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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第四章 激動の天文十七年(天文十七年1548)
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第百三十七話 黒衣の宰相来たる

黒衣の宰相の到来です。





『雪斎和尚の訪問』



天文十七年九月、太原雪斎和尚が間も無く尾張を訪れる事になった、と藤三郎殿が知らせてきました。

尾張の現状を視察し武衛様や父と会見する為に訪れるのですが、何故か雪斎和尚も私との対面を強く希望しているそうです。

そこで、臨済宗の快川紹喜和尚の招きという形を取り、同じ臨済宗の太原雪斎和尚が凌雲寺を訪れるそうで、そこで対面の機会を設けるそうです。

なぜそんな回りくどい事をするのでしょう。やはり一国人の姫に同盟関係とはいえ他国の大名の腹心が会うというのは世間体が悪いのでしょうか?

どうしてこんな小娘にそこまでして会ってみたいのでしょうか。解せぬ…。





『今川仮名目録』



今川家というと先々代の今川氏親公が制定した『今川仮名目録』という分国法が有名ですが、武衛家も尾張三河遠江と三ヶ国を領する事になり、広い領国を安定させるという意思表示の意味もあり分国法を定めてはどうかという話が武衛様から父にあったようなのです。


しかし現在、父はまだ守護代の軍奉行と言う立場でしかなく、本来武衛様は分国法制定の様な大事は父にではなく、まず二人の守護代に相談するというのが筋ではあるのですが、父のこれまでの数々の功績や政治力も有るので、守護代二人は三ヶ国を領する武衛様を父が直接補佐すると言う立場を黙認している、というややこしい事になっています。


実は父も、そんな自分の立場を心苦しく思っているようで、もしかすると近く武衛様から何らかの裁定があるかも知れませんね。


恐らく分国法の話もそれに関係有るような気がします。


そして武衛様から話を受けた父は、その分国法について何か参考になるものは無いかと私に相談して来たのですが、凡その分国法の原型は『御成敗式目』です。そして私の知る範囲で最も優れた分国法は『今川仮名目録』だと思っています。

後に義元公が『仮名目録追加二十一条』を補足追加し、さらにそれらを参考にして作られたのが武田氏の『甲州法度之次第』なのですが、隣国ということも有るのでしょうがやはり『今川仮名目録』が優れたものだからこそ参考にしたと思うのですね。


その話を父にすると、同盟相手でも有るし今川家の分国法を参考にして武衛家の分国法を定めれば、分国法の内容の違いで揉めることも少ないだろうと、そう考えたみたいです。

そして偶々折よく義元公の最側近である雪斎和尚が尾張を訪れるので、この機会にその辺りの話を聞いてみることにしたようです。





『雪斎和尚来たる』



九月の初頭、駿河からの船で雪斎和尚一行が到着しました。

父の案内で清洲の守護館で武衛様と会見し、その後尾張の農村や開発の進む街道などを視察。更には先ごろ開所したばかりの蟹江の造船所を案内したそうです。

雪斎和尚は勿論、同行していた義元公の家臣たちも尾張の発展ぶりに驚き、目新しい農具や街道を行き交う馬車を興味深そうに見ていたそうです。

特に蟹江の造船所では、乾ドックの大きさから作られる船の大きさを想像したのか、皆一様に遠い目をしていたのが印象的だった、と同行していた藤三郎殿が話してくれました。





『凌雲寺での対面』



雪斎和尚が予めの告知通り、凌雲寺に快川和尚を訪ねたとの知らせがありましたので、私も明日凌雲寺に向かう事にしましょう。


翌日、案内された部屋で待っていると、快川和尚に伴われた雪斎和尚がやってきました。

初めて見る雪斎和尚は快川和尚と同世代。快川和尚から親しげに紹介される雪斎和尚は、その眼光は鋭くしかし目は微笑んでいました。意志の強さを感じさせる太い眉が印象的な方です。平成の御代の有名人でいうと伊武雅刀さんに雰囲気が似ている気がしますね。


「お待たせした。太原崇孚雪斎殿をお連れ致した。

 雪斎殿、こちらが備後守様のご息女であられる」


「雪斎にござる。この度は拙僧の要望に応じていただき忝ない」


「備後守信秀の娘、吉にございます。

 高名な雪斎和尚にお目にかかれ嬉しく思います」


私の挨拶を聞いた雪斎和尚は、にっこり微笑んで頷きます。


「では、雪斎殿。

 私の役目はここ迄。

 後は姫君とお話しなされ」


「忝なく」


快川和尚は雪斎和尚に一声かけると部屋を後にしました。

と言っても、廊下には私のお供が居ますし、隣室には同じく雪斎和尚のお供が居るので全くの二人きりというわけでもありません。


快川和尚の足音が遠ざかると雪斎和尚が口を開きます。


「改めて、この度は拙僧のわがままでお呼び立てして申し訳なかった」


「いえ、私も噂に聞く駿河の雪斎和尚がどの様なお方なのか、一度お会いしたいと思っておりました」


歴女としては歴史に残る黒衣の宰相の御尊顔を拝めるなんて大ボーナスです。

もっと怖い方を想像していましたが。


「はっはっはっ。

 拙僧と会いたいなどと物好きなことだ」

 

一瞬眼光が鋭くなりますが、直ぐに元の笑みを浮かべた目に戻ります。


「ところで、何故私如き小娘と会ってみたかったのでしょう」


和尚は苦笑いすると答えます。


「わが主君の話を聞いて、一度どの様な御仁か会って話がしてみたくなったのじゃ。

 そして、此度この尾張を視察し、その意が更に強くなった」


そう言うと、私をジッと見つめます。


「会ってみて如何でしたか」


和尚の視線が緩みます。


「左様、見た目は確かに年若い小娘。

 じゃが、その瞳の奥にはその何倍も生きたものだけが身につける智を感じる」


快川和尚にも似たようなことを偶に言われますが、私の瞳の奥に何が見えるのでしょう。鏡で見る限り普通の瞳でしたが…。


「智ですか…。

 しかし、私はまだ数えで十五に御座います。

 何倍も生きるなどと、それでは物の怪ではございませんか」


それを聞き和尚が破顔します。


「あっはっはっは。

 これは失礼。戯れが過ぎたようじゃ。

 聞けば幼少の頃より書物を多く読んでおられたとか。

 書物とは、書いた人が人生で得た知恵の集大成とも言える。

 それを良く読み身につけたなら、何倍も生きたのと同じ叡智が身につくという。

 それ故かも知れませぬな」


さすが和尚良いこと言いますね。

特にこの時代の書物は娯楽の書は少なく、殆どが教養書や実用書、史書などですから。


「それ程の知恵が我が身についていると良いのですが。

 確かに幼少の頃より姫らしいこともせず本ばかり読んでおりました」

 

「ははは。

 姫らしいこともせず…のう。

 じゃが、そのお陰で尾張にこれ程の繁栄をもたらした。

 備後守殿が自慢の姫じゃと仕切りに褒めておられた。

 わが主君も我が娘なればと、何度も仰られておった」

 

義元公がそんな事を…。

照れますね。


「はあ…」


「もし、姫が居らねば尾張はここまで豊かにもならず、いずれ我が主君は三河を制し那古野を取り戻す兵を上げ尾張まで兵を進めておったろう。

 そして、美濃を押さえ近江を制して上洛し、弱体化した幕府を正して世に安寧をもたらす。

 我が主君にはそれだけの器、力があると拙僧は信じておるのじゃ」


和尚は酷く冷たい目で私を見据えます。

しかし、またふっと視線が緩み元の笑みを浮かべます。


「じゃが…。

 姫は現に居て、尾張は此処まで豊かで強くなり、お陰で我が今川は敗北して駿河一国に押し込まれてしまった。それは最早覆らぬ事実。

 最初は備後守殿の智と戦が勝り、拙僧の力が至らぬばかりになどと考えていたが、我が主君の話を聞きそして尾張を見てわかった。

 突き詰めれば我らが負けたのは姫、そなたに負けたのじゃ」


雪斎和尚も何を言い出すかと思えば…。私の手助けなど所詮は机上の空論に過ぎません。

理解力に富み優れた父と兄、そして二人の指示命令を成し遂げる優秀な人達の力があってこそです。


「わ、私如き小娘にその様な力はありませんよ。

 父上や皆の力で勝ち取ったのです。

 私はほんの少しお手伝いしただけです」

 

「ふっ。

 殊勝な事を言われる。

 では、そういう事にしておきますかのう。

 ところで姫君、備後守殿から輿入れの話はまだ出て居られぬのか?

 我が主君の疑問でもあり、備後守殿に聞いてみたのじゃが、まだ考えていないとのことでな…。

 まあ、姫の希望でどうなるようなものでもないのじゃが…。

 そこでじゃ、我が主君の嫡男龍王丸様の元への輿入れは如何じゃろうか」


なんともストレートに切り込んできますね…。


「我が家では今川家とは家格が全く合いません。

 当家のような家柄の低い家の娘などを嫁に貰っては、名家である今川家の名に傷が付きます」


雪斎和尚は肩を落とします。


「全く、備後守殿と全く同じことを言われる。

 家格などは、なんとでもなる事を存じて居られように。

 姫なれば武衛殿の猶子にもなれるじゃろうに」


え?武衛様の猶子?

そんな事あるわけ無いでしょう…。


「私の嫁ぎ先は父上が決めることですから。

 娘である私が勝手出来ることではありませんよ」


「それは、そうなのじゃが…。

 姫が我が今川に嫁いでくれれば、織田とも縁でしっかりと結ばれ、駿河一国でも十分立ち行く国づくりが出来ると思うたのじゃが…。

 こればっかりは備後守殿の腹積もり次第ということかのう…」


「はい」


本音を言うと義元公は兎も角、今川家などの家格の高い家に嫁いでしまえば、今のような自由は確実になくなる気がするのです。


「ところで、姫は中々の知恵者だとお聞きした。

 快川和尚も姫の底は知れぬ、と評して居られた。

 そこで一つ相談が有るのじゃが…」


「こんな小娘の意見が雪斎和尚のお役に立てるとは思えませんが…。

 それでもよろしければ」


和尚はそれを聞き目の奥が光った気がします。


「我が今川は先に話したとおり、駿河一国となってしもうた。

 備後守殿は盟を結んだ以上は、何かあれば兵を出して救援するとは言って居られたが、正直何かあった時、尾張と駿河ではあまりに遠すぎる故、駿河独力である程度の事ができねば援軍が到着するまで持たぬやも知れぬ。

 姫なら如何するか聞かせてはくれぬか」


今の今川は、武田と北条に隣接しながら先の遠江での敗戦で弱体化しており、いつ武田や北条から攻め込まれても不思議ではありませんからね…。

悪くすれば今年の収穫後に雪崩込まれる可能性があります。


「今の駿河は先の遠江での敗戦で弱体化が否めず、武田と北条には好機と取られて攻められる可能性があります。

 これは勿論、和尚もその可能性を予見されたからこその問なのでしょう。

 武田と今川は盟を結んでいますが、結んだ相手は甲斐を追放されて今は駿府に居られますから、この盟はあてには出来ません。

 北条とはその武田との盟の時に関係が険悪化してそのままですから、同じく攻められても不思議ではありません」


雪斎和尚は頷きます。


「よく存じておられるな」


私は頷くと話を続けます。


「我が父ならば、恐らくこう動くでしょう。

 駿河を攻めるとなれば、武田も北条もそれなりの兵が動きます。

 ならば、兵糧や武具を買い集めるなどは、余程入念な隠蔽でもしていない限りは、その予兆は必ず分かるはずです。

 

 武田が動いた場合、父は直接駿河には援軍を差し向けず、武田が軍を動かすのに合わせて甲斐を攻めるでしょう。

 武田が軍を戻せば我等も軍を引き、再び軍を動かせばまた攻めます。

 武田に何度も軍を出せる余力はありませんから、そのうち断念するでしょう。

 

 北条が動いた場合は遠江から駿河に援軍を出し、尾張からは水軍を出して北条の本拠を攻めます。

 更に武田が動いた場合、今度は三河から兵を出し甲斐を攻めます。

 同じく北条が兵を引けば我等も引き上げます。

 

 こうする事で、武田と北条を疲弊させ、駿河攻めを断念させるのです。

 

 しかし私は、武田は駿河よりむしろ手薄に見える遠江を攻める可能性があると思っています」

 

「なるほどのう、実際に戦にはせず相手を疲弊させるやり方か。

 その様なやり方なれば、討ち死にする者も殆ど出るまい。

 なるほどのう。

 

 そして、姫は駿河よりむしろ遠江が攻められる可能性を見て居ると。

 何故そう思うのじゃ」


「一つには武田は海を欲しています。

 もう一つは、武田家は今川家とは当てにならぬとは言え盟を結んでいます。今川が弱体化しているとは言え、それでも未だ兵の居る駿河本国に盟を破ってまで攻め込むとは思えません。

 そんな駿河より、もっと弱体で手薄な遠江に攻め込んだ方が簡単に切り取れる、と考えるでしょう。更には先の敗戦で駿河は疲弊しており、武田が遠江を攻めても今川は後詰は出さないだろうと見るのではないかと、そう思うのです」

 

「備後守殿には悪いが、後詰に付いてはその通りじゃ。

 先の戦では正直に言えば少々無理をして兵を出した故な…。

 後詰を出したくとも出せぬのが実情じゃ」


「ええ、ですから遠江に来る可能性が高いと思うのです。

 遠江もまた先の戦で疲弊しており、今攻められても多くの兵を動員することは出来ないでしょうから、援軍は三河、そして尾張からとなります。

 しかし、すぐとなりの三河も先の戦で大兵力を出したばかりで、今また更に大兵力を出すというのは難しいでしょう。

 しかし一年も経てば国力も大分回復しますし、武田が遠江を攻めるのは簡単ではなくなるでしょうから、攻めるならまさに今なのです」


雪斎和尚は大きな溜息を吐きます。


「確かに…。

 武田は遠江に出てくる可能性が高いかも知れぬな…。

 じゃが、北条はどうじゃろうか」


「北条は、駿河を攻める可能性が高いと思います。

 特に、武田が動けば確実に動くでしょう」


「やはりそう見るか…」


「ですが、北条は関東に火種を抱えております。

 三年前の東駿河の戦の敗北は取り返したいでしょうが、背後が安定することもまた北条としては望むところのはずです。

 ですから、織田との海運の橋渡しを餌に和議を結び、北条には暫く関東に専念してもらう、という手が打てるかも知れません。

 

 しかし、既に収穫の時期は目前ですから、あまり時間は無いかも知れません。

 

 でも武田が、北条が現実に動き出したとしても、その時こそこれまで我等が整備再生してきた古道の真価が発揮されるときだと思います」


雪斎和尚は膝を打ちます。


「おおそうじゃ、古道があった。

 あの道は駿河まで既に通じておる。

 

 姫の意見、大いに参考になった。

 拙僧の考えておった手は、北条と和議を結び武田に備えるじゃった。

 武田とは一応盟がある故、駿河には来ない可能性もあるからのう。

 じゃが、和議や盟は相手にもそれなりの利がなければ難しい。

 正直、叩ける時に叩く方を北条は選ぶのではないかと考えておった。

 それを選ばせぬために、どれだけの条件を整えられるのか悩んでおったのじゃ。

 

 急ぎ帰って我が主君と今後を相談せねばな。

 

 姫とはまた機会があれば話をしたいものじゃ」

 

そう言い残して、雪斎和尚は再び船で駿河に戻っていったのでした。


雪斎和尚は吉姫の前ではダークサイドは見せませんでした。

未だに吉姫輿入れを諦めていない今川家でした。

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