第十三話 吉姫の想い
父が本多忠豊殿を伴い凱旋した。
平手政秀殿は解任され、そして、寺は大きくなっていく…。
『父凱旋』
山が緑から紅へ衣替えを始めた頃、父が三河で勝利し古渡に凱旋してきた。
いつものように、威風堂々と父を先頭に明るい表情の城の者たちが戻ってくる。
この季節になると毎年の様に見られるこの光景だが、なんど見ても凱旋の風景は良い。
父の無事を見届けた私は先に屋敷へ戻り父を待つ事にした。
すると程なく軍勢を解いた父が戻ってきた。
いつもと違うのは、父の他に父と同じ歳の頃の武士を伴っていた。
父は見るからに風格あるその人物に私を紹介すると、私は父の家臣なのだと思い挨拶をしたのだ。
すると、その人は私の事をしげしげと見ると、にっこり微笑み名を名乗った。
拙者は三河の本多平八郎忠豊だと。
なんと、もしかして忠勝の祖父の人では無いだろうか…?
驚いてる私を見て笑うと、この名を名乗るのはこれで最後でござる。
今日よりは吉左衛門と呼んでくだされ。というとまたにっこり微笑む。
そして、吉左衛門と名乗ったその人は、お父上より吉姫様の話を聞きましてな。
一度お目にかかりたいと思ったのですじゃ。
姫様は、命を大事にせよと常々仰っているとか。
拙者にもその話をお聞かせ願えぬか。と。
父がどういう話をしたのかは判らないが、それで私は常々寺で話してる事の一つを話すことにした。
吉左衛門殿。吉左衛門殿はここに居られるということは、既に松平を離れられているのでしょう。
私が思うのは、吉左衛門殿は広忠殿の家臣でありましたが、家臣である前に三河の武士であり、三河の武士である前に三河の民、同じようにこの日ノ本の民です。
京におわす帝の前では、我が父上もそして吉左衛門殿も等しく日ノ本の民の筈。
戦国の世故、立場が異なれば相争うこともありましょうが、同じ日ノ本の民としてたとえ戦った敵将であれ、日ノ本の将として、戦の外では大事にせねばなりませぬ。
今は国は乱れ日ノ本の民同士、相争っておりますが、例えばかつての元寇の時のように、外の国から攻めてきたならば、今のように日ノ本の民同士が戦っていれば、団結することも叶わず簡単に調略され国を侵されてしまうでしょう。
戦乱の世を終わらすためには、例え敵の将だったとしても、力として合力し団結せねばなりませぬ。そして、国の外から外国勢が攻めてくれば、親兄弟を殺した仇であったとしても、憎しみを乗り越えて団結せねばなりませぬ。
そうでなければ、この国は簡単に外国勢のほしいがままにされてしまうでしょう。
現実に、日ノ本の南の果ての国には既に外国人がやってきて、日ノ本の宗教とは異なる宗教を持ち込んで広めていると聞きます。
吉左衛門殿は私の話を熱心に聞き、そして最後の話を聞いた途端くわっと目を開き、それは真でございますか、と聞いてきたのだ。
私は、鉄砲という武器は最初は中国から持ち込まれたものですが、それは公方様に献上され、一般には出回っておりませぬ。いまほうぼうに広まりつつ有る鉄砲を持ち込んだのはその南からやってきた外国人にほかなりませんよ。と。
すると、吉左衛門殿は横槍の前に大きな音が聞こえたが、あれが鉄砲と言う武器ですかと、父に聞いた。
父は、左様。あれが鉄砲というものだと答えた。
吉左衛門殿は大きな溜息をつく。
そして、父に向き直ると、わかり申した。拙者はこれより備後殿にお仕え致す。といい、私にも姫様。これよりはこの吉左衛門はお父上の家臣となる故、よろしくお願い申す。と。
私も、吉左衛門殿の様な勇者が父に仕えてくれるのは何よりの僥倖です。と応えた。
一先ず吉左衛門殿は古渡に屋敷を充てがわれることになった。
また顔を合わすことも有るかもしれない。
その日の夜、また夕餉がいつもより豪華だった。
父はいつになく上機嫌で、大いに食べ大いに飲み、快活そのもの。
でも、そろそろ食事にテコ入れをしたい。
父の死因は判らないが、卒中とも言われてる。
ならば食生活の改善でかなり変わるはずだ。
相変わらず戦での話は一切しないが、夕餉が終わり部屋に下がる時、懐から兄からだと返書を渡してくれた。
兄からの手紙は、季節を感じさせる挨拶にはじまり、兄の近況、城や安祥の様子。
そして、推挙した二人を家臣に迎えることが出来たという報告。
二人とも非常に有能で和尚の献策と併せ西三河の平定に大いに役立っている。
和尚にくれぐれも礼を言っておいてくれ。と締めくくられていた。
山本勘助殿は浪々の身の筈だったので、誘えば来る可能性が高いと思っていたが、忍者ハットリくんの引き抜きに成功するとは。
どういう状況だったのだろう?
私はその夜、月を眺めながら第三次安祥合戦、黒衣の宰相と軍師勘助の対決に思いを馳せたのだ。
『平手政秀更迭』
紅葉の深まる頃、古渡の屋敷に憔悴しきった顔の平手殿が父の元へ訪れた。
それとなしに家のものに探りを入れたら、どうやら弟勘十郎の勘気をこうむり、もはや出仕の必要無しと追い払われ、父に進退伺いに来たらしい。
平手殿は父にとっては若かりし頃よりの片腕同然の腹心、勿論叱責されたと言うことは無かったようだが、平手殿は傅役の任を解かれる事になった。
父は思い悩むような表情を浮かべ何度もため息をついていた。
私が心配して声をかけると、力なく微笑むと、吉は心配しなくて良いと。答えた。
平手殿の後任は勘十郎の希望もあり林秀貞殿の弟林美作殿が勤めることとなった。
勘十郎、いつか会う日が来るのかわからないが、どんなやつに育ってるんだ?
憂鬱でござる…。
『寺増設』
冬の到来を肌で感じる頃、寺の増設工事が完了した。
最近では西三河など遠方より寄宿して通わせたいという希望が多くあり、父の寄進で、寺に寄宿舎を建てたのだ。
それにより、寺で学ぶ者が更に増え、また僧侶の人数も増え、最初の比較的こじんまりとした寺がずいぶん大きくなった。
それに伴い、稲葉地城の城下町も人が移り住み、なんだか活気を帯びてきた。
最初は鄙びた感じだったのに…。
閑話休題、学びに来る人が増えた事は良い事で、この中に長じて名を残したような人物が居たらどういう歴史にどういう影響を与えるのか、興味は尽きない。
そう言えば、来るのは偶にでは有るが、柴田権六殿や佐久間半介殿が寺にまた顔を出すようになった。
聞けば軍略を学びたいとのことだけど、誰か目当ての子が居るんじゃないかなんてことを思ってみたり。
というのも、前は数えるほどだった女子が増えたのだ。勿論、男子が圧倒的に多いのでは有るが、何処の家の娘かは判らないが、可愛い子も居たりする。
権六殿とは来るたびに色々と話しをするのだけど、この人は細マッチョの力持ちで武勇に長けているというだけでなく、意外に向学心が高く良く学ぶ人でこういうのを文武両道というのだろうか。身長も最初逢ったときより更に伸び、六尺は越えてると思う。
以前、中国での合戦の話をした時に、中国の武具に興味を持ったらしく、どんな武具があるのか聞いてきたので、絵に書いて教えてあげた。
飛び道具は、弓にも長弓と騎馬用の短弓があり、また弓の他にも弩があり、どのくらいの威力かはわからないけど、連射弩なんてものもあると話すと興味津々だった。
他にも通常の素槍以外にも、関羽が使ってたと言われる青龍偃月刀や、張飛が使ってたと言われる蛇矛、呂布が使ってたと言われる方天画戟とか。
三国志が好きらしく、年齢相応に興味を持って聞いてくれたが、間違っても作ってみようとか思わないことを祈るでござる。
次はいよいよ裳着です。
吉姫のモラトリアム時代は終わり、物語は大きく動いていきます。