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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第四章 激動の天文十七年(天文十七年1548)
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閑話四十六 高田佐吉 相良探訪

佐吉くんの初旅行、相良湊に到着です。





天文十七年六月 高田佐吉



出発の日の早朝、加藤殿らと津島湊で落ち合うと船に乗り込んだ。

この帆船は姫君が設計した船らしいが、俺からすると湊に停泊する和船よりはずっとこちらの船のほうが馴染みがある。何しろ、東南アジアからインド洋、アフリカ東岸に至るまであちこちで見かけるのがこのタイプの船だ。

あの地方では古代からこの船が使われていると聞いたことが有るな。


今回の旅だが、士分になったため十名ほどの供を伴っての旅となる。

本当はもっと人数が少なかったのだが、備後守様より手ぶらでは拙かろうということで、川田殿への土産の品を持たせていただいたのだ。

そのため、古渡の奉行の山田殿の紹介で急遽雇い入れた俺の小者達も居るが、他の者らは備後守様が付けて下さった者達になる。

加藤殿は仕事柄供は連れないことが多いらしく、今回も供らの中に紛れ込んでいる。

現地では加藤殿の手の者が川田殿の村まで案内してくれるそうだ。



出港の時間が来ると、桟橋の鐘がけたたましく鳴り、ゆるゆると沖へ進み出るとそこからは風を帆に受け滑るように進み出す。

タグボートでもあればもう少し出港が早くなるのかも知れないが、出入港には其れなりに時間がかかるらしい。



古渡から遠江、つまり静岡県西部の相良油田迄は約四十里、歩くと単純に四十時間掛かるそうだ。

勿論、ぶっ通しで歩けるわけもなく、一日精々八時間から十時間が限度、夜道を歩くのは自殺行為だから基本的に街道沿いにある旅籠宿から次の宿までを一区切りに進んでいくらしい。つまり、早めに宿に着いたとしてもその次の宿に明るい間に辿り着けそうになければ日がまだ高くともその日の旅はそこで終わりとなる。

恐らく、単純計算で五日だが途中のトラブルとか考慮に入れると一週間位の行程なのも知れない。


この時代に転生して既に十年以上生活したが、未だに何日も掛けて遠方まで歩くというのは慣れない。

前世に比べれば格段に体力、持久力は有るとは思うのだが、前世の感覚が未だ抜けないというか、歩いて一週間とか想像するだけでもゾッとする。


幸い、今回の旅は津島湊から相良湊へ直接船が行くため、その日の内に相良まで到着するそうな。

津島の湊からの定期船は基本的に主要な湊を巡りながら駿河の清水まで行くそうだが、大きな湊へ直接行く直行便が日に何便か出てそれに乗れば遠方でもその日の内に到着する。


前世では後進国などに行くと道の不整備から川を船で行くことも多かったのだけど、それらは発動機付きの船ばかりでこの規模の帆船に乗るのは初めてだ。

しかし、思ったほどは揺れなかった。フィンスタビライザー的なものが付いているのだろうか?

とは云え、太平洋は波高く揺れないというわけはなくゆっくりとそして大きく船が上下する。

幸い俺も含め船酔いでダウンする者は居なかったが、前世だったらえらい目にあっていたかも知れない。



船旅の間、特にすることもなく船に揺られながら遠くに見える陸地を眺めていた。

前世の記憶に残る町並みなど当たり前だが存在せず、あっても小さな漁村が見えるくらいで、勿論大きな湊は其れなりの大きさだが、前世の港湾施設と比較すれば小規模な漁港にも及ばないのではないか。


「本当に戦国時代に来てしまったんだなあ…」


その風景があまりにも感慨深く、思わずそんな言葉が口から出てしまい慌てて周囲を見回した。が、幸い誰も居なかった。波風の音ががそれなりにするから聞こえない筈だが用心しなければ…。



そしてその日の夕方、予定通り夕日に照らされた相良湊へ入港した。

湊には加藤殿の手の者だという商人風の人が来ていて、宿の手配などをしていてくれたらしく直ぐに宿に案内された。

明日はこの人の案内で菅ケ谷村まで向かう事になる。


翌朝宿で朝食を済ませると、加藤殿は商人風の人から昨日の夜報告を受けていた様で、出立前に俺に状況を話してくれた。

川田殿には事前に来訪を知らせており、先触れを先行させたので到着を待ってくれているはずだそうな。

しかし尾遠参三国を実質的に支配している備後守様からの使者一行が、態々遠い尾張から遠江でも駿河寄りのこんな村に何をしに来るんだろうと恐々としているというが、やっぱりそうだよなあ…。


出立の準備を済ませると早速菅ケ谷村へ向かう。距離は約六キロの行程で一刻掛からない距離らしい。


旅というと旅は道連れとも言うが、役目というのも有るのだろうが、道中誰かと言葉を交わすわけでもなく黙々と歩みを進め、必要な事以外はほとんど会話が無いのには参った。

とは云え、よく考えればこれも致し方ないのか。


加藤殿は同じ姫君に仕える身で全く知らない間柄ではないとは云え、直接の付き合いがあるわけでもなく、恐らくこの人は所謂御庭番みたいな人なのだろう。

話しかければ気さくに応えてくれるが、話が続かないのだ。

それもそうだ、俺は鍛冶屋で彼は御庭番、共通の趣味が有るわけでもなく、ただ同じ姫君に仕えていると言うだけでどんな人物なのかも知らない。

姫君を話のネタにするわけにもいかず、恐らく彼は余計なことは話さないだろう。

お供の人達も同じく、ここ最近会ったばかりの人達で、勿論名乗ってはくれたが誰なのかもよくわからない。


唯一、加藤殿の手の者という商人風の人は、商人らしい気さくな物腰で、出会った時に挨拶をしてくれて以来、少しずつ話を聞かせてくれる。

だが、この人も商人風では有るが、所謂御庭番の一人なんだろう。恐らく余計なことは話さないだろう。

役目だから仕方ないが…。

商人風の人は本名かどうかはわからないが、嘉兵衛という名らしい。


「川田殿というのはどういうお方なのです?」


「川田様は歳の頃四十前で菅ケ谷村を領する領主様でございますよ」


備後守様と同じ位か、どんな人なのだろう。


「どんな感じのお方なのですか?」


嘉兵衛殿は思案顔をすると答える。


「そうでございますね。

 村人に慕われている領民思いの方にございますよ。

 元は今川家に出仕されて居られたのですが、先の戦で今川家が遠江から引き上げたので、備後守様に安堵を頂き引き続き菅ケ谷村の領主をされておられるのです。


 川田様とご嫡男は共に武勇に優れておられるとかで、先の戦でも郎党を引き連れ出陣し、戦は負けましたがご活躍なさったとお聞きしております」

 

「ほう、それほどのお方ですか」


とは云え、俺は戦があった事と勝ち負け位しか知らないからな。


「それはもう。

 また戦があれば、今度は備後守様に安堵のご恩を返すため、槍働きをお見せすると言って居られました」

 

「ところで、嘉兵衛さんは随分川田殿の事にお詳しいですね」


御庭番にしても詳しすぎるだろう。


それを聞き嘉兵衛さんは笑う。


「まあ、一応川田様の所にも商いで出入りさせて頂いておりますからね。

 お話させていただいたこともございますよ」

 

「そうなのですか」


「ええ、遠江の相良湊を中心に商いさせて頂いておりますから其れなりには」


随分と入り込んでいるんだな。

加藤殿の手の者と聞いたけど、入り込んでどれ程経つのだろう?

俺がそんな事を考えていると、嘉兵衛さんがまた思案顔をして話を続ける。


「そう云えば、川田様にはご嫡男の他に姫君が居られるのですよ。

 姫君はご嫡男の姉にあたります。

 確か、今年で二十歳だと聞いておりますよ」


二十歳というと、俺の前世の感覚ではまだまだ若い学生というイメージだがこの時代の感覚だと所謂行き遅れというやつではないか。

農民など庶民だと二十歳で独身というのも家や村の環境などで居ることは居るが、親が相手を決める武家だと十五歳位には相手を決める事が多い。

我が姫君も偶にそういう話をして居られるし、何しろ備後守様程のお方の姫君だ、それこそ今年決まってもおかしくはない。

閑話休題、二十歳で独身というのは…なぜだろう。

輿入れはしたが何らかの理由で家に戻ったというパターンも有るが。


「二十歳でまだ輿入れされて居られぬのですか?」


「ええ、そうなのですよ。

 川田様も姫君をどうするのか悩まれておるようです」

 

んん?どういうことだ?


「というと?」


いつの間にか前を進んでいた加藤殿がこちらの話に興味が湧いたのか隣を歩いていた。


それに気づいた嘉兵衛さんは加藤殿に頷くと話しだした。


「一言で言えば、変わり者の姫なのですよ。

 一度だけ屋敷で見かけたことがありますが、見目はお美しいと思います。

 しかし、変わった格好の着物を自分で作ってはそれを着て、武家の姫らしい格好をせず、小者を連れては領内を好き勝手に歩き回り、ある日は鍛冶屋に入り浸ったかと思えば、駿府から職人を呼んだりと。

 普通の姫ならばそんな事はせぬものなのですが…」

 

俺はどこかで聞いた話だと思った。

加藤殿もそう感じたのか俺と視線が合うと口元が笑った。

そんな俺達には気づかず嘉兵衛さんの話は続く。


「川田様も最初は奥方から、それでも改まらぬのでご自分でも姫に忠言されたようなのですが、一向にその振る舞いは改まらなかったのでございます。


 姫は気でも触れているのではないかといえば、そういう訳でもなく、幼少の頃は神童と言われるほど聡明であられ、六つの頃には四書五経を諳んじられ難しい書を読み、既に文字も書けるなど教育役の近くの寺の和尚が舌を巻くほどだったそうです。


 そんな才気溢れる姫を川田様は男子なれば優れた跡取りになったろうにと、よく言って居られたそうですが、川田様のご嫡男も文武に優れたお方なのです。


 だから姫についてあまりそういう事を言っていてはご嫡男が歪まれる事もある故、ご嫡男が成長なされてからは川田様も口を慎み、また元々聡明な姫でもあったのでいずれ輿入れする定めですからそれまで自由にさせておこうと、川田殿はそうなされたそうでございます」

 

「「ふーむ」」


加藤殿と二人で興味津々嘉兵衛さんの話に耳を傾ける。


嘉兵衛さんはそんな俺達に少し不思議そうな表情を浮かべたが話を続ける。


「あるころから姫は度々小者を連れては領内を散策し、時に村人の話を聞いたり立ち寄った商人の話を聞いたりして居られたのです。


 それが、屋敷の外れに自分の離れを貰った頃から、段々奇行が目立つようになったのだと聞きました。

 あれがそもそもの間違いだったのではないかと、川田様が…。

 

 そのうち、先程お話した自分で作った着物を着だし、どこで知ったのか鍛冶や細工師などいろんな職人を屋敷に呼んではいろんな物を作り出したそうにごさいます」


俺は思わず或る方の顔を思い浮かべた。


「どんな物を作られたのです?」


嘉兵衛さんは首を振る。


「いや、それが川田様が仰るにはそれは見事な代物であったそうなのですが、何しろ物騒な世の中故、その見事な代物のお陰でどんな厄介事に巻き込まれるやも知れぬ。

 しかし姫の行いを無理に止めさせても、姫に出奔でもされてはこれも大事ですから相変わらず自由にさせては居るのですが、作ったものは川田様が認めぬ限り屋敷から外には出さないようにして居るのでございますよ」


そこが備後守様との違いか…。

しかし、一体どんな物を。

というか、どんな人なんだ?


「そんなわけで、今ではどこかに輿入れさせることも出来ず、二十歳のこの歳まで気ままに暮らしておられると。そういう訳にございます」


俺たちは嘉兵衛さんの話を聞き終わると、大きくため息をついたのだった。

変わり者の姫といえば我が姫君だけかと思えば、案外と居るものだな…。


そんな話をしていたら時間はあっという間に過ぎていたのか、目的地の村に到着した。

見たところ、村人の暮らし向きもそれほど悪いようには見えず、ご領主の川田殿が慕われているのがわかる様な、そんな感じの村だ。


村の近くに有る山には砦が築かれて居るのが見え、その向こうに四方を掘と塀に囲まれた屋敷があった。

到着を知らせる先触れを先にやり、俺達はゆるゆると屋敷まで歩いていく。


そのうち、屋敷が間近に見えてきたのだが、門の所に見慣れぬ、いや既視感が有る物が取り付けられていた。


あれは、ランプじゃないのか。

昼間なので火は勿論付いていなかったが、あのランプに使われているあれは…。


久しぶりに見る硝子じゃないか…。



さてさて、雲行きが怪しくなってまいりました。

ちなみに嘉兵衛さんは佐吉の勘違いで元々遠江相良の商人です。御庭番ではありません。

所謂現地協力者というやつです。


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