第百四十二話 蠢動
加藤殿がやってきました。
『蠢動』
天文十七年十月上旬、日も暮れ部屋でタグボートの模型を作っていたら加藤さんがやってきました。
「姫様、宜しゅう御座いまするか」
「はい、どうぞ」
私が隣室に模型を押しやって居住まいを正して座ると、加藤さんが静かに障子を開けて入ってきました。
相変わらず動きに無駄がないのか鍛錬の賜物なのかあまり音を立てない人です。
「どうしましたか」
「武田が動いておりまする」
武田は八年程前から信濃を攻めていて、去年も農繁期が終わった七月頃に兵を挙げ、信濃の志賀城を攻め落とし酷いことをしたそうです。
そして今年も二月に北信濃攻略の為に更に兵を進め、村上義清殿を攻めたのですが、この戦では武田方が敗北し、重臣と多数の兵を失う痛手を蒙ったのです。
それを見て七月に諏訪家の旧臣らが信濃の守護小笠原長時様の支援を受けて反旗を翻したのですが、武田勢の夜襲を受けて大敗し、信濃勢が大勢が討ち取られてこちらも暫く動けない痛手を蒙りました。
この辺りは史実通りに進んでいます。
史実ではこの後武田は暫く動かず、信濃での敗北を癒やし力を蓄えるのですが…。
「動いていますか…」
「はっ。遠江で武田の間者の姿を良く見かけるようになり申した。
更には一部の国人とは文を交わしているようにござりまする」
「以前から間者は居たでしょうが、よく見かけるという事は…。
すぐにと言うわけではないでしょうが、近々ということでしょうか」
加藤さんが頷きます。
「恐らくは」
武田晴信殿は家督を継いでから『透波』と呼ばれる忍衆を集め巧妙なスパイ網を作り出し、信濃攻略に役立てたと言うのは後世で戦国時代が好きな人ならよく知ってる話です。
何しろ武田信玄は織田信長と並ぶ戦国時代のスーパースターですからね。
この世界の武田信玄は、私が居た世界の歴史とあまり変わらない歴史を歩んで来たようです。
しかし彼は、この先私が居た世界の歴史とは違う歴史を歩むようです。
そして、その透波は去年討ち死にした武田の重臣が手足として使っていたのですが、重臣の討ち死ににより再編成されたはずです。
それがかの有名な『三ツ者』ですね。総勢二百人とも言われる、甲賀や伊賀に匹敵する大組織です。
そして、恐らく遠江で動いているのはその三ツ者達でしょう。
彼らは戦で撹乱任務も行った透波とは異なり、戦には参加せずに諜報活動を主に行う者たちだった筈。
とはいえ、加藤殿が察知したという事は、恐らく父も把握しているでしょう。
一応報告はしますけど…。
父には今望月の伝手で集まった甲賀の者や、噂を聞きつけてやってきた伊賀の者などそれなりの人数の忍びの者が雇われているはずです。
元々、甲賀とは繋がりがあったようですし。
とはいえ、甲斐の三ツ者の規模とは比較にならないと思います。
甲賀は相変わらず六角家が主な主家で、望月も六角家が主家。
尾張に居る望月の者は尾張望月家として分家していますから織田弾正忠家が主家ですが、尾張に居るのは基本的には薬師や普通の農民や職人さんなどが大半で、忍びの者はそれほど多くは居ないはず。
伊賀の方は忍びとして雇われているとは思いますが、どのくらいの人数が雇われているのかは知りませんが、此方もそれほど多くはないと思います。
「武田の調略に乗りそうな国人は居そうですか?」
「恐らくは、旗幟を明確にした者は居らぬかと。
彼らは武田を良く知っておりまする故。
それに、遠江の国人らは武衛様に恩を受け申した。
そして、今進んでおる道の整備や人の往来で潤っておりまする。
わざわざそれらを捨ててまで武田に従うとすれば、それは致し方無き時のみ」
「甲斐との国境近くの国人らは蹂躙されるかも知れませんね」
「左様、恐らく彼らは武田が動くまでは旗幟を明らかにせず、武田が迫れば武田方に付くでしょう」
「そうでしょうね。事前に明確に裏切れば、父も放置はありえないでしょうから」
「そこは、武田も解っておりましょう。
今は恐らく反応を見ておるのです」
「武田の思惑はともかく。
私は今武田が遠江を攻めてくるならば、これを好機とすべきだと思っています」
加藤さんはニヤリとします。
「如何なさいますか」
「私達の強みは整備された街道による移動の速さと、それを活かすことの出来る美濃から駿河に至るまでの長い勢力圏です。
武田勢を遠江に閉じ込めて尾張から美濃を経て南信濃へ抜け、信濃守護の小笠原長時様に御出馬願って南信濃を攻略し、甲斐を攻めます。
他方、武田勢が甲斐に戻れぬよう三河より兵を出して長篠城を経て犬居城の辺りに陣を敷いて蓋をします」
「しかし、それであれば遠江に攻め込んだ武田勢はどう致しまするか」
「武田が取るであろう道は高遠城を経て信濃南部を南下し青崩峠を越えて犬居城へ至り、二俣城へ向かうでしょう。
ここを落とせば天竜川の西に出ることが出来ますから、曳馬城へも井伊谷にも進むことが出来ます。
今、曳馬城に居るのは城代の井伊直盛殿ですから、井伊谷を攻められて見殺しには出来ないでしょうから、井伊谷を攻めると見せかけて井伊勢を誘引して三方原で野戦で打ち破るなどという絵図を描いてると思いますよ」
「なるほど」
「であるならば、武田が実際に動き出し高遠城を南下し始めれば遠江に来ることは間違いありませんから、二俣城に鉄砲隊を派遣して武田を西に進めなくし、二俣城に抑えを置いて東に進もうとしても行けないように、天方城、一宮城にそれぞれ兵を配します。
そして、匂坂城に遠江の国人衆を集めて、城の北の平原に陣地を築きます。
街道を活用して資材を持ち込めば大丈夫でしょう」
「それで武田勢を閉じ込めてしまうわけにござるな」
「そうです。
精強という武田勢がどれほどの強さなのかはわかりません。
しかし、精強な武田勢に打ち勝つ必要はないのです。
武田勢が遠江で孤立しすり減っていく間に、帰る場所がなくなるという策ですから。
二俣城の松井殿は優れた武将ですし、天方、勾坂、一宮のそれぞれの国人らも父を討取る寸前まで追い込んだ剛の者達ですから、きっと持ちこたえられるでしょう」
「確かに。それに天方城、一宮城は山城なので簡単に落とすこと叶わぬでござろう。
勾坂は開けた平原の丘陵地に建つ館を大きくした程度の城にござるから、ここに陣地を築くわけにござりますな」
「そのとおりです。
私の陣地はそう簡単には抜けないはずです。
そのための準備もしてきましたから」
加藤殿がニヤリとします。
「後は、南信濃の調略というわけにござるな。
まだ攻め取って日が浅く、酷い仕打ちをした武田に心服しておらぬ者が多くござろう」
「そういう事です。
お願いできますか?」
「承りました」
「それと、犬居城の天野景貫殿です。
恐らく、この天野殿が一番調略を掛けられるでしょう。
なにしろ犬居城は通り道の要衝で、ここを素通り出来るか出来ないかで全く違うでしょうから。
こちらに用意してある書状を天野殿へ届けて下さい。
そして、武田が動き出したら直ぐに天野殿へ知らせて下さい。
書状の中身は、武田が動き出せば二俣城から犬居城までに住む領民を全員連れて避難すること。
天野殿ら武士は二俣城へ合流し、領民らは井伊谷に逃がすこと。
二俣城へ移動する際に城や村々の食料を総ざらいし、食料を領民に持てるだけ持たせたら、残りは二俣城へ入れること。
武田との戦の後、乱取りにあった村や壊された城は武衛様が責任を持って補償するので安心すること。
二度と手に入らない貴重品は補償できないので隠すか二俣城へ移すこと。
と言った内容が書かれてあります」
「つまり、武田に食料を与えぬと言うことにござりますな」
「そういう事です。
腹が減りては戦が出来ぬという諺通り、いくら精強な武田兵でも食料が尽きれば戦えないでしょう」
加藤殿がフフッと笑います。
「委細、承りました。
今の策は備後守様はご存知で?」
「勿論です。
その書状には、父と武衛様の署名と花押が入っていますよ」
加藤殿がいい顔でニカッと笑みを浮かべます。
「あと、最後にもう一つあります。
武田に真田幸綱という人が居ます。
この人は信濃の海野氏の一族で小県郡の国人領主ですが、以前武田に攻められ所領を奪われて一度は上野の長野氏を頼って逃れております。
その後信濃に戻ってきて、武田に従うことで所領を戻してくれると約束はされていますが、未だ所領は戻してくれていません。
真田殿は優れた知略の持ち主と聞いています。彼を味方に引き入れられれば、信濃甲斐攻略がより楽になるでしょう。
寝返りの条件は、武田との戦の後に旧領回復の上安堵と直臣として召し抱えです。
彼は敵に回すと厄介かも知れませんので、留意して下さい」
「承知仕った。
では、早速動きまする」
「お願いしましたよ」
加藤殿がまた音も無く部屋を出て行きました。
加藤殿は不思議と声の響かない喋り方をするのですが、あれは特別な発声法でもあるのでしょうか。
吉姫は色々と動いています。
前の雪斎和尚に話した策と似ていますが非なるものです。