第百二十九話 東海道の護り
以前出ていた馬車の話の続きです。
『馬車』
天文十七年七月、先ごろ頼んでいた新しい馬車が完成したとの知らせがありました。
この新しい馬車は、尾張から駿河までの東西に長い東海道で威力を発揮するはずです。
再生古道を活用すればこの時代の常識を覆す程の短時間で人員物資を送り込むことが出来るのですから。
古道の再生も急ピッチで進み、早ければ夏が終わる頃までには完成するとのこと。
ここ数年で色々と様変わりしそうですね。
城の中庭で馬車を見せてもらいます。
今東海道で走り出している馬車とは明らかに異なるこの黒塗りの馬車は、見た目は後の世の貨車の様で窓もありません。そう、この馬車は人を載せて走る馬車では無いのです。
この馬車を使う予定になっている鈴木党の皆さんが馬車を囲むように待機していて、鈴木殿が私が来たのを見て話しかけてきます。
「姫様、この様な形に仕上がりました。
では、始めさせて頂きまする」
「はい、よろしくおねがいします」
鈴木殿が指示を出すと、既にこの馬車で何度か訓練を済ませていたのか、テキパキと鈴木党の皆さんが動き、馬車を展開していきます。
馬車から大きな板を何枚も取り出し、別途取り出した取付具を使い馬車に取り付けていくのです。
そして、四半刻位で完成させました。
「この様になりまする」
出来上がったのは何だか平成の世の仮設店舗にも似た代物です。
馬車自体は箱型で御者の椅子を取り外すと、前後全面が片側に蝶番で開く様になっていて、これが隣の馬車との隙間を埋めます。
そして、蝶番が取り付けられている片側がつまり仮想店舗であるなら接客側が正面となっていてこちらの方に足回りを隠すための板と、そして馬車の正面側上部に上に棒を操作して跳ね上げて開けることの出来る小窓がスリットのように横一線に繋がっています。
更には接客面の反対側も下側が蝶番になっていてまるごと倒し込むことで上り下りする足場になります。
そう、この馬車は所謂簡易砦を作るための戦闘馬車なのです。
この馬車と人員を載せた馬車を現場に急行させて短時間で要所に砦を構築し、敵を迎え撃っている間に本隊の到着を待つ。
そういった使い方をするための馬車です。
欧州ではウォーワゴンと呼ばれ、これで作る砦でやる防衛戦をワゴンブルク戦術と呼ばれていたと思います。
この戦術自体はかなり古く、古代ローマ辺りには既にあったと思います。
勿論、度々使われては衰退してを繰り返してる通り万能ではありませんが、この時代の日本では十分使えるはずです。
ちなみに、この馬車の接敵側に使われている板には薄いですが鉄板が取り付けられていて、弓矢とか遠距離からの鉄砲くらいでは貫くことは出来ません。
「見事な出来栄えですね。
試しに搭乗してみてくれませんか?」
「はっ」
鈴木殿が指示を出すと火縄銃を持った鈴木党の人達が馬車に乗り込み戦闘態勢を取って見せてくれます。
一つの馬車で鉄砲を同時に構えられる人数は五人程度でしょうか。
隣りで見守っている津田殿に意見を聞いてみます。
「津田殿、この馬車は如何でしょうか?」
「面白き試みかと思いまする。
これならば短時間に砦を拵える事ができ、敵に優位に立てましょう。
とはいえ、数で押して来られると正直わかりませぬ。
鉄砲は威力が強うござるが、一度放てば弾込めに時間を要しまする。
鉄砲隊が百人絶え間なく撃ったところで、それだけでは数千の兵は止められませぬ。
更には、硝煙がそれほどの数撃った時にどうなるのかも試さねばならぬでしょう。
しかるに、いまだ火薬は高価な品故、如何な豊かな弾正忠家とてただ試すためにそれほどの費用を掛けるは浪費。
そしてこの馬車の鉄板、先ごろ試作した大鉄砲であれば貫けまするぞ」
勿論、それは想定の中であり鉄砲隊だけを行かせるなどあり得ないことです。
ですが、数万の軍勢が攻め込んで来た時、馬車で送り込める程度の兵力でどれほど抑えられるのかは正直わかりません。
現在動かしている大型の馬車で運べる兵員は十五名程度、五百の兵を動かすだけでも輜重も入れれば五十台程度の馬車を連ねて行かねばなりません。
では何故こんなものを作らせたかというと、単純に鉄砲隊を効果的に損害少なく集中運用するのに都合がいいからです。
鉄砲隊は兵一人が鉄砲担いで行けばいいというわけでは勿論無く、火薬や弾などの消耗品の他、メンテナンス要員も必要です。
つまり、鉄砲隊を迅速に送り込んで現地の軍勢と合流して効果的な戦いを行う。
これが東海道を守る上での基本戦術です。
「まだ鉄砲は使い始めたばかり、いずれ色んな事がわかってくるでしょう。
鉄砲は集中運用してこそその真価を発揮すると私は考えていますから、この馬車を使って必要なところに迅速に鉄砲隊を送り込み、現地の軍勢と協力して領内を守るのです。
そして、動員した本隊が到着するまで持ち堪える。これが基本的な考え方です」
津田殿が大きく頷きます。
「なるほど、そういう運用をお考えであれば、この馬車は理にかなっておりまするな。
先ごろの陣地構築といい、姫様は守り戦を想定されているようですが…」
「ええ、今大事なことはこの尾張から駿河まで長く続く領内を如何に守るかです。
すぐ北に居る飢えた狼の様な武田に備えなければなりません」
「然り。
武田は毎年のように他国に攻め込んでおりまするな…」
「戦の無い期間が長く続けば皆が豊かで幸せな暮らしを送ることが出来ます。
それを奪う様な事は許されぬことですから。
ところで、大鉄砲が完成したのですね」
「はい。
先ごろ完成し、既に試し撃ちも済ませておりまする」
「出来栄えは如何ですか?」
「あの様な鉄砲は初めてでござった故、試行錯誤をしましたが一先ず形にはなったかと存じまする。
結局人が抱えて撃つことは叶わず、姫様の指示通り車輪付きの銃架に載せました。
鉄砲そのものは清右衛門が、銃架は高田殿…今は川田殿ですな、と清兵衛殿が作り申した」
佐吉さんが絡んでるとなると恐らくロシアの車輪付き重機関銃の様な銃架に大きな火縄銃が載っている感じになっているはずです。
「やはりそのままでは撃てませんでしたか。
それで、試し撃ちの威力は如何でしたか?」
「これまでの鉄砲の常識では考えられぬ威力にござりまする。
具体的には並の城門であれば貫通可能にござる」
「それほどですか。
飛距離はどうですか?」
「飛距離は普通の鉄砲の四倍位でござろうか。
門など建物を撃つ鉄砲だと割り切ればもう少し飛ぶかも知れませぬ」
つまりは、敵の矢の届かぬ安全な所から門を壊せると。
「それは素晴らしいです」
「ただ、大鉄砲は一挺作るのに通常の鉄砲の十倍は鉄を使いまする。
作るのに掛かる時間も十倍とは申しませぬが何倍も掛かりまする。
数を揃えるのは中々に難しいかと存じまする」
「そうでしょうね。
しかし、恐らくそれ程のものであれば当面は二挺か、或いは三挺あれば十分でしょう」
「それぐらいであれば、ご用意が可能かも知れませぬ。
では、また作っておきまする」
「はい、よろしくおねがいします」
私と津田殿が立ち話をしている間、鈴木殿と鈴木党の皆さんをすっかり待たせてしまいました。
「鈴木殿、先程の話を聞いていたかと思いますが、如何ですか?」
「はっ、それがしも姫様のお考えの方針が良いかと存じます」
「では、父上にその様に提案しますので、新しき馬車の追加の制作などは父の指示に従って下さい。
いずれにせよ、父上は鉄砲は虎の子だと考えていますし、ある程度の数が揃いここぞという時に使いたいと言っていましたから、すぐに戦に使うという事は無いと思います」
「そうでござるか。
それがしもそれが宜しいかと思いまする。
やはり鉄砲は数を揃えてこそ威力を発揮すると思いまする。
ここぞという時に集中運用し、敵の士気を挫くほどの戦果をあげて、我等に手を出すのは割に合わぬ、と思い知らせるのが上策でござろう」
「はい。私もそう思います。
鈴木党の皆さんも大儀でした。
ではよろしく頼みましたよ」
「「「はっ」」」
津田殿と鈴木党の皆さんが馬車を片付け戻っていきました。
屋敷に戻ろうと振り向くと、後ろに控えて話を聞いていた藤三郎殿の顔色が悪いようです。
「藤三郎殿、顔色が悪いようですが大丈夫ですか?」
声を掛けられてギョッとした表情を浮かべると急いで笑顔を作ります。
「だ、大丈夫にござる。
ご心配をおかけし、申し訳ござらん」
「そうでしたか、なら良いのですが。
郷里から離れてまだ慣れないでしょう。
困ったことがあれば遠慮せず話して下さい」
「ご配慮忝なく…」
見た感じ大丈夫では無さそうですが、藤三郎殿が大丈夫だというので、屋敷に戻ろうとすると藤三郎殿が後から声を掛けてきました。
「姫様…。
姫様は他家から来た拙者のようなものに迄気遣いの言葉を掛けてくださる優しき御仁であらせられるのに、何故あの様な恐ろしき戦の道具を作られるのか…。
それがしにはわかりませぬ」
滝川殿が藤三郎殿の発言に驚き声をかけようとしますが、その前に私が答えます。
ここで有耶無耶にするのは良くないと思いますから。
「生き残るためです。
この乱れた世で生き残るため、大事な人や民達を守るためには手を出してくる人達に遅れを取ることだけは避けなければなりません。
その為に他家に先んじて準備する。
それだけのことですよ」
「生き残るため…、でござるか…」
藤三郎殿が暫し目を閉じ考え込みます。
そして目を再び開けると話を続けます。
「確かに…。
生き残るため、大事な人や民達を守るためには力が必要でござるな…。
拙者は…、考え違いをしておったのかも知れませぬ。
確かに言われてみれば、姫様の行動は全て生き残るため。
これまでは武芸を磨き功を上げて戦で勝つことばかり考えておりました。
しかし、それでは目先の戦しか見えておりませなんだ。
姫様は戦に負けぬためにあらゆる手立てを惜しまないのでござるな」
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候、と有名な武将も仰ってますが、やはり勝って生き残る事が一番大事だと思います。
その為に常日頃から準備を惜しまないのが大事だと思います。
いざ事が起きてから準備を始めて間に合うことなどありませんから」
皆が何故か驚いた表情を浮かべます。
小次郎殿が話しかけてきます。
「姫様、その言葉を仰ったという武将はどなたにござるか?
それがし、その様な言葉は聞いたことがござらぬ」
滝川殿も頷きます。
「左様、拙者も知り申さぬ」
え?有名な言葉じゃないの?
「これは朝倉宗滴様のお言葉ですよ」
小次郎殿が意外そうな顔をします。
「朝倉金吾殿の言葉にござるか…。
かの御仁は戦上手で知れ渡ってござるが、その様な事を話されたのですか」
滝川殿が話を継ぎます。
「それがしも金吾殿の人となりについては噂を伝え聞いただけにござるが…。
そんな外聞も無いことを仰るお方だったとは」
藤三郎殿も頷きます。
「かの朝倉家随一の家臣である方がその様な外聞無き事を仰るとは意外にござる。
我が主が聞けば眉を顰めることでござろう」
まあ、確かに見栄も外聞もない話ではありますが…。
この有名な言葉、たとえ話として出したのは失敗だったようです。
「ま、まあ、ともかく。
藤三郎殿、生き残るためにはあらゆる手立てを尽くすという事です」
「はっ、姫様のお考えはよく解り申した。
拙者も日頃よりの準備は大事だと思いまする。
日々の鍛錬もそれの一つ、ただそれだけでは足らぬ故、他家に先んじるという事にござるな。
肝に銘じまする」
「はい。では私は父上に先程の話を献策するので、そのための準備をします」
「「「ははっ」」」
さて、では今から東海道を守るための方策を本に纏めますか。
それを採用するかどうかは父の判断です。
しかし、そろそろ火薬の問題が出てきましたね。
今でも資金があれば鈴木党が買い付けてくるのですが、正直高すぎです…。
再生古道を活用する緊急派遣部隊の設立。
鉄砲の数は少なくても、数を減らさず迅速に布陣できるならば十分に活躍できるはず。
そういうお話でした。