閑話四十八 高田佐吉 相良油田と梓姫
梓姫に案内され相良油田に視察に行きます。
天文十七年六月 高田佐吉
川田平兵衛殿との会見は問題なく終えることが出来た。
武家言葉はすぐには馴染めないようで、結局普段どおりの話し方になってしまった。
やはり備後守様からの書状は威力を発揮し、油田の視察も自由にやって良いとの許可を取り付けた。
しかし、会見のときの平兵衛殿の様子は正直気の毒な程だった。まさかあそこでランプの話が出てくるとは思わなかったのだろう。
だがその後は俺が驚く番だった、まさか会見の場に居なかった平兵衛殿の姫が襖の向こうに居て話を聞いていたとは。
本当なら後で叱責ものの事だろうが、あの場の混乱もあって結果としてはこちらの望み通り丸く収まった。
よもや、その姫から案内役を申し出られるとは思わなかった。
川田殿に備後守様より持たされた土産の品を引き渡すと、中には結構な品が入っていたようで、かなり恐縮されることになった。
その御蔭かはわからないが、馳走になった昼餉はかなり豪華なもので、今度はこちらが恐縮する程だった。
いずれにせよ今回の訪問の為にわざわざ準備してくれたのだろう。
昼餉の後、早速視察に出発する為屋敷の入口に向かうと、噂の姫がお供に同行するらしい数名の武士と待っていた。
初めて見る姫は歳の頃は話通り二十歳位に見え、普通の武家の女性が着るような小袖に袴姿で嘉兵衛さんが話していたような特に変わった格好はしていなかった。
話通り美しく、そしてその瞳は高い知性を感じさせた。
「この度は姫君自らご案内下さるとは、誠に忝く」
「いえ、あの辺りはあの独特の臭いの為、好んで行く者も少ないのです。
私は何度も行っておりますから、私がご案内するのが良いかと思いまして」
やはり草水とは書くが臭水が実際のところ。あの独特の臭いは人を寄せ付けないか……。
「そうでしたか。
では、早速参りましょうか」
「はい」
何かあったときの連絡の為にお供を数名川田殿の屋敷に残すと、一行は現地に向かう。
現地までは徒歩で一時間足らずの距離だとかで、途中までは道を進みある場所から背の丈ほどもあるススキの生い茂る野原にできた細い小道を抜けていく。
同行の武士らは来たことがあるのか、姫君を真ん中に迷うこと無く進んでいき、その後を尾張からの一行が続く。
やがてススキが刈られた開けた場所に出た。
それと同時に薄く臭ってきてはいたのだが、かつて嗅いだことのある独特の臭いが鼻腔を突く。
その先には、木造の建物があった。そして、その建物の側には同じく木造の小屋があり、その付近には「立ち入るな危険」と書かれた立て札が。
文字の読めない人はどうするんだという突っ込みは兎も角、梓姫に案内されるままその建物に入った。
その建物の中央には滑車の付いた井戸があり、その周囲には掘削に使う道具など色々な物が置かれてあった。
建物の中は油の臭いがきつく、俺はもう慣れたものだが、慣れない者は気分が悪くなるだろう。
こここそが、相良油田なんだろう。
井戸を前にして、梓姫が口を開く。
「ここが、草水が取れる相良油田。
高田様、あなたが視察を望まれた場所であっておりますか?」
正直、見慣れた石油採掘風景以外の石油採掘現場というものはピンとこなかった。
仕事で石油採掘現場に行ったことはあるが、当たり前に所謂機械掘りであり、逆に言えばそれ以外というのが分からなかった。
俺は、正直こんな風になっているとは想像もつかなかったのだ。
しかし、ここが目的の場所相良油田で間違いないだろう。
「ええ、私が見たかったのはここです。
この相良油田を見に来たのです」
梓姫は、ここが後の世で相良油田と呼ばれることを知っている。
書状には草水としか書かれておらず、地名も何も明確には書かれていなかったはずだが、見に来るとしたらここしかあり得ないとランプの話をした時点で察したのだろう。
そしてこの相良油田というのが共通のキーワードとしてわざとここでこの名前を出したのだ。以前私が吉姫に英語で話しかけたように、試したのだ。
その名前を知っていれば、それこそ特別な訓練でも受けて居ないと人の表情というのは口以上に雄弁に語るからな。
俺が返事をすると梓姫はにっこりと微笑む。
「それは良かった。
では、ここの説明をして差し上げましょう」
そう云うと、一度建物から出る。
聞いてもわからないだろうし、余計な物を触って何かあっても困るので、尾張から来た者たちに声を掛ける。
「これから私は梓姫にここの説明を聞く。
各々方は、興味がある者は一緒に聞いても良いし、自由にその辺りで休憩していても構わない。
但し、ここはこの札に書かれているように危険な物があるので、みだりに何かを触らぬように。
ここに染み出す臭いのある水は、着物に付けば取れにくく更には燃えやすくなる。
十分に注意してほしい」
加藤殿に目配せすると、心得ているのか頷いてみせる。
多くはこの臭いと先程の服に付けば取れにくく、燃えやすくなるという言葉に辟易としたのか、遠巻きに離れると適当な場所を見つけて夫々休憩に入る。
数人が俺に付いて話を聞くようだ。
加藤殿は不測の事態が起きないよう、何方ともつかぬ位置からこちらを見ている事にしたようだ。
「では姫君、宜しくおねがいします」
「梓、とお呼びくださいませ」
「梓姫」
名前を呼ばれて姫君が微笑む。
そして、この場所の説明が始まった。
「元々はここは小さな湧き水が出ている場所だったのです。
但しその湧き水は臭く飲めば健康を害する。そう臭水と呼ばれる水が湧き出て居たのです。
そのせいで、領民はこの場所には殆ど近寄りたがりませんでした。
来ても良いことはありませんからね。
私は臭い水の話を領民から聞き、桶に汲み取ってきてもらいました。
その水は琥珀色の油の様な物が浮き、その部分に試しに火を点けると燃えたのです。
それがあの場所です」
姫君は少しはなれたところに見える小さな沢を指し示し、俺の反応を伺うように一先ず言葉を切る。
俺は相良油田のことはそこまでは知らなかったので腕を組み大きく相槌を打つ。
「なるほど…」
俺の反応を見た姫君は満足げに微笑むと話を続ける。
「最初はそこに有る沢の水を組み上げ、小屋で寝かして油分を分離していたのですが、そのままでは油分が少なく使い物になりませんでした。
そこで少し離れた位置のここに油を掘削するための建物を作り、試しに少し掘削してみたのです。
要領は普通の井戸掘りと変わりませんし、私が作らせた道具も有りましたから領民が頑張って掘ってくれました。
すると、それほど深くまで掘削しなくとも石油が吹き出たのです。
それで必要量をあの滑車で桶を下ろして油を汲み、小屋で暫く寝かせます。
比重の違いで比重の重い水や不純物は下に軽い油は上に浮きますから、それを利用して分離するのです。
そして、濾過すれば出来上がりです。
幸いここの油田は軽質油でそのままランプに使えますから」
ふと気がつけば供の者たちには話が難し過ぎたのか臭いに耐えかねたのか、梓姫と二人だけになっていた。
梓姫もそれに気がついたのかクスクスと笑う。
ちなみに、川田殿の家の武士達は最初から少し離れた所でこちらを見ているだけだ。
「なるほど、井戸掘りの要領で石油が掘れるのですか…。
そして、あの小屋で瓶に入れて寝かして分離すると」
「はい、そのとおりです。
では、小屋の中もお見せしましょうか」
梓姫は供の武士に一言声を掛けると、小屋に歩いていく。
供の武士は一緒には来ず、その場所でこちらを見ているだけ。
加藤殿を見ると、同じくこちらの方をじっと見ていて俺の視線にすぐに気づくと頷く。
まあ、幾ら武芸がからきしだと言っても、ここで何かあればお互いなんの得にもならないことになるだけ。
姫君と若い男を二人にして良いのかとも思ったが…。
逆に言えば、俺が姫君に良からぬことをしたら、当然備後守様や川田家の顔に泥を塗ったことになり、士分は取り上げられ、打ち首だろうな。
そう思い至るとブルブルっと体が震える。
小屋の前まで来た梓姫が声を掛けてくる。
「さあ、こちらにどうぞ」
俺は小屋の中には勿論興味があったし、この梓姫が同類なのかどうかハッキリさせたかった。
梓姫に頷いて見せると小屋に向かった。
小屋に入ると、ある程度想像はしていたが驚かされた。
先に入った梓姫の後ろにあるいくつもの瓶はおそらく先程話をしていた採取後の石油を分離させるための物。
そして備え付けられた棚には試験管らしいガラスの容器に入った褐色の液体いくつか置かれている……。
あれはおそらく置かれた瓶の石油サンプル。
そこにはビーカーやフラスコ等のガラス容器の他、如何にもスポイトに見えるような物もありさながら実験設備の様だった。
確証は持てないが、おそらくこの姫は俺と同じく転生者。
いつの時代の人かはまだわからないが……。
梓姫は俺の驚く顔を見て満足気に微笑むと、近づいてきて耳元にそっと囁いた。
「今晩、私の離れにいらして下さい。
お話したいことがあります」
そう云うと、姫君は小屋から出ていってしまった。
この場所は説明を受ける必要もなく、俺はひと目で理解してしまった。
慌てて、梓姫の後に続いて外に出る。
梓姫が俺が小屋から出たのを見ると声を掛けてきます。
「ご案内は大体こんなところですが、よろしいでしょうか?」
俺的にはもう十分目的は果たした。
それこそ明日戻っても良いくらいに。
ただ、梓姫の話はハッキリさせて帰らないと。
次いつ来れるかわからないからな。
「はい、丁寧な案内忝なく。
大変勉強になりました」
それを聞き、梓姫はにっこり微笑むと、皆に声を掛ける。
「では、そろそろ戻りましょうか」
俺が頷くと加藤殿ら皆も頷き、再び来た道を通って川田殿の屋敷に戻った。
帰り際に気づいたがススキが遠巻きに刈り込んであったのは恐らく万が一火事になった場合、大火事にならないようにするためか。
その夜の夕餉もこれまた豪華だった。
「平兵衛殿、この度は姫君に態々案内の労を取らせてしまい、忝なく。
この度の見聞は大変勉強になりました。
梓姫は中々の博学者のご様子ですな。
私は感服致しました」
「ははは、なんの佐吉殿。
不束者にござるが、お役に立てたようで何よりでござる。
我が娘は幼少より学問は得意のようで、それがしの自慢の娘にござる」
そういうと、上機嫌に笑われる。
この辺りは同じく娘を持つ備後守様に似ている気がするな。
「あれ程のご器量ならば縁談の話もよく来るのではありませんか?」
と敢えて地雷を踏んでみると…。
それを聞き、途端表情が曇る。
「ま、まあ…」
と、はっきりは答えず適当にはぐらかされた。
やはり、扱いに困っているのか…。
そういえば、備後守様は我が姫君をどうされるつもりなのだろう。
我が姫君がどこへ行こうと、俺はどこまでも付いていく気だが。
場合によっては鍛冶は封印する必要があるかも知れないな。
お付きの武士として振る舞えるようになっておかねばならないか。
梓姫の話はそのくらいにして、後は川田殿の戦での武勇伝を聞かせてもらったり、同席の嫡男の話を聞いたり、そんな感じで和気あいあいと夕餉を終えた。
俺は直接参加していないから笑って話が聞けたが、よく考えたらこの川田殿はつい先日の戦以前は敵側だったんじゃないのか。
加藤殿にその話を割り当てられた部屋に下がってからしたら、
「そういうものでござる。
特に近親者でも討ち取られたというわけでもなければ、仇というわけでもござらぬからな」
と、ドライな答えが返ってきたのだった。
その後で、加藤殿を手招きして顔を近づけ、今晩梓姫に誘われた話をする。
俺は気になることも有るので、我らが姫君のためにも誘いに乗って会って話を聞いておくべきではないかと思うと囁くと、加藤殿は暫し考え頷く。
佐吉殿がそういうのであれば、そうなのでござろう。
拙者は佐吉殿が出てくるまで余人が寄り付かぬよう、それとなく外を見張っておく。
と、請け合ってくれた。
その後、約束通り梓姫の離れに向かった。
入り口には、こう書かれてあった。
『AZUの部屋 危険につき許可なく入るべからず』と書かれてあった。
AZUって何だよと思いながら入り口を軽くノックする。
梓姫は待っていたのか直ぐに入り口が開くと、目が合う。
ニッと微笑むと腕を捕まれると中に引き込まれた。
そして後ろで入り口が閉まったのだった…。
さて、佐吉君の運命や如何に!?
長くなったのとキリが良いのでここで切ります。