第百二十八話 鶏舎
今回はまた領地訪問です。
『鶏舎』
天文十七年七月、予想よりも早く鶏舎が完成したと知らせがありました。
普通は足場固めもあるのである程度日にちは掛かるものだと思うのですが、大工が引き直した実際の図面から割り出された必要な材木を渡してから十日での完成です。
早速お供を伴い領地へ出向きます。
途中熱田で蕎麦を食べ更に南に浜の方へ歩いていくと領地へ到着です。
そういえば、梓さんはこれまでの反動なのかどうか、尾張に来てからは佐吉さんを連れ回して熱田や津島へ行って食道楽をしているとかなんとか。
醤油や卵、煮干し出汁などが一般に出回りだしたのはここ最近の事なのですが、結構短期間の内に料理屋でそれらを使った料理が出るようになったようですね。
それに伴い、鶏を飼う所も増えたようです。
領地に到着すると乙名さんが出迎えてくれます。
「姫様、よくお越しくださいました。
以前の油を搾る建物はそれなりに時間が掛かったものですが、まさか鶏を飼う建物があんなに短期間で完成するとは。
私もそれなりに生きてきましたが、びっくりにございます。
しかも、村人の家よりも大きくて立派で」
「私もこれほど短期間に完成するとは思っていませんでしたよ。
早速、現場を見せてもらえますか」
話もそこそこに現場に向かいます。
実は私も早く見たくてウズウズしているのです。
乙名さんに連れられて鶏舎に割り当てられた場所に向かいます。
と言っても村外れで、言ってしまえば村の外になります。
以前は確か何も無い、唯の原っぱだったと思います。
この時代は空き地が多くていいですね。
鶏舎は村人の家より高さがあるので、近づくと直ぐに場所がわかりました。
ちなみに、鶏舎は横から見ると斜めに傾斜した箱の様な形をしており、高いほうに人の入る入り口があり、低い方から鶏が屋外に出られる様になっています。
風がよく通るように鶏が出入りする方を北側にして大きく開放出来るようになっていて、南側の出入り口の方は高い位置に紐で引っ張ると開閉する窓があり風が吹き抜けるようになっています。
鶏舎の中は鶏が止まれる様な足場や卵を生むための小屋があり、卵の一部はそのまま小屋で親鳥に温められ育てられますが、大半の卵は小屋の床が少し傾いているので、小屋の裏側に設けられている卵採取用のトレーに落ちるようになっています。
勿論、落として割れないようにここには藁で作った籠が設置されています。
毎日ここに来て卵を採取するわけですね。
そして、窓が開放されている南側は日が良く入るようになっていて、地面をよく照らしますので乾いた鶏糞が出来るという感じです。
勿論、雨の日は鶏を鶏舎に入れて窓を閉めます。
平成の御代の様な網戸などあればもっと良い感じに出来るのでしょうが、今は竹で作った格子の柵が鶏舎への害獣の侵入や鶏が逃げるのを防いでいる感じです。
金網とか作れないか、今度佐吉さんと梓さんに相談してみましょうか。
ちなみに、鶏の餌は米糠です。
現場に到着すると大工の源太さんが出迎えてくれます。
見れば大工さんの数がちょっと多いような?
「姫様、お見えになりましたか」
「はい、知らせを貰って一刻も早く見てみたかったので、急いできました」
それを聞いて源太さんが苦笑します。
「そ、そうでしたか。
一応、絵図面通りになるように作らせて頂きましたが、これで如何でしょうか」
外を案内されて、中も案内されて。
未だ完成したばかりで木の香りが薫るきれいな建物です。
基礎はどうやら神社なんかで見かける石材の様なものが使われています。
ツーバイフォー的な建物を建てるのは勿論今回がはじめてのはずですが、上手いこと作っていますね。
一通り見て回って答えます。
「見事な出来ですね。
これほど短期間でこれ程のものを建ててしまうとは流石です」
それを聞いて源太さんはまた苦笑いをします。
「有難うございます。
しかし、この程度の建物で見事だと言われると正直心苦しいです。
材木は決まった形の物を全て渡されて、それを用意されていた釘で止めただけですから、こんなの駆け出しの大工でも作れます…」
集まった周りの大工も微妙な表情を浮かべます。
「良いのですよ。
これはこうやって短時間に簡単に完成させられるのが利点なのですから。
釘を多用するのが難点ではあるのですけどね。
こう見えてこの建物は結構丈夫だと思いますよ」
それを聞いて源太さんは頷きます。
「ええ、そう聞いてましたから試しに教えて頂いた工法で図面を引いて建ててみたのです。
姫様の領地で変な建物を建てているとの噂を聞きつけた近隣の大工達が大勢手伝いにやってきたおかげで、あっという間に完成するとは私も思いませんでしたが…。
この工法であれば手順は単純で簡単なので、いきなり手伝いに来た大工にも安心して仕事を割り振れるのは利点だと思います。
それに、こんな柱も梁も無い打ち付けばかりの建物、出来上がっても野分どころか強風に吹かれれば飛ぶんじゃないかと思いもしましたが、いざ出来上がって見れば意外と頑丈なのも姫様が仰ったとおりです」
「そうでしょう。
この建て方なら、決まった形の材木と釘さえ揃えられるなら建物を短期間に建てられるので、野分など天災で家を無くした人にすぐに家を立ててあげられるでしょう?」
「まあ、そうなのですが…。
匠の技を夢見て大工の技を磨いてきた私達には、その技を否定するようなこういう建物は正直複雑です。
仕事とあらばやりますが…」
うーん、まあそうなのですけどね。
「私も皆さんの技を否定するつもりは勿論ありませんよ。
しっかりした家屋敷や寺社などは皆さんの腕を存分に揮うべきだと思います」
「ええ、姫様が私共の技を軽んじるようなお方で無いことは十分に承知しております。
しかし師匠に見られたら大目玉を食らいそうな、こんな仕事は少々不本意と言うことにございます」
「源太さんの気持ちはわかりますよ。
でも、こう考えてはどうでしょう。
この建物の絵図面は源太さんのようにそれなりの経験を積んだ本職の大工じゃなければ引くことは出来ないでしょう。
しかし、その絵図面があればある程度大工仕事を習った農民あるいは、そう足軽達が大急ぎで建物を建てなければならなかった時、自分たちだけで建物を立てることが出来るでしょう。
そこが最大の利点なのです。
今回源太さんに仕事をお願いしたのは、まだ日差しが強いうちに建ててほしかったというのもあるのですが、この建て方をいち早く習得してほしかったからです。
源太さんは今回この建物を建てるための絵図面を引くためにそれなりの工夫をしたでしょう?」
そう言われると源太さんは頷きます。
「はい、はじめてのことでしたのでそれなりに工夫は必要でした」
「まさか近隣の村の大工さんが大勢来るとは思いませんでしたが、お陰で皆さんもこの建て方を学んだと思います」
周りの大工達も頷きます。
「この決まった形の材木は古渡で簡単に用意できますから、釘さえ揃うならいつでもこの建て方で建物を立てることが出来ます。
いつか必要になった時、今回の経験が役に立つと思います」
「姫様がそこまで考えておられるとは…。
自分のことばかり考えておりました。
申し訳ありません」
「またいい仕事を期待していますよ。
それでは、鶏舎はこれで完成ですから乙名さん、後は任せましたよ」
「しかと承りました」
「では、近隣の大工の皆さんも今回は大儀でした。
今回の仕事の慰労を兼ねて酒など用意させているので、宴でもしましょうか」
大工の皆さんが歓声を上げ、乙名さんが満面の笑みを浮かべます。
「それは良うございます。
では早速村の者に用意させます」
そういうと乙名さんは先に村の中に去っていきました。
私達も乙名さんの屋敷の方に歩いて行きますが、その道すがら藤三郎殿が話しかけてきます。
「姫様、この村では随分宴が多い様に見受けられますが、いつもこうなのでござるか?」
「皆宴となれば良い顔をするでしょう。
頑張れば楽しいことがある。それでこそ皆頑張ると思うのです。
いつもいつもと言うわけにはいきませんが、せめて私が来た時くらい良い事があっても良いでしょう?」
「そんなものにござるか…」
そういうと腕を組んで考え込んでしまいます。
それを見て滝川殿が話に入ってきます。
「まあ、この様な事は尾張広しと言えども姫様の村位なものでござろう。
ですが、そういう事もあり、この村の民は皆姫様を慕っていて、何をするにも懸命に働いてくれる。
そしてまた姫様がそれに対して報いる。
村人は更に姫様を慕い懸命の働きを見せる。
この村はそれの繰り返しなのでござる。
それ故、この村の村人の表情は皆明るいでござろう」
そう言われて藤三郎殿が腕組みを下ろしてあたりをよく見回すと、気がついたように頷く。
「確かに、そのとおりでござる。
拙者はこれほど村人皆の顔が明るい村を見たことはござらん」
そこに小次郎殿も話に入ってくる。
「この村の者ばかりではござらぬ。
姫様は多くの方々に慕われておりますな」
そ、そうなのですか?
私は全然そんな風に思ってなかったのですが…。
ただ、当たり前の事をしているだけ。それだけなのですが…。
何だかむず痒いです。
そして唐突に千代女さんが話に加わる。
「そうですよ。
私が居た甲賀郡は先の大飢饉から不作がちで立ち直れず、皆明日をも知れないような暗い顔をして暮らしていました。
しかし、姫様が望月の家の者を大勢呼んで下さったおかげで、新たにこの尾張にも望月の家が出来、また甲賀の他の家の者も大勢この尾張に移り住むことが出来て立ち直る事が出来ました。
姫様が呼んでくださったことを皆感謝していますよ。
姫様が呼んで下さったお陰で、望月家と備後守様との繋がりも強くなり、甲賀郡に残った者たちも仕事を得られて随分助かっています」
「甲賀郡に何か仕事が出来たのですか?」
「はい。
尾張で作った薬を備後守様の配慮で甲賀郡で売らせて頂いているのです。
姫様に教えて頂いて作った薬など、良い商いになるのです。
お陰で今や甲賀郡は、薬の里としても知られるようになっているのですよ」
「そうだったのですか…」
千代女さんは意外そうな表情を浮かべます。
「私はてっきり姫様もご存知だと思っていました」
全然知りませんでしたよ…。
さすが“器用の仁”と呼ばれる父だけあって、あらゆる事に抜目がないですね。
どおりで甲賀出身の忍びの人が多く父の元で仕事をしているわけです。
六角は大丈夫なのでしょうか…。
「私は父上からなんでも聞いている訳ではないですからね…。
甲賀郡の事は気になってましたが、そういう事なら良かったです」
滝川殿が頷きます。
「左様、姫様はご自分の為された結果を余り気にされておらぬようですが。
この際姫様、直言をお許し下さい。姫様はご自分の影響力をあまり過小に考えられぬほうが宜しいですぞ。
感謝しているものが沢山いればそれを見て妬む者も居ないとは限りませぬ。
姫様に仇為す者が現れたなら、それがしらが全力でお守り申し上げるが、肝心の姫様にご自覚がなければ我等にも限界がござりますれば…」
滝川殿の言葉にその場の空気が淀みます。
そんな事気にもしていませんでしたが…、妬まれるようなことなんてあるのでしょうか。
「滝川殿、直言感謝します。
これからは留意するようにしますね」
滝川殿が膝をついて平伏します。
「姫様、出過ぎたことを申しました」
「いいえ、有難うございます。
滝川殿に言われるまで、そんなふうに考えたこともありませんでしたから…。
さて、そろそろ宴会の準備もできた頃でしょう。
また美味しいお魚を食べて帰りましょう」
皆表情を明るくします。
「「「はっ」」」
鶏が元気に暮らせる鶏舎が完成しました。
近代的な思想を取り入れた養鶏場の完成です。