閑話四十七 川田梓 同類友を呼ぶ?
川田の家の変わり者の姫の話です。
天文十七年六月 川田梓
私はとある企業の研究所で主任研究員として長年便利な社畜として飼われていた。
かつての大学の同窓生が助教、助教授、教授とキャリアを駆け上っていくのを横目に見ながら、次々と降ってくる仕事を研究室の片隅で寝泊まりしながらこなす日々を送っていた。
企業の研究者に求められるのは当たり前だが成果であり、大学のように教職を執りながら一つのテーマに長年取り組むなんてことはできない。
入社の時は沢山居た同期は、ある者は上級職に昇進していき、またある者は結婚だなんだと離職していき、気がつけば研究現場には誰も居なくなっていた。
仕事は楽しく打ち込める物だったが、若かった頃は瞬く間に通り過ぎ、いつの間にやらお局様を通り過ぎて、機嫌を損ねれば辞めかねないと腫れ物を扱う様な扱いはいつしか私を心身共に蝕んでいった。
そして、五十歳の誕生日の朝を一人研究室で迎えた時、長年の無理が祟ったのかめまいがして昏倒した。そしてそれっきり平成の私の目が覚めることは無かったのだろう。
何故なら、次に私が目を覚ましたときは、室町末期つまり戦国時代の子供の身体だったのだから。
私がまず最初に思ったのは、これでまた大好きな研究が続けられると…。
それと同時に自虐気味に思ったのは、生まれ変わっても仕事中毒は治らないのかと。
私が生まれ変わったのは川田平兵衛という領主の家だった。
いくつもの村を領するような大きな家ではなく、遠江の菅ケ谷村とその周辺の土地を領する国人領主だった。
偶然か運命か、私の前世の名前は川田梓、そして今生の名前も川田梓だった。
もしかしたらご先祖の家に転生したのかとも思ったが、我が家は私が知る限りずっと東京都。
単なる偶然だろう、恐らく…。
今生の我が父である平兵衛は今川家に仕えているらしいが、会社勤めと違い職場に通勤するわけではない。
大抵は領内を巡り領民の面倒を見たり、時には領民たちの仕事を手伝う事もある。
そんな環境からか、私も村に有る寺に手習いに通う年頃になると自然と領民らと親しくなり、そのうちお供を連れて領内を散策するようになった。
屋敷に居るより、外で色んな物を見聞きするほうが学ぶことは多い。
正直、武家の姫の嗜みだと押し付けられる芸事などなんの興味も湧かない。
とは云え、それが勤めだと母に言われればそれを学ばぬ訳にもいかないので、最低限は出来るようには学んだが…。
この時代に来て思ったのは、何も無い。本当に何も無い。
領民らは見た事もないような粗末な農具で農作業をし、油が高いからと明かりもない。
本を読むにも家には少しの本しか無く、もっと本を読みたければ寺に行って読ませてもらうしか無い。何しろこの時代、印刷機械など無いから基本全て手書きで写す本は貴重品で高く、我が家ではそう買えるものではないらしい。
無い無い尽くしの、こんな有り様では大好きな研究に戻ることも出来ない。
まあ、無いなら作ってしまえば良いのは前世と同じ。
とは云え、先立つモノがなければ。
父をあてには出来ない。それは本を買ってくれと無心した時に懲りた。
買えるものなら買ってやりたいが、そんな物を買ってやれるほど我が家は豊かではないのだと、日頃優しい父が辛そうな表情で話したのだ。
あの顔をまた見る訳にはいかない。
とはいえ、いずれ何かするためには父の協力は欠かせない。
何か商売のネタは無いかと、周りの人々に色々と話を聞いていくと面白い話が聞けた。
川田の領内には草水、或いは臭水と呼ばれる物が湧き出ている所があると言う。
それで私はピンと来た、ここは前世の静岡県。それは相良油田なんじゃないかと。
すぐに活用すること出来ないだろうけど、これは大きなネタになる。
そして、結局作ったのは紙。
この時代、上質紙というのはとても高いらしく、製法は秘伝。
美濃紙というのが有名らしいが、かなりの値段で売られているらしい。
私が前世でやっていたのは所謂マテリアル分野、つまりは材料工学。
色んな研究を手掛けたが最後にやっていたのはバイオマテリアル分野、バイオプラスチックやセルロースナノファイバーなど。
つまり、紙の元のパルプなんかもやったことが有る。
とは云え、設備もなにもないこの時代、同じことが直ぐにできる訳ではないが、既存技術を利用すれば紙を作ることは出来るだろう。
大量生産は難しくとも、小ロットの生産ならば或いは。
そして思い立ったら吉日と、村に偶に来る商人に紙を作ってみたいから、手伝ってくれないかと相談した。
この商人は普段は手堅い商いをする人なのだけど、ホラ話かも知れない私の話を面白そうに聞いてくれる人なのだ。
紙の話をするとすぐに食いついてきた。
具体的にどう作るのかを説明すると、協力を快諾してくれたのだ。
そして、父は私のために屋敷の一角にはなれを用意してくれたのだった。
思えば、これが私のこの世界での事始めだったのかも知れない。
原材料から作り出す為、長い時間が掛かったが、商人の採算度外視の資金援助と人材面での協力の結果、藁を原料に苛性ソーダ煮熟法を用いて紙を作り出すことに成功した。
その過程における成果物として、各種化学物質の他、ガラス、サブの製造も可能になった。
しかし、父はそれらの成果物を屋敷から出すことを認めず、紙のみをその商人を通して別の土地の産物として近江の座で売ることを許してくれた。
この戦国乱世の世、奪い奪われが当たり前、新たな産物を大々的に売りに出し世に知られてしまっては、要らぬ禍を招きかねないと言うのが父の考えだ。
私もそれは理解できたから、父の決定に異を唱えることもなくそれに従った。
ちなみに、作り出した紙というのは藁半紙。昭和の世で子ども達が学校で貰っていたガリ版刷の茶色いプリントのあの紙。
当然、高くは売れ無かったが、練習用の紙としてのニーズはそれなりにあり、それなりの値段で売られていったのだった。
成果物といえば、夜に明かりがないのは不便だと、草水を採取してきて石油ランプを作ったところ、これは好評で我が家では夜は石油ランプで明かりが灯るようになった。
難点は独特の臭いと煤が出ることで、使われているのはもっぱら屋外。
屋内はメタノールを生成し、アルコールランプを作ることで解決した。
そして、気ままに楽しく暮らしていたら、気がつけば十代はあっという間に過ぎ去り、聞けば武家の娘は普通十五前後には嫁いでいくという。
しかし、私にそんな話は全く来たことはない。
私からすれば今の研究環境や自由な暮らしは捨てがたいから、このままここに居たいのだが、恐らく弟が家を継げば寺に入ることになるのではないか。
いずれにせよこんな暮らしは長くは続けられないのではないか。
そんな不安が頭をもたげだした。
そして、自分が未来からの転生者だという事を思い出す。
幸いにして理解有る父の元に生まれることが出来たから、今のような暮らしを送れているが、違ったなら私はどうなっていただろう…。
もし嫁ぐという話になったなら、嫁ぎ先で今の様な暮らしを続けることは無理だろう。
前世では生涯独身で一生を終えることになったが、結婚の願望が全く無かったかといえば嘘になる。
私だって一度は良き夫と可愛い我が子に囲まれた暮らしを想像したことくらい有る。
結局、仕事と結婚したようなものだったが…。
そんな事を頭の片隅で考えながら次の研究テーマを考えつつ日々を送っていたら、父が弟や一族を率いて大きな戦に出ていった。
今川のお屋形様という一番偉い人が出てきて、駿河、そしてこの遠江から大勢の軍を率いて尾張という所の大きな家と大戦をするらしいのだ。
父は領民の話だと武勇に優れた人らしくて、その血を引いた弟も将来楽しみな優れた武士らしい。
そんな二人が、一族や領民を大勢率いて出かけていった。
領民らは今川の殿様は優れたお方だから万が一にも負けはないと言っていたが…。
結果として今川は負け、今川の軍勢は遠江から駿河に引き上げていった。
駿河から遠江に派遣されていた今川の家臣らも駿河に戻っていった。
幸い、負け戦だったが父と弟や一族の人達は無事に帰ってきた。
そして、戦では雪斎とかいう坊さんに率いられて活躍したらしい。
それからすぐ、尾張の大きな家の偉い人から同じ領地を引き続き治めていいという許可を貰ったから今後も安泰だ、と父が喜んでいた。
尾張の偉い人は備後守様という人らしいが、その人はものすごく寛容な人だそうで、この前の戦いで敵対した人も皆許され元の領地をそのまま治めて良いと許可を出したから、遠江の武士たちはみな挙って従うことにしたのだとか。
私は歴史は門外漢でさっぱりわからないから、備後守様が誰かは知らないけれど、きっと後の世でも知られている有名な人なんだろう。
そして、それから暫くしてその備後守様の家の人が我が家を訪ねてくるという話を聞かされた。
父にも何をしに来るのかさっぱり理由がわからないらしい。この領地を安堵してもらったときも、備後守様に会ったわけではなく、配下の担当の人に話を聞いただけだったそうなのだ。
ともかく、来ると言ってるものを拒むわけにもいかず、てんやわんやで屋敷のものが迎える準備をしたのだった。
それから五日ほどした後、尾張からの一行が相良の湊に到着したと知らせがあり、翌日その一行が屋敷にやってきた。
大勢という訳でもなく、偶に見かける商人に案内され年若い武士とお供の人らで十名ほどの一行だった。
一行は屋敷に招き入れられると、一番大きな部屋で尾張一行の方は年若い武士とお供の壮年の人の二人が、そして当家は父と弟の二人で対面した。
「織田備後守様が家臣、高田佐吉に御座います。
この度は、急な訪問に応じていただき、忝なく存じます」
そう云うと軽く頭を下げる。
高田と名乗る武士は弟より少し年上、十七位か。
爽やかな感じで結構カッコイイ人。
しかし、言葉遣いは武士というより商人のよう。
「川田平兵衛にござります。
この度は、遠路足をお運び頂き恐悦至極に存じます」
父はいつになく緊張しているようで、こんな姿は初めて見る。
高田殿はそんな父の緊張をほぐす様に微笑むと、懐から包を取り出す。
「川田殿、備後守様よりの書状に御座います」
父は包を受け取ると、中から書状を取り出し宛名と差出人を確認する。
そして、その手紙に一礼すると中を読み始める。
一通り読んだ後で、また高田殿に顔を向ける。
「備後守様よりの書状、しかと拝見致しました。
我が領内で調べ事をされたいとのこと、承り申した。
ご自由にお調べくだされ。
あの辺りに詳しい者をお供させまする」
そう云うと、誰を付けるか思案顔になる。
高田さんはというとそんな父をみて微笑を浮かべ、見た目の年齢よりずっと落ち着いて見える。
「お気遣い忝なく。
おお、そう云えばこの屋敷の入口に取り付けられていたランプ、あれはどなたが作られたもので?」
んん?今ランプって言った?
その言葉を聞いて父の顔が青ざめるのが見えた。
「え?
あ、あああれで御座るか。
出入りの商人が是非にと薦めるので買い上げたものにござるよ」
父の顔は引きつり、目が泳いでいて如何にも誤魔化しているのが見え見え。
そんな父を見て高田殿が微笑を浮かべると、追い打ちをかける。
「おや?
同行の嘉兵衛殿はこちらにも出入りしている商人だと聞きましたが、嘉兵衛殿の話ではこちらの姫君の手によるものだとか。
素晴らしい物を作られる姫君だとお聞きしましたよ」
「あ、あはは。
そういえばそうでしたか、あれはうちの娘が作ったものでしたか。
すっかり忘れておりました」
父は完全にテンパっている様子。
あの高田殿、あれを灯りとか外灯等ではなく「ランプ」と確かに呼んた。
つまり、あの人は私と同類のはず。
勿論確証はないし、もしかしたら舶来品でランプが入ってきてるのかも知れない。
しかし、私という存在が居る以上、同類が居てもおかしくはない。
そして、この出会いを無駄に出来るほど他にも同類がいる保証もない。
私は覚悟を決めることにした。
襖の向こうの父に声を掛ける。
「父上、私がご案内致しましょうか。
私ならばあそこには何度も行っておりますから、ご案内して差し上げられますよ」
すると、高田殿がすかさず返事を返してきた。
「おお、是非お願いできますか。
あなた程の適役は居りますまい。
川田殿、よろしいですか?」
暫しの沈黙の後、父が答えます。
「わ、わかり申した。
娘に案内させまする。
不束者にござります故、無礼の段には平にご容赦を」
「これは忝ない。
では、昼から早速現地を見せて頂きたいのでよろしくお願いします」
こうして、高田殿ら一行を油田に案内する事になった。
あそこには少し手を入れているから、もし同類ならば一目見れば分かるはず。
転生者三人目です。この人は材料工学の専門家で研究者です。