりの挨拶に朝倉家へ夫々使者を立てる予定でしたから、外向きの交渉を任されていた平手政秀殿の跡を継ぐ嫡男の顔見せと適性確認の意味も含めて一石二鳥の旅となった様ですね。
宴が終わると、久秀殿が訪ねてきました。
「姫様、無事戻りましてございまする」
「長旅、大儀でした。
今回の旅は如何でしたか?」
「はっ、某が正式な使者として立つのはこの度が初めてにござりましたが、備後守様や我が父の配慮もあり、恙無く役目を果たすことが出来申した。
道中も姫様御用の布施屋に随分と世話になり、道中滞りなく行って戻って来られたのはかの御仁の尽力があってのこと。
備後守様も此度の功をお認めになり、今後布施屋に配慮をするとお言葉を下されました」
さすが近江商人、同行してもらってよかったです。
布施屋さんの商売はどうだったのでしょうね。
「そうでしたか、布施屋さんがお役に立てた様でよかったです。
美濃や越前では如何でしたか?」
「美濃では斎藤利政様にお会いし、殿の書状をお届けしました。
五日ほど滞在し、嫡男の新九郎義龍様の知己を得ました。
新九郎様より姫様の近況に付いて聞かれました故、かわらずお元気にあられるとお伝えしたところ、喜んで居られました。
なんでも新九郎様は、備後守様や姫様ともお会いになったことがおありだと話して居られました」
「ええ、そうです。
一度、父上にお供して美濃近くの寺に行ったのですが、その時に偶然お会いしたのですよ」
「そうでございまするか。
備後守様にもこの話しをしましたところ、笑っておいででした」
「ふふっ、そうでしたか。
越前の朝倉家はどうでしたか?」
「朝倉家では、新当主の孫次郎義景様とお会いし、殿の書状をお届けしました。
備後守様と先代の孝景様とは親しくやり取りをして居られたそうで、度々の手伝い戦にも来てもらい感謝して居られたと話して居られました」
「先代様は本当に急でしたからね…。
孫次郎様はどんな方でしたか?」
「孫次郎様は姫様と年の頃が近く、今年で十六になられるそうです。
あまり多くは語られぬ方で、補佐役の宗滴様が代わりにお答えされることも多くございました。
まだお若いので控えて居られたのかも知れませぬ」
「宗滴殿程の方が側に居られたらそうかも知れませんね。
越後では如何でしたか?」
「はっ、越後では当主の晴景様に殿からの書状をお渡しし、無事返礼の品をお届けいたしました。
晴景殿は多くの返礼の品に当惑されておりましたが、喜んで居られました。
越後上布のお礼も申し上げたところ、今後尾張とは交易を盛んにしたいと仰られ、また今回の使節派遣への返礼として、越後の産物を新たにお贈り下されました」
「そうでしたか。
越後と直接海で繋がれば良いのですが、良いおつきあいができればいいと思います。
信濃がもう少し安定すれば陸路でも行けるのですが」
「越前の湊も中々活気があり、色々な処よりの産物が届いておりまする。
越前、越後とは今後も交流が出来るとよろしゅうございまするな」
「そうですね。
ところで、とら姫から返事を預かっていませんか?」
「そうでござりました。
こちらにござりまする。
姫君より返礼の品も預かっておりまする」
「はい、確かにいただきました。
ところで、とら姫はどんな方でしたか?」
「年の頃は姫様と同じくらいにございまする。
大変お美しく、利発そうなお方にございました」
「そうでしたか。
武略に優れたとかそういう所はありそうでしたか?」
久秀殿はきょとんとします。
「は、はあ…。
そのような風には見えませんでしたが…」
「ふふ、戯れです。
そうでしたか、お美しい方でしたか」
「姫様もお人が悪い。
お国柄か、とら姫様は色白のお美しい方にござりました。
では、姫君。
そろそろ、父の元に参らねばなりませぬので…」
「はい。お勤め大儀でした」
久秀殿は平伏すると戻っていきました。
越後にはどのくらい居たのでしょうね。
さてと、ではとら姫の手紙を見てみましょう。
とら姫の手紙は結構長く、全て目を通すと思わず溜息を吐いてしまいました。
尾張の使者が返礼の品を持って越後を訪れた事に驚いたことや、返礼の品の数とその量に更に驚いたことなど書かれてありましたね。
石鹸の詰め合わせとかアロマセットとか、越後との新たな交易商品にならないかと色々贈りましたから。
晴景様はその後、私が送った食事改善の本や薬酒のお陰でかなり体質改善したようで、心身ともに随分快活な人になったようです。
その上で、内政に細やかに気を配り、家臣達を和をもって纏めようとしているらしいですが、どうにも越後は武闘派が多いようです。
相変わらず、晴景様は気苦労が絶えないようです。
しかし、以前と違って晴景様に公然と異を唱えたり、晴景様の適性を問われたりする事は無くなったと書いてありますね。
どうやらこの世界は謙信公も居ないみたいですが、謙信公の居ない越後ってどんな歴史を歩んだのでしょうか。
やっぱりとら姫は、久秀殿が見抜けなかっただけで、実は軍神様なのでしょうか?
でも、久秀殿が美しいを連発してましたが、どんな方なのでしょう。
そこまで言われると、一度逢ってみたい気もします。
『資材輸送』
武田は既に出陣準備をしているようで、我等も遅れを取らないためにも、先に遠江へ資材を送ることになりました。
既に街道では激しく行き交うほどでは無いにせよ、毎日のように駅馬車や輸送馬車が走っており、今では馬車はそれ程珍しいものではありません。
そんな行き交う馬車に対武田用の資材を潜り込ませ、遠江の匂坂城へ資材を運び込みます。
松井殿、天野殿には既に書状で知らされており、武田が高遠城を抜けたら動き出す手はずです。
それと同時に、遠江の国人らにも陣触れがされるでしょう。
とら姫軍神疑惑はともかく、越後美人のようです。