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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第四章 激動の天文十七年(天文十七年1548)
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第百三十話 水を治める

急ピッチで進むインフラ整備。その一環の話です。





『治水事業』



天文十七年七月、季節は夏の盛りですがこの時代の夏は平成の御代ほど暑くは感じないです。

いわゆる小氷河期だからなのか、それともアスファルト・ジャングルが無いからなのかはわかりませんが。

この時代の日本家屋は通気性抜群なので風を通せば十分過ごしやすいのです。


そういえば、夏というと台風の季節でもあるのですが、私が十歳の時大きな台風がやって来て、尾張でも増水して洪水が発生し結構な被害があったそうです。

今、尾張から駿河まで一先ず平和が訪れたという事で、再び台風などが来た時に大きな被害を出さないように、父は治水事業にも力を入れることにしたのだそうです。


ちょうど今の時期は農作業も一段落する農閑期に当たり、戦もないので働き手にかなり余力があるのです。既に街道整備事業が大々的に進んでいるのですが、橋も併せて架ける予定なので、その前に治水事業を、ということなのです。

確かに、折角橋とかインフラ整備をしても洪水とかで流されてしまうと意味がないですからね。


それで、治水に関して何か知恵がないかと父から相談を受けまして…。


しかし、正直言って私はそこまで治水に専門的な知見があるわけではなくて、精々平成の世で見聞きした程度の知識しかないのです。

とはいえ、川釣りや川縁でのキャンプなんかをした経験があったりで、その周辺の自治体発行のパンフなどは見たことが有るのでどんな風に河の整備をしていたかくらいは分かるので、その辺りをヒントに可能な範囲で話すのが良いのでしょうか。


とはいえ、やはり餅屋は餅屋と言うわけではないですが、この時代の治水で有名な人を呼んで頼むのが良い気もするのです。


平成の御代でこの時代で治水で有名な人というと、まず名前が上がるのが武田信玄。

つまり今の武田太郎晴信殿です。勿論、この人に仕事を頼むなんてのは無理です。


織田家中というと、佐々堤で有名な佐々成政殿。前にこの人の姉君が薙刀の師匠をやってくれていました。

成政殿は確か年齢が私より二つ歳下で、今は元服前の十三歳くらいだった筈。

勿論治水事業なんて頼めません。


他には、そう足軽組頭木下弥右衛門さんの嫡男の日吉丸君十二歳なんて人も居ますね。

この世界では家の手伝いをしながら寺で勉強していて中々優秀だそうです。

が、いくら優秀でも未だ無理です。


後は誰か居たかなあ…。

あ、治水で有名な人に伊奈なんとかさんと言う方が居たような気がします。

名前がちょっと思い出せない…、伊奈忠なんとかさん。

そう、この人を探してもらいましょう。たしか家康の初期の頃からの家臣だったから三河に住んでいる気がします。

多少若くても後に治水で有名になった位だから、今も優秀な筈です。


それを思い出して、父に三河の伊奈忠某殿という国人が治水巧者だと聞いたことが有るので、その人に治水を頼んでは?と話してみました。

すると、『早速信広に頼んで探させる』とその時は話が終わったのです。


それから十日程後のこと、私に来客がありました。


どなたかと聞いてみると、伊奈忠基殿という三河の国人だそうです。

どうやら伊奈忠某殿は伊奈忠基殿という名だったようです。

ちゃんと三河にいましたね。


ですが、その人に頼んでみては?と話したのに、何故私のところを訪ねてくるのでしょう。

ともかく、紹介しておいて会わないわけにもいかないので会ってみることにします。


お会いしてみると、父と同世代四十前位に見える方です。

もっと若いと思っていたのですが…、きっと長生きの方だったのでしょう。


「三河住人、伊奈市兵衛と申す。

 吉姫様がそれがしをお探しと備後守様よりお聞きし、罷り越した次第にござります

 なんでもそれがしが治水巧者だと仰られご用命になったと…」


父は探してみるとは言ってましたが、何故私が探している事になるのでしょうか?

解せぬ…。


「…はい。

 伊奈殿が治水に詳しいと噂に聞きましたので、父上に紹介差し上げたのですが…」


「備後守様に…。

 …それがし、治水などこの歳に至るまでやった事がござりませぬが…。

 どこでその噂をお聞きになられたので…」


え?伊奈違い?でも、伊奈忠某さんだし…。


「し、商人の方にお聞きしたと思います…。

 何分、私もはっきりとその噂を覚えていたわけではありませんので、噂に聞いた伊奈殿に一度話を聞いてみてはと…、そういうつもりで父に話してみたのですが…」


市兵衛殿は困った表情を浮かべます。


「はぁ…。

 そうは申されても、それがし治水などやったことはござりませぬ…。

 かと言って、三河で伊奈を名乗るのは我が一族くらいしか聞いたことがござりませぬし…。

 同じ名字の人間違いとも思えませぬが…」

 

あやふやな記憶で話をしたのは失敗でしたね…。

しかし、伊奈忠某さんが治水で後に有名になった筈。

きっとこの人が後に治水で成功するのでしょう。…多分。


「そ、そうでしたか…。

 しかし、折角来ていただいたのですから、治水事業に携わってみませんか?

 ちなみに、今は何をされているのですか?」


市兵衛殿は更に困った表情を浮かべます。


「それがしは今は三郎五郎様の下、村を一つ預かっておりまする。

 元々は信濃の伊奈郡におったのですが、父の代に三河に移り住みまして。

 縁あって三郎五郎様にお仕えしておるのでござります。


 それで三郎五郎様より、備後守様がそれがしを探しておられるとお聞きしまして…。

 備後守様をお訪ねしますと、三郎五郎様の妹君であらせられる姫様がそれがしを探しているから一度訪ねてくれ、と言われまして、罷り越した次第なのでござります。

 

 ですので、その様な大任務まるとも思えませぬが、まずは三郎五郎様にお伺いを立てないと、即答は致しかねまする…」

 

そう話したところで、何か思い出したようです。


「そうでござりました、三郎五郎様より書状を預かってござります」


そういうと、兄からの手紙を差し出してきました。


内容的には季節の挨拶から始まり、結論から言えば市兵衛殿が探している人物で間違いなく、私の役に立つのであれば使ってやってほしいと。そう書かれてありました。


「兄からの手紙には…、市兵衛殿に仕事を頼んで構わないと書かれてあります」


市兵衛殿は驚きます。


「ま、誠にござりまするか…」


「はい」


そういうと、内容的には見せても問題ないので手紙を見せます。


一通り読むと諦めた表情になり、平伏しました。


「確かに…。

 では、それがしお役に立てるか解りませぬが、励みまする」


「頭を上げて下さい。

 何事も試してみなければわからないではないですか。

 もしかしたら、治水に特別な才能があるかも知れませんよ」


後の世で名が知られているのですから、きっとその筈です。


頭を上げると、その表情はさっぱりとして少しやる気が感じられました。


「ご期待を裏切らぬよう励みまする。

 しかし、それがし本当に治水など皆目わかりませぬ…。

 姫様は何かご存知でござろうか」


「では、少し位ならば治水の知識がありますからお話しましょう」


そうして、市兵衛さんは数日ほど古渡に滞在し、私の知っている知識を聞いたのです。

話してみるとやはり聡明な方で、流石後の世で名を知られる筈です。


具体的には絵図面で以前見た川を描いて見せ、どんな構造だったのかを説明しそれがどんな風に役に立つのかを話しました。


川を掘削して流れる能力を高め、川岸が川の流れで洗い流されては洪水のもとですから木枠を作って石を敷き詰めて護岸する。

増水して川の流れが強くなったとき少しでも流れを弱めるために、石を積んで突き出しを作って逆流水流を作り出せるような工夫を入れる。

村が近いとか要所には堤防を作る。などです。


必要があれば漆喰よりさらに硬いコンクリート壁を作る方法があることや、赤土に添加物を入れて強く押し固める事で硬い真四角の石材を作る方法がある事も教えました。

それらは既に兄の所でも使われているので、活用することが出来るのです。


これらの話を聞くことで、市兵衛殿の頭の中である程度形が出来てきたようです。

そして、それらの話を余さず帳面に書き留め、また私が説明に使った絵図面なども持参し、改めて父との会見に臨み治水奉行として事業を任されることになりました。


まずは三河に戻り、自分の村の近くの川で試してみるとのことです。


「姫様、この度は色々とお世話になり、誠に忝なく…。

 それがし如きが奉行を任されたのも姫様のおかげにござります。

 姫様の期待を裏切らぬよう、励む所存にござります」


「活躍を期待しておりますよ。

 治水事業は決して楽な仕事ではないと思います。

 しかし、孫の代、ひ孫の代と、後の世にその仕事は確実に残るでしょう」

 

それを聞き、市兵衛殿の目に闘志が灯ります。


「それを聞くと、ますますやる気が出てまいりました。

 後の世にも我が名が残るなど、素晴らしきことにござる。

 では」


そうして伊奈忠基殿は三河に帰っていったのでした。


そして、後に親子三代に渡る東海道での治水事業を成し遂げ後の世に名を残す事になるのですが、この時の私には知る由もなかったのでした。



吉姫がうろ覚えしていた伊奈忠某は伊奈忠次の事で、忠基の孫の話でした。

活躍したのは江戸時代なのです。とんだ伊奈忠間違いでした。


史実では広忠の家臣を経て家康の家臣となりますが、この世界では縁筋の吉良家が信広に臣従していた関係で信広に仕官しています。


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