第百三十一話 梓さんの活躍
梓さんの加入が尾張に少しずつ影響を与えていってます。
『瀬戸』
天文十七年七月、古渡の新工房でガラス製品の制作が始まったのですが、まだ弾正忠家内部での需要を満たすに留まっており、外部には殆ど出ていませんでした。
ところが、何処からか噂を聞きつけた瀬戸の陶工が、自分たちにもガラスを作らせてほしい、と父に陳情に来たそうです。
恐らく屋敷で使われているガラス食器を見た人が居て、その人からきれいな透明な器を見たと聞きつけた瀬戸の陶工達が、新たな器だと興味を持ったのか或いは危機感を抱いたのか、その辺りだとは思うのですが。
何しろ屋敷で使われている器の、かなりの割合が瀬戸で作られた陶器ですからね。
でも平成の御代を見ての通り、食器が陶器からガラス製品に完全に取って代わられるなどという事はないのですが、やはり綺麗なのは事実。
ガラス製品に商品価値があると見た父が新たな産物になりそうかと聞いてきた時には、まだ作り始めたばかりで多くは作れず、城で使うガラス製品も充足していないので、暫く外には出せないという返事をしたのです。
その時は納得した様子ですが、瀬戸の陶工達が陳情に来た事で技術を彼らに伝授して彼らが作ることは可能かどうか聞いてきました。
父からすると懇意にしている瀬戸の職人たちが量産できれば新たな産物になりますから、可能ならば後押ししたいと考えても不思議ではありませんし。
技術移転の是非に関しては、ガラス製品は私のところで実現させたものではありませんから、梓さんに聞いてみないとわかりません。
そこで早速梓さんに聞いてみたのですが。
技術移転が可能かどうかは瀬戸の現地を見てみないとなんとも言えないとのことで、確かに現地の窯の技術レベルの確認などをしないと軽々しく返事は出来ないですね。
それで、早速後日梓さんが瀬戸まで視察に行ったのです。
「梓さん、瀬戸は如何でしたか」
「技術移転すればガラスはすぐに作れると思います。
でも、うちと同じレベルに達するにはそれなりの日にちは必要だと思いますが」
「そうでしたか。
確かに職人の技の習得にはそれなりの時間が掛かるでしょうね」
「ええ、但し技術移転には条件を出すべきですね」
「条件…ですか」
「瀬戸で面白いものを見つけたのです」
「ほう、面白いものですか。
何を見つけたのですか?」
「耐火粘土です。
東海地方で採れる所があるというのは聞いたことがあったのですが、瀬戸の山でも耐火粘土が採れるようです。
技術移転の条件については備後守様にもお考えがあるでしょうが、これを自由に使えるというのを条件に加えた方がいいでしょう」
耐火粘土が東海地方で採れるというのは知っていましたが、まさかそんな身近にあったとは。そういえば土管なんて物も作れましたから、元々技術力が高かったのかも知れません。
「耐火粘土があるという事は、金属関係の炉を作ることが出来ますね」
「ええ、耐火レンガ自体は既にあるのですが、耐火粘土が近くにあるのならわざわざ駿河から運んでくる必要はありませんし、大きな炉を作ることが出来ます。
更には瀬戸では硅砂も取れますから、ガラスの製造工房の立地に向いていると思います」
「それは素晴らしいです。
ガラスに関しては、では父上にその様に返事をします。
恐らく父上のことですから、その辺りの条件交渉はうまくやると思います」
梓さんはニッと微笑みます。
「器用の仁、でいらっしゃいますからね」
「ふふっ。
ええ、私などとても真似ができるものではありません」
そうして、父に梓さんからの話を報告し、瀬戸に対するガラス製造技術移転の条件が決まりました。
当面、ガラス販売は弾正忠家を通すこと。勝手にガラス製品を売ったり、他所に技術移転をする事は禁止。
ガラス製造の技術移転を認める代わりに、瀬戸の山の土を弾正忠家も使うことを認める事。
ガラス製造工房建設の時には窯から人を出すこと。
約定を破った場合、御用商人から外す。
という、厳しい条件でしたが意外にあっさりと条件を飲みました。
その後、瀬戸の職人が古渡のガラス工房に暫く通ってガラス製造技術の習得に励む一方、瀬戸には耐火レンガ製造工房が作られ、耐火レンガの量産が始まる事になりました。
瀬戸で作られた耐火レンガを使って瀬戸のガラス製造工房が作られるのです。
そして、金属加工の炉を作る目処が立ったのです。
『洋釘』
先日、ツーバイフォー的な建築法の試しをやりましたが、やはり洋釘があったほうが良いのは間違いないでしょう。
しかし、現状では鉄は貴重品の為、鉄で釘を量産をするくらいなら別の用途に使うべきだと思います。
そこで、銅を使った釘を作ることを考えてみました。
銅そのままでは柔らかすぎる上に融点が高いので、錫を混ぜて青銅にしたほうが剛性が増し融点が下がるので洋釘製造の前段階の線材に加工するのが楽と一石二鳥です。
佐吉さんに相談するとなんと線材の製造装置も釘の製造装置も作ったことがあるとの事で、流石金属加工の専門家です。
青銅自体はこの時代でも地金を仕入れることが出来るので、当面の材料はなんとかなると思います。このあたりは鈴木党に買い付けを頼むと西国から手頃な値段で仕入れてきてくれるはずです。
ただし、針金を作る時にダイスを通して細くするのですがここでも潤滑剤が必要だそうです。
製造装置自体は平成の世の様に全てを鉄で作ることは無理なので、特に力がかかる部分以外は木製と言うことになるそうで、制作には秋ごろまで掛かるのでそれまでに潤滑剤を用意してほしいとのことでした。
『潤滑剤』
線材製造装置で使う潤滑剤というと旋盤で使う切削油剤と求める所は異なるのですが、実は油に界面活性剤と水を混ぜ冷却性を高めたのが切削油剤なのです。
旋盤制作の時に切削油剤が必要という事で、一先ず保留となってましたが、保留のままになっていた原因は油の調達が困難だという事です。
勿論、買えば買えないことも無いのですがこの時代の油は結構高いです。
それで、結局自前で作っているのですが、木の実絞り出しの植物性油に頼っている現状だと、秋の農閑期にならないとまとまった分量を得ることは出来ません。
しかも、その油は石鹸の材料にもなっているのでふんだんに使えるというわけでもないですし、別用途に使うとその分石鹸の製造数が減ってしまうのです。
それで、一度マテリアル分野の専門家である梓さんに相談してみることにしました。
「梓さん、旋盤とか線材作る時のダイスに使う様な潤滑剤って何か作れないですか」
「潤滑剤ですか?
機械油でよければ作れますよ」
「本当ですか?!」
「ええ、既に使ってますから」
なんと、もうここにあったとは…。
「そ、そうでしたか…。
ちなみに、界面活性剤ってありますか?」
「ありますよ」
流石マテリアルの専門家ですね…。
「機械油に界面活性剤と水を加えて撹拌すると切削油剤になるのです」
「そうなのですか。
ではそちらの方も用意できそうですね」
「ええ、実は植物性油に天然の界面活性剤で同じことを実現しようと考えてました」
梓さんは目を丸くして、暫く考えると膝を打ちました。
「そんな方法があったのですね。
でも、折角石油があるのですから高い油を買う必要はないと思いますよ」
「…そうですね。
では、佐吉さんに機械油と界面活性剤が用意できると伝えてもらえますか。
攪拌装置は作ってくれている筈ですから、切削油剤もすぐ作れるでしょう」
「承りました」
これで秋には線材と釘が量産できそうです。
これで何かあればツーバイフォー建築で速成建築が可能になるでしょう。
更には、旋盤も近い内に稼働しそうですね。
ガラスに釘と来るとガラス窓?!