第百四十話 秋の収穫
収穫の季節になりました。
『秋の収穫』
天文十七年九月下旬、農村は豊穣の秋を迎え待ちわびた収穫に大忙しです。
そんな頃、夏前の七月頃から清兵衛さん達が取り掛かっていた幾つかの事案の成果が上がってきました。
一つはこの日本で初となる青銅製の洋釘の量産です。
青銅製の釘自体は和釘というものがもっと以前からあるのですが、平成の御代で見かけるような一般的な釘の生産は初となります。
持ってきてもらった箱を開けると、中には既視感あふれる釘がどっさりです。
しかし、平成の御代で見慣れた釘と違うのは、黄金かと見紛うばかりの輝きを放つ青銅製なのです。
青銅というと青緑ってイメージですが、作りたての青銅は金色なのです。
古代史の伝承で黄金の鎧を着た戦士とか出てきますが、恐らくそれは青銅製だったのでしょうね。金だと高価過ぎるし柔らか過ぎるので、鎧などの用途には向きませんから。
釘のサイズは複数あり、今建造中のカティサークにも役立つと思います。
元々洋船は釘を多用して作られていますからね。
釘の副産物として、銅線なんてものも出来ました。
これでコイルを作れば簡単な発電機が出来ますね。
もう一つはこちらも日本初となる蒸気機関です。
燃料は相良から取り寄せた灯油で、制作したのはワット式と呼ばれるタイプです。
車載する場合は二気筒にしたほうが良いかも知れません。
最終的にはスターリングエンジンとか出来ると良いのですが。
古渡の清兵衛さんの工房で完成品を検分します。
「見事な出来です。試運転はしてみましたか?」
「いえ、姫様もご覧になりたいだろうと、まだ動かしておりません」
「姫様に言われるがままに作っただけでやすから、これがどの様に動くのかは想像も付きやせんや。
佐吉はこれで問題ないはずだと言いやすんですがね」
「シリンダーの出来とか、分解して中を見てみたいところですが、佐吉さんが大丈夫だと言うのでしたら大丈夫なのでしょう。
では、早速動かしてみましょうか」
「では、始めさせて頂きます」
今日はいつものお供の皆さんのほかに、梓さんも来てますね。
一歩下がった所からじっと成り行きを見ています。
「はい。お願いします」
佐吉さんが水をタンクに注ぎ込み、そしてボイラーにも灯油を流し込みます。
潤滑用のオイルタンクまで備えた本格的なものですね。
そして、ロウソクに火をつけるとボイラーに点火します。
暫くするとボイラーが温まってきて蒸気が吹き出てきます。
良い感じに蒸気が安定したところで、弁を操作して蒸気機関に蒸気を流し込みます。
すると、ゴーッと音がして機関が動き出します。
工作精度が良いのか蒸気漏れが殆どありませんね。
大きな弾み車が回りだすと回転が安定します。
佐吉さんと梓さんと私以外は、清兵衛さんをはじめ皆さんくちあんぐり、という感じです。
「ひ、姫様、これはいかなるからくりにござるか」
普段は冷静沈着な滝川殿が目を丸くして蒸気機関を見ながら声を上げます。
「このからくりは、この白い湯気を蒸気と言いますが、この蒸気の力で動く蒸気機関というからくりです。
この中に先ほど入れた灯油と水があれば、壊れない限り何刻でも動き続けるのですよ。
力だってそれなりに強いですから、例えば旋盤を回し続ける事もできますし、もう少し小さく作れば馬車を馬無しで動かすことが出来るでしょう」
「ば、馬車を馬無しで、でござるか」
今度は藤三郎殿があんぐりです。
小次郎殿は頻りと頷きながら好奇心旺盛な子供の目であちこちを眺めています。
千代女さんは怖いのか気がつけば別の部屋から隠れるようにしてみてますね。
やはり、派手な音がしますから。
「清兵衛さん、これがあればなにかが変わりそうな気がしませんか?」
あんぐりしていた清兵衛さんが私に声を掛けられると、我に返り腕を組みます。
そして、しみじみした感じで答えます。
「こんなものを作ったんでやすな…。
すぐには思いつきやせんが、何かが変わった気がしやすぜ。
あの旋盤といい、フライスといい、鍛冶の世界が変わった気がしやしたが、この蒸気機関はもっと色々と変えそうな気がしやすや」
佐吉さんが話を継ぎます。
「初めて作ったにしてはまずまずの出来ではないでしょうか。
この先、色々な用途に使えるでしょう。
そうですね、例えば今大型船の出入りに苦労してますが、この蒸気機関付きの船があれば格段に早くなるでしょう」
「タグボート!
そうですね、あれがあるときっと良いと思います。
だから、馬車や船に搭載出来る蒸気機関の開発を、是非お願いします。
そして、これはまだ外にだすのは早いですが、お二人だけで作っていては大変でしょうから、古渡の職人達と協力して作るのは良いと思います。
父上に今日の成果は話しておきますね」
「はい」
「大儀でした。
屋敷の料理人に宴の準備を頼んでおきましたから、今日は皆で楽しんで下さい」
清兵衛さんがそれを聞いて破顔します。
「ありがてえ。
感謝しやす」
これで色々と出来ることが増えそうな気がしますね。
あとは、やはり鉄ですねえ…。
『火薬』
古渡の工房から出ると、梓さんが話しかけて来ました。
「姫様、見せたいものがあるので時間がありましたら我が家の離れに寄ってくれませんか?」
おや、何でしょうか。
「はい、大丈夫ですよ。では行きましょうか」
そういえば、梓さんの離れに入るのは初めてですね。
佐吉さんの屋敷に入ると庭の片隅に如何にもツーバイフォーで建築したような窓の少ない建物が立っています。
お供の皆さんには母屋の方で待ってもらって、梓さんと佐吉さんと離れに行きます。
中に入ると、普通に洋間の実験室になっていました。
前に佐吉さんが梓さんの実家で見たという部屋はこんな感じなのでしょうか。
そして、その部屋の中心にある机の上に金属製の実験設備が置かれていました。
「姫様、これが以前頼まれていました、実験用の設備です。
そして、これが成果物」
そういうと、蓋のしまったガラスの小瓶を渡されます。
中には透明の液体が。
何となく中身がわかりますので、少しだけ蓋を開けてみると、やはりアンモニア臭がします。
「上手く行ったんですね」
「ええ、実験室レベルならば生成可能でした。
設備自体は佐吉さんが作ってくれましたし」
佐吉さんが頷きます。
「これを実際に作ったのは初めてですが、この手の設備は作ったことがありましたからね。
今のように殆ど手作り、と言う訳ではありませんでしたが」
「そして、これが黒色火薬と無煙火薬です」
ガラスの小瓶をもう二つ出してきます。
一つには黒い粉、もう一つはサラサラとした茶色の粒が入ってます。
「本当にできたんですね。無煙火薬」
それを聞いた梓さんが、私を一瞬ジロッと睨みつけます。
しかし、すぐに表情を戻します。
「当然です。
しかし、こちらの方は兎も角」
と、アンモニアを指さします。
そして、次に無煙火薬の方を指さします。
「こちらの方は、作れますが実験室で合成するレベルですから沢山は作れません。
それなりに手間がかかりますし、かといって誰かに手伝わせるほど私は自信家じゃありません」
「そ、そうでしょうね…。
こちらの方は、ここぞという時に使えればいいのです。
流石に小瓶一つでは困りますが、実包を百発位用意できれば十分だと思います」
それを聞き佐吉さんが頷きます。
「わかりました、ではそれは梓と相談して用意しておきます。
一先ず、火薬に加工しやすいようにしたものをあちらに用意していますから、一度見て頂いて大殿にどうするのかお決めいただければ」
「はい、わかりました。
加藤殿から、武田がやっぱり農繁期が終わるとどこかに攻め込みそうだ、との報告がありました。我々に無関係だと良いのですが、準備だけはしておく必要があります」
佐吉さんがそれを聞いて溜息を吐き、呟きます。
歴史には疎いそうですが、学校で習う程度には武田の所業を知っているでしょう。
「また戦ですか…」
それを聞いて梓さんの表情も曇ります。
何しろ遠江の国人の娘ですからね…。
「大事な人を失わないよう、私達は出来ることをやるだけです」
「「はい」」
二人が頷きます。
そうして、生成されて樽に詰められている硝石を確認した私は、今日のことを父に報告します。
父は、釘の話はニコニコと頷いて聞いていましたが、蒸気機関の話をすると実物を見てみたいと言い出したので、後日準備して披露するという話になりました。
そして、硝石の話をすると流石に驚いていました。何しろ高価な代物ですから、自前で用意できるとなると話は全く変わります。
現在弾正忠家にある鉄砲は、ライフル銃床と銃眼が付いた量産型が百丁程。それに父が以前から商人から買い集めていた色んな産地の鉄砲が三十丁程。
これが今、手元にある鉄砲の全てです。
それでも日本の国人でこれ程の鉄砲を持っている国人は、恐らく数える程もないと思います。
持っているとしても大内家、尼子家、そして管領細川家と三好家くらいではないかなと。
父は火薬を完成品として商人から買っていたようで、火薬の調合を知っている家臣は鉄砲指南役の人がそうなのですが、彼もそれ程沢山の調合をしたことはないとのこと。
それで、自前で大量の火薬の調合をしている鈴木党の人に調合を任せるということになりました。
武田の動きについて父に伝えたところ、流石は父というか当然知っていて、農繁期が終われば直ぐに出陣できるように準備を始めているそうです。
折角暫く戦がないと思っていたのですが、結婚したばかりの勘十郎の初陣が対武田なんて中々ハードモードですね…。
火薬は出来ましたが、大量生産は無理のようです。
武田の足音が聞こえてきつつ、秋は更けていくのです。