第百二十二話 佐吉さんの報告
閑話で端折っていた佐吉さんの報告シーンです。
『佐吉さんの報告』
天文十七年六月、遠江の国人川田氏の息女梓姫と結婚することになった佐吉さんが一足先に尾張に戻ってきたと知らせがありました。
翌日、早速と報告に来てくれるとのことで、念のために人払いをして報告を受けます。
「遠江より昨日戻りました」
「遠路、お疲れ様でした。
無事の帰還何よりです」
「船のお陰で想像していた以上に楽に現地に辿り着くことが出来ました」
「その様ですね。
それで、如何でしたか」
「はい。
相良油田は既に石油採取の為の井戸が掘ってあり、実際に採油し油として活用しておりました」
「加藤さんの手紙には採油した油で灯した灯りがあったと書かれてありました」
「油で灯すランプがありました。
それも、ガラスシェードで覆われた物です」
それを聞き驚きました。
「!!!
ガラスですか。尾張でもそろそろ試そうかと考えてましたが…。
既に遠江にはありましたか」
普通に私達の同類が関わっている予感がしますね。
私の表情を察したのか、佐吉さんが頷きます。
「さて、折角来たのですからまた語学の練習をしましょう。
続きの報告は教えている言葉でお願いします」
人払いはしてますが、どこから漏れるかわかったものではないですからね。
他の事はともかく、この事が漏れるわけにはいきません。
『姫様のご推察の通り、転生者がおりました。
それも、私達と同じ平成出身で、平成三十年からだそうです』
新たなお仲間登場に自然と笑みがこぼれます。
『平成三十年というと私達より少しだけ後の年代ですね。
だとしても、実質同じ年代の出身者と言っても良いでしょう。
これは話しやすくていいですね』
『はい。
転生者だったのは、川田平兵衛殿の長女の梓姫です』
今度佐吉さんの所に嫁に来るという人じゃないですか。
『今度、佐吉さんの所に嫁入りするという人ですね?』
佐吉さんは少し苦笑すると肯定します。
『はい。そのとおりです。
川田殿の屋敷にガラスが使われた外灯が置かれてあったので、もしやとは思ったのですが、まだその時は舶来品を偶々手に入れた可能性も考えたのです。
しかし、油田に視察に行った時、既にそこには油田施設があり井戸があったのは先に話したとおりですが、併設してあった石油精製設備を見て転生者だと確信したのです』
『精製設備まであったのですか?』
『精製設備と言っても、不純物を沈めた後濾過するという方の精製ですが。
メタノールがあったので精製も一部やっているのかも知れません。
流石にそこまでは聞いてませんが…。
そこでの会話で、私が転生者だという事も悟られてしまったようで。
その夜、話をしたいと誘われたのです』
普通に聞けば、それって誘惑ですよね…。
ですが折角見つけた転生者、確かめずには居られないというのは分かります。
『それで、どうだったのですか?』
佐吉さんは頷くと話し出します。
『梓姫は屋敷の母屋とは別に離れに自室を持っていました。
そこに夜訪ねて行ったのですが、離れに入って驚きました。
そこは洋間になっていて、ダイニングテーブルや椅子などが設えられていました』
『洋間ですか!
もう長らく見ていないですね。
平成の世ではずっと洋間暮らしでしたが、こちらの時代に来てからはずっと和室暮らしですから』
『ええ、私も懐かしく、久しぶりに前世での暮らしに思いを馳せました』
『洋間があるくらいですから、他にもなにかありそうですね』
『はい。
そこには尾張にもありますが黒板に鉛筆、更には藁半紙がありました』
『藁半紙ですか。また懐かしい。
でも、この時代には存在しない代物です』
『私も子供の頃を思い出しました。
他にも、先程話をしたメタノールで照らされるガラスシェード付きのアルコールランプ。こちらの方は、母屋でも使われておりました。
そして、ビーカーやフラスコ、試験管、三脚などの実験設備があり、ガラス管などを繋いでいたのは恐らくゴムです』
『メタノールに藁半紙とくれば硫酸等の化学薬品もあるということですから、化学薬品があればファクチスがあっても不思議ではありませんね。
しかし、自室に実験設備があるなんてまるで理科の先生みたいですね』
それを聞き佐吉さんが少し笑います。
『言われてみればそうですね。
梓姫の自室には部屋の周囲にカウンターテーブルが設えられていて、その一角に流し台まで設置されていて、私も理科の実験室によく似てると思ったのですよ。
化学薬品が納められた棚もありましたし。
確かに、理科の先生のようだ。
そういえば、梓姫とは前世の話はしませんでした』
『おや、折角二人であったのに、前世の話をしなかったのですか?』
『…ええ。
実は同じ時代の転生者と出会えたのが嬉しくて、姫様の話をしたのです。
それで、姫様の話で盛り上がってしまって…。
きっと、梓姫の事を話せば姫様も喜びお会いになりたがるはずだと話したのです』
『それはそうですね。
勿論、今この出会いを喜んでいますし、早く会いたいと思いますよ。
でも、それとこれは別の話ですよね?』
『そ、それが…。
実は、その話をしたら梓姫もとても喜ばれて。
ですがその直後唐突に、そろそろ時間が遅くなったと話を打ち切られたのですよ』
『…うーん、何故でしょうね。
本当に時間がなかっただけなのかな?』
『それは…、わかりません。
この時代、結構生きてきましたけど未だに日が暮れたら時間がわかりませんから。
それで、その翌日ですが視察も終わりこの事を早く姫様に報告したいと思いましたから、尾張に帰ると告げ川田殿も備後守様への言伝を話されるなど、もう帰るという所で、梓姫が唐突に私の所に嫁に来たいと言い出したのです…』
また、それは思い切ったことをしたものですね。
なにか事情があったのでしょうか。
『随分とまた急な話ですね…。
あ、それで手紙で急ぎの確認だったのですね』
『そうなのです。
実は夜の話し合いの席では本当に何もなかったのですが、夜に二人で会っていたことを川田殿にほのめかしたりして、ハッキリさせないと戻れない状況だったのです』
『…そこまでしますか』
うーん、よほど切羽詰った理由があったのかも知れません。
離れまで与えられて私以上に自由に暮らしている様に聞こえましたが、別の理由があったのかも知れません。
しかし、結婚するなら同じ転生者と結婚したいと思ったとしても不思議ではありませんね。立場が立場なのでよほどの偶然がなければ叶わないでしょうが、私も同じ時代からの転生者と結婚できるならしたいです。
この不確かな時代を考えれば多少強引な事をしてでもと考えたのかも知れませんね。
『ええ、まさかそんなに強引な方だとは…』
『それで、半ば父が川田家との縁を結ぶために結婚を命じた様な感じになっていますが、佐吉さんの気持ちはどうなんですか?』
佐吉さんは少し思いを巡らせた後、答えます。
『私自身は、まだ結婚は早いと思っていました。
この時代は今の私くらいの年齢なら武士ならば結婚している人が多いようですが。
庶民なら二十歳超えてからというのも普通でしたし、前世でも結婚したのは三十前でした。
ですから、まだ結婚なんて先の話だと考えていたのです』
確かに…、私にしても前世は佐吉さんの結婚した年頃を超えても独身でしたしね。
正直に言うと十五程度では結婚なんてまだまだ先の感覚です。
私は頷きます。
『ですが、もうこうなった以上は覚悟は決まっています。
帰りの船に揺られながら改めて落ち着いて考えれば、これは願っても出来るものではない幸せな出会いであり結婚なのではないかなと。
そう思えてきたのです。
まるで価値観の異なる未来の記憶を残したままこの時代に転生し、それなりに順応してきたつもりでも、本音のところではまだ馴染めていない所も多い。
同じ時代の価値観を共有する梓姫と結婚できるのは、願うべくもない幸せだと思います。
それに前世で、妻が私によく淹れてくれていた柿の葉のお茶を、梓姫が振る舞ってくれたのです。
偶々視察に行った先で、偶然出会った女性が初めて振る舞ってくれたお茶が、前世で妻が淹れてくれていたお茶と同じだったという。
偶然にしては出来すぎていますよね』
私は佐吉さんの話に思わずため息を吐きます。
『なんとも、ロマンチックな話ですね』
『ええ。
ですから私はこの度の結婚は運命の巡り合わせ、幸せな結婚だと思っています。
それに、梓姫は確かに強引なところもありましたが、言い換えれば行動力があるということですし、私はそういう感じの女性は嫌いではありません。
寧ろの好ましいと思いますから、きっと良い家族になれると思います』
『うふふ。そうですか。
幸せな結婚…、良いですね。私もそう思える結婚をしてみたいものです。
佐吉さんの気持ちもわかりました。
私も応援させてもらいますよ。
そして、梓姫に会うのも楽しみですね』
『はい、梓姫もとても会いたがってました。
婚儀の後になるとは思いますが、また挨拶に連れてきます』
「わかりました。
では、準備の方もあるでしょうから、今日はこの辺にしましょう。
視察の成功、喜ばしく思います。
大儀でした」
「はっ、それでは失礼いたします」
そう云うと、佐吉さんは戻っていったのでした。
出ていくと暫くして、千代女さんがやってきました。
「姫様、佐吉さんに教えてるあの不思議な言葉。
私も勉強すれば話せるようになるのでしょうか」
「ええ、勿論言葉ですから勉強すれば話せるようになりますよ」
それを聞き千代女さんが目を輝かせます。
「では、私にも教えて頂けませんか?」
「いずれ必要になれば教えて差し上げましょう。
でも、今苦労して勉強しても肝心の話す相手が居ません。
佐吉さんは私の用事で異国の商人の来ている博多にも行く予定ですから異国の言葉を教えているのですよ」
それを聞き、千代女さんがハッとします。
「確かに…、私が今覚えても話す相手がいませんね…」
外でこの話を聞いていたのか小次郎殿が入ってきます。
「姫様、でしたらその時が来たら、拙者にも教えてくだされ。
意味は未だわかりませぬが、なんとなく言葉は聞き取れました。
どんな意味であるのか、興味があります故」
小次郎殿は語学の才能があるのかも知れませんね。
「わかりました、ではその時が来たら教えましょう」
そう云うと、二人は笑顔で戻っていきました。
さて、しかし英語を使う日は来るのかな?
なんて思ったのでした。
『佐吉さんの結婚』
佐吉さんが新たに与えられた古渡の屋敷に遠江からやって来た川田家一行が到着し、無事婚儀が挙げられたと聞きました。
本当は私も参加したかったのですが、まあこの時代は平成の御代とは社会の習慣が大きく違いますので、私の参加は難しいようです。
なので、お祝いの品に石鹸と薬の詰め合わせを贈っておきました。
婚儀の方はこちらでは参加していないので端折りました。