閑話四十九 川田梓 佐吉との密会
佐吉さんを連れ込んだ梓姫、どんな話がでますやら。
天文十七年六月 川田梓
私は夜訪ねてきた高田さんの顔を確認すると、直ぐに部屋に引き込んだ。
幾ら色々と自由にさせてくれる父とは云え、流石にこれがまずい事くらいは私にも分かる。
だから、家の者も含め誰にも見られるわけにはいかなかった。
私にしては随分と大胆なことをしたものだ。
前世でこのくらいの積極性があればもう少し違った人生があったのかも知れない。
部屋に連れ込まれた高田さんは驚きの表情を浮かべ、私は音を立てないように引き戸を閉めた。
驚いている高田さんに椅子を勧めると、沸かしておいたお湯でお茶を淹れて勧める。
この部屋はこの屋敷の他の部屋と違い椅子と机が有る洋間。
アルコールランプが有るからお湯を沸かすことも出来る。
基本的にこの部屋には誰も入らないから、私の自由にしているのだ。
部屋の周りには黒板やらノート、鉛筆など、この時代に無いものが色々と並んでいる。
お茶を飲んで落ち着いてきた高田さんは、驚きに満ちた表情で部屋の中を見渡す。
さて、この人が私と同じく前世の記憶を持つ人かどうかハッキリさせなければ。
視察の用は済んだのだ。明日と言わなくても早々に尾張に戻るだろう。
そうなれば、二度と会うことが出来ないかも知れないのだから。
「高田様、部屋に入るのを見られたくなかったとは云え、強引なことをして申し訳ありませんでした」
まずは、先程の無礼を謝罪する。
すると、高田さんは意に介さないというふうに首を振る。
「いえ、私の方もあまり余人に見られたくなかったのは事実。
手を引かれたのには驚きましたが、気にはしておりません」
そう云うと微笑む。
こうやって近くで見ると優しそうな人。
私より年下と聞いたけれど、年齢を感じさせない不思議な落ち着きの様なものが感じられる。
やはり、二度目の人生の為せる事なのかな…。
「そう言ってもらえると、助かります」
「このお茶、これはなんのお茶ですか?」
この時代のお茶というと抹茶だが、私はどうもあれは苦手。かと言って平成の世で飲んでいたような色々なお茶はない。
結局、うろ覚えを自分で試行錯誤して作ったのがこのお茶。
「柿の葉で作ったお茶です」
「ほう」
高田さんはそれを聞き目を見張ると湯呑に目を落とす。
そして、少しずつお茶を飲みながら思いにふける。
何か彼のツボを付いてしまったのか、沈黙した空気が流れる。
アルコールランプの燃える微かなチリチリという音だけが静かに流れる。
ちなみに、材料の柿の葉は簡単に手に入ったが、茶漉しが無かったから竹細工職人に作らせた。
柿の葉茶は、柿の葉を洗浄した後天日干ししそれを砕いたら完成、という実にシンプルな物だ。
しかし、普通の緑茶のように淹れてもあまり美味しくはない。
静かに煮立っている状態で数分煮出す必要があるのだ。
だがグツグツ煮立ててしまうと、味が落ちてしまう。
茶漉しは、竹細工職人はこんな細かい笊を作ったのは初めてだと言っていたが、最終的には良いのが出来た。
お茶を一緒に淹れてみて茶葉が漏れない様に、何度も新しい形のを作ってきてもらい、最終的にこの形になったのだ。
不思議とその形は私が元々居た時代に店で売られていた金属製の茶漉しと同じ形をしていた。
竹細工職人はこの柿の葉茶の味が気に入ったらしく作り方を教えて差し上げたら、あまりに簡単で驚いていた。
さて、そろそろこの沈黙を終わりにしなければ。
「…ところで、この部屋は私の部屋なのですが、部屋の中を見てどう思いましたか?」
もう殆ど残っていない湯呑から目を上げると何故か少し涙目になっている様に見えた。
「お茶、とても美味しかったです。馳走になりました」
そう云うと部屋をもう一度ゆっくりと見渡し、一度目を閉じそして見開くと口を開く。
『この部屋だけ、別の時代の部屋の様ですね』
彼の話した言葉は私の意表を突いたものだった。
最後にこの言葉を聞いたのはいつだったかもう随分前の気がする。あれは研究室で意識を失う前年に学会に参加したとき以来だったか。学会への参加はあれが最後になったが、バイオマテリアル分野での最先端の研究者たちの公演は実に興味深かった…。
そう、彼はネイティブとの会話経験を感じさせる実に流暢な英語でさらりと答えたのだ。
よくよく考えればこの時代、うるさい騒音もなければガラスの窓もない、障子一枚隔てた向こうならば中の会話はよく聞こえるのだ。誰が聞いているとも限らない…。
なるほど、考えたものだ。
しかも、英語がまともに会話できる日本人が一般的になったのは明治以降。それ以前は言語そのものが一般的にではなく、聞いた所で何を言っているのかわからない。
私が昼間試したことをやり返された形だ。
『そう、この部屋の品々はこの時代の日本には存在しない品々でしょう。
…やはり、貴方は私と同じく後の世の記憶を持った人でしたか』
高田さんは頷く。
『ええ私は前世で意識を失った後、目を覚ますと子供の身体でこの時代に居ました。
貴女は平成という年号を知っていますか?』
平成…、私が意識を失ったときがその年号だった。
『私が前世で意識を失った時の年号がその平成でした』
『私と同じですか!
ちなみにそれは何年でしたか』
確か平成三十年だった気がする。普段西暦ばかりだったから自信はないが。
何しろもうこの時代に目覚めてから十五年以上前の事なのだ。
不思議と前世の記憶はこの魂に焼き付けられているかのようによく覚えているのが不思議だが、元々うろ覚えだったものはそのままうろ覚えのままなのだ。
『多分、平成三十年だったかと…』
高田さんは驚く。
『私が意識を失った三年後ですか…』
なんと、この人は同じ時代を生きていた人だった。
『同じ時代出身なのですね』
『そのようです。
前世の記憶を持ったまま生まれ変わる人はそれほど多くないと思うのですが、同じ時代の出身の人に出会えるとは。何という幸運。
偶然にしては出来すぎている』
そう云うと高田さんは顔を綻ばせる。
私も実のところ心細かったのだ。
勿論、今生の父も居れば母も居て、そして弟も居る。
この時代で知り合った多くの人が居る。
だが、遠い未来からやってきたのは私一人だったのだ。
血縁者や多くの縁に囲まれながら、どことなく私は孤独だった。
しかし、一人でも同じ境遇の人がいれば寂しくない気がした。
『そうですね。
運命のようなものを感じます』
そう云うと、高田さんは笑います。
『運命ですか…。
はは、そうかも知れません。
実は、私が仕える主の備後守様の姫君も同じく前世の記憶をお持ちなのです。
しかも、元いた時代も同じ頃。
私は我が姫君と出会った時、同じ様に運命を感じました。
そして、いままた貴女に出会えた。
本当に偶然にしては出来すぎている』
いきなりの爆弾発言。
偶然にしては出来すぎているなんて、ちょっと大げさに感じたがそういう事なら理解できる。
もうひとり、同じ様な境遇の姫君が居ると。しかも、草深い村の国人領主の姫ではなく、今この地も含め三国を支配する大大名の最有力者の姫が同じ境遇の転生者と…。
私は精神的にダメージが大きかったのか不思議と乾いた笑いが口からこぼれ出た。
『ハ、ハハ…』
『実はこの度の相良油田視察も我が姫君に頼まれての事なのです』
転生者にも色々居るだろう。それこそ中学生から平凡な主婦まで。
前世とは違う性別の事も有るだろう。
それが、相良油田を知っててなおかつ調査に同じ転生者を寄越す。
明らかに相良油田が何かを知っていて、なおかつ使い道があると言う事ではないのか。
単に明かり用の油がほしいだけなら、それだけの大きな家なら買えば済む話だ。
『その姫君とはどの様なお方なのですか?』
『織田備後守様の長女、吉姫様と仰るお方です。
前世では誰でも名前を聞いたことが有るような大手商社の技術営業をやっていたと話して居られました。
営業とは言っても理系の大学出身で、営業に対する技術支援や時にはプラント設計まで手がける技術系の仕事をやっていたのだとか。
そればかりか、理系分野だけではなく、農業や政治、軍事関係など広い知識までお持ちで底の見えないお方です。
例えば、私が乗ってきた最近駿河から尾張の津島までを定期航行している船を設計されたのも、我が姫君だと聞きました』
ほ、ほう…。
研究一筋の私とは別のベクトルのお方らしい。
それだけの広範囲に知識が有ると云うことは、逆に言えば掘り下げた知識がある訳ではないのかも知れない。
流石に、船の設計までするというのは驚きだが。
しかし、それだけ広く手掛けていると言うことは、私のような人間も必要なのではないのか。
正直、今の環境は居心地がいいし捨てがたい。
しかし、いつまでもこの環境が続く保証なんてどこにもない。
弟も元服したし、父が隠居して代替わりするかもしれない。
そうなれば私は寺行きの可能性が高いからな…。
『それは、なかなか素晴らしいお方のようですね』
高田さんは目を輝かせて話を続ける。
『ええ、そうなのですよ。
我が姫君が手掛けられた様々な事のお蔭で、尾張は大いに豊かになりました。
石高は上がり、様々な産品が作られましたから。
そして、ただの野鍛冶の倅だった私をお抱え鍛冶に拾い上げて下さったばかりか、士分にまで取り立てて頂きました』
…目の前のこの高田さんは鍛冶屋だったのか。
通りで手が職人の様な手をしていると思った…。
しかし、同じ転生者というのも有るのでしょうが、お抱え鍛冶となったのは未来知識を持つ鍛冶としての特異性と腕が有るからの筈。
私の研究を更に進めるためにも、同じ時代の知識が有る腕の良い鍛冶は得難い。
私の仕事を手伝ってくれている野鍛冶も腕は良いが未来知識は無いからな。
しかも、その姫君は私の知らないことも色々と知ってそうだし、何より私の研究成果を有効活用してくれそう。
今の状態だと、どれだけ研究が進もうとこの屋敷から外に出ることは無いのだから…。
よし、私は決めた。
高田さんはこの時代の身分制度で考えればその姫君と結ばれる事はあり得ない。
一方の私も残念ながら既に行き遅れ気味で、しかも輿入れの話もまるでない。
しかし川田の家柄は、高い家格ではないけれど昔から武士の家柄で、士分に取り立てられたばかりの高田さんとなら十分釣り合うはず。
私はこの人に付いていくとしよう。
何方にせよ、今回の相良油田視察が視察だけで終わるわけもなく、私の川田の家と尾張とは何らかの繋がりができるはず。
何故なら、なんの非も無く油田が有るからと臣従している国人からいきなり領地取り上げる、というのは話に聞く備後守様ならばきっと無いでしょう。
そして私が尾張に嫁いでいくというのは、父にとっても川田の家にとっても悪い話ではありませんから。
うん、そうしよう。
ならば早速。
『そんな素晴らしいお方なのですね。
私も同じ境遇の者として是非一度お会いしたいです』
高田さんはそれを聞いて喜びます。
『ええ、我が姫君もきっと梓殿にお会いになりたいはずです』
『それは楽しみですね。
あっ、楽しい話をしていたらもう夜も更けてしまいましたわ』
そう言ってにっこり微笑んで見せる。
高田さんはドキッとした表情を浮かべる。
脈はありそうだ。うんうん。
『ああ、すいません。
話していたらつい時間を忘れてしまいました。
では、今日はこの辺で失礼します』
「はい、ではおやすみなさいませ高田様」
「ええ、お茶馳走になりました。
ではおやすみなさい」
そう云うと、高田さんは少し引き戸を開けて外を確認するとスルリと外に出て戻っていった。
部屋に一人残った私は思わず顔がにやけてくる。
ふふ、明日は楽しみだ。
実は梓姫は自分の前世での経歴は話していません。そして佐吉さんも具体的な話はしてません。
あくまで二人共推測だけで、吉姫と会うという話しかしていないのです。