閑話四十四 朝比奈藤三郎 野戦陣地構築演習
藤三郎が砦より外を眺め何を考えていたのか。
天文十七年六月 朝比奈政貞
吉姫の側仕えとなってはや五日。
側仕えとはいえ主な仕事は警護であり実際に姫の世話をするわけではないのだが、日々是慌ただしく全てが目新しい。
家が変わるだけでこれほど変わるものなのか。そう思えるほど、驚きの連続であった…。
吉姫は伝え聞いた話通り、ある日は熱田の学問所へ子供らに学問を教えに行く。
子供らへ教える学問はこれぞ驚きであり、見たこともない文字を数字だと言って習わせ算術を教えておった。算術は簡単な計算ならばいざ知らず、桁が増え複雑になればこなせるものは少ない。しかし、ここで学んでおる子らは複雑な計算をスラスラとこなしていく。
聞けば近隣の商家や下級武士の子らが学んでおるらしいが、中には国人の子らも居ると聞く。将来、これだけの人数の子らが算術を得意とし世に出れば尾張の国力の大きな底上げになるのは間違いなかろう。
またある日は寺へ出向く。
寺では年令問わず元服前の若者からかなり年配の老人迄幅広い者が話を聞きに来る。
いや、ここは年齢どころか家柄や男女問わず自由に話が聞ける場なのだという。
後から聞いた話では、近隣の国々からもわざわざ話を聞きに来て居るものが居るのだとか。
どんな話だろうと吉姫の話を聞いてみれば、それも頷けた。
滝川殿はこの姫の話に感銘を受けて側仕えに仕官したのだというが、早い時期からこの姫の話を聞いてきた滝川殿を羨ましく思える、それほど他所では聞けぬ話だった。
俺が同行した日に聞いた話は、この日ノ本の南にある島々の話。なんでも九州より更に南に琉球という国があるがそこから更に島伝いに行くと九州程の大きな島が有るらしい。
その島は独自の文化を持つ住人らが住んでおり、更にその南にはルソンというこれまた大きな島々が有るらしい。
そのルソンの島々には唐国より遙か西、最果ての国の者らが外海を航海できる大きな船に乗ってやって来ておるらしい。
到底荒唐無稽な話にも聞こえるが、その証拠が鉄砲であり、彼らはそのうちこの日ノ本にも来るようになると話しておった。
そんな遠くの国の事情、一体どこで聞いたのか。案外唐国とも取引のある博多などの商家から聞いたのやも知れぬな。
そして、熱田や寺以外の日々もとにかく精力的に働く。
姫と同じ歳でこれほど精力的に働いている姫などあまり居らぬのではないか。
逆に、姫らしいことは殆どせぬがな…。
時間があるときは大きな船の模型を作ったり、何やらいろんな図面を引いたり、あるいは本を書いたり。
侍女の話では姫らしいことも出来るそうなのだが、この五日それらしい事はまるでなかった。
恐らく俺が思うに、この古渡の備後殿の屋敷には奥が無いからではないだろうか。
通常、国人の主の屋敷ともなれば正室が奥におり、奥向のことは全て正室が取り仕切る。侍女達や女中、下男達に至るまで正室が差配する。
それ故、然るべき者が然るべき人数居りそれぞれの役目を果たし屋敷を切り盛りする。
しかしこの屋敷は、奥が無い故に台所奉行が代わりに屋敷を差配しており、また主たる備後殿も戻らぬ日が多いように見受けられる。主が住む屋敷なのに主が殆ど居らず、主の親族はこの吉姫だけしか居らぬ故、警護の武士や女中や小者など屋敷の者ばかりが目立つ。
本来なれば、正室が居て正室の侍女たちが居て嫡流の子供らが同じ屋敷に住むからな。
仕える対象が少なければ、自ずとそうなるのだろう。
そして、本来姫に姫らしいことを教える正室や正室に仕える侍女らが居らぬ故に、姫らしいことを見ることもなくこの歳まで育ったのやも知れぬ…。
それなれば、今の吉姫の振舞いは致し方なきことなのか…。
そのくらい、吉姫は姫らしいところがない。
まあ、変わり者の姫といえばそのとおりであるがな…。
しかし、話をすれば実は俺より歳上なのではないかと思えて来るのは何故であろうか。
眼の前に居るのは年若く美しい姫なのだが、まるで年長者と話をしているような、そんな錯覚を覚えるのだ…。
そんな姫だからこそ、幅広い年代の者らが寺での話を聞きに来るのであろうな。
姫の側仕えを始めた頃、丁度姫は新しい取り組みに向けて準備を進めておった頃らしく、巨大な水車を使った大掛かりなカラクリを完成させて材木を切り出したり、また噂に聞く新しい道具などもこしらえさせていた。
丸太を放り込むと次々と板が切り出される製材所とやらも圧巻であるが、変わった形のノコやら分厚い刃の短刀やら、何に使うのかは分からぬ大工道具を作らせておった。
思えば来たばかりの新参者にこれほどの新しい事を惜しげもなく見せても良いのであろうか…。こちらが心配になってくるわ。
五月末日、吉姫は予てより準備を進めていた陣地構築演習というものをやるらしい。
俺も側仕えなので他の同輩と共に同行するのであるが、滝川殿にどういうものか聞いた所、詳しくは分からぬらしいが恐らく野戦築城の事ではないかと言っておった。
姫は何でも惜しげもなく見せているようで、実際には結果を見るまでは途中何をしているのか分からぬことも多いらしいが、それは我等の理解が及ばぬのかそれとも姫の方針なのかは分からん。
それはともかく、早朝より支度をすると同行の古渡の警護の兵や小者、侍女らと共に目的の場所へ向かった。
到着した場所は、山の傍の草原で未開拓の人気の殆ど無い場所であった。
そこで古渡の兵や小者らが陣幕を設営していると、後から備後殿の一行もやってきて少し離れたところに陣幕の設営を始めた。
吉姫曰く、今日の陣地構築演習の視察に来られたそうな。
中々に本格的であるが、とても齢十五の姫が主催してやるようなことではないな…。
紀州から呼び召し抱えたという鈴木党という者らがこの度の試しを担当するらしく、古渡の兵らは陣幕の設営が終わると、その陣幕で吉姫の警護の任に就いた。
姫が絵図面などを党首の鈴木殿に渡し段取りを指示すると、鈴木殿が郎党に命令を下し皆がきびきびと動き出す。
半数は河原の方向に向かい、残った半分で縄張りをしたり用意した様々な道具を使って竹等の切り出しに向かったりと分担して手際よく進めていく。
暫くすると先に向かった半数が荷駄を見たことのない形の荷車に載せて押してくる。
一回の移動でも随分の量を運べるようで、資材置場にみるみると材木などが積み上がって行く。竹を切り出しに行った者らも竹を背負って何度も持ち帰って来た。ここまで全てここに至るまでの前準備のせいか実に手際よく無駄がなく作業は進んでいく。
そして、一刻半が過ぎた頃見事にソレは完成した。
見た目は山を背にした平城。
拒馬と柵を巡らせた土堀を持ち、五尺程の盛り土がしてあるが遠目には高さもなく一揉みもすれば簡単に落とせそうに見えるだろう。
しかし、盛り土へは堀を乗り越えねば取り付くことは出来ず、その堀の底から盛り土の上迄は十尺はあり梯子などがなければ到底登ることは出来まい。
しかも堀の中には拒馬や柵があり、実戦では矢や鉄砲玉の降り注ぐ中、それらの障害を超えて梯子を立て、更に十尺の壁をよじ登らねばならぬのだ。
俺は砦の中から外を眺めながら、自らがこの砦を攻めることを想像した。
矢楯を並べ矢が刺さる音に慄く兵らを鼓舞し、この砦までたどり着くとまず柵がある。
人数が居れば合力して抜いて退けることも出来ようが、矢盾を外せば忽ち矢衾に晒される。故にこちらも弓衆を使い砦に矢を降らせ牽制するが、ソレがどれほどの効果が有るのか、更に鉄砲という要素が加わればどうなるか。
こんな簡単な柵ですら使い方でこれほどの障害物となるのだな。
この砦の恐ろしい所は、事前に準備が必要では有るが、築城に二刻もあれば出来上がるということだ。要所にこの様な砦が一晩で出来上がればその脅威は計り知れない。
備後殿の評価も上々であり、意見を求められた武将も俺と同じ評価をしておった。
これが普通に使われだせば戦の形が変わりそうであるが、吉姫はこの砦に対する対策も同じく持っていそうな気がするのだ。
その後、備後殿一行が帰られた後、童子の戦遊びの如く棒きれを持たせて古渡の兵らに実際に砦を攻めさせたかと思えば、砦から鉄砲を撃ってみたりと、いい大人達がさながら遊びに興じているかの様であった。
恐らくこれがこの吉姫と親しい者らの日常なのであろう。
この様な主従があり得るとは、俺はこの日まで想像もしなかった。
郷に入れば郷に従えというが…。
ところで、あの鉄砲指南役だという津田殿が持参しておった身の丈程も有る長鉄砲は何なのだ。駿河に居った頃に見た鉄砲とは形がまるで異なるのも有るが、あの砦に二脚とやらを利用して据え付けて撃った時、俺は我が目を疑った。
通常より大きな弾を使うらしいが、驚くほどの遠距離から放ち矢楯を貫いたのだ。
聞けばお抱えの鉄砲鍛冶に作らせたというが、その威力も驚きであるが備後殿は鉄砲を自製しているというのか…。
此度のこと、早速お屋形様への報告書に認めて駿河に送ったが…。
お屋形様は良いときに同盟を結んだのかも知れぬな。
藤三郎が見たことはそのまま駿河に報告されます。
力の差は歴然。