閑話四十三 朝比奈藤三郎 信秀、吉姫との会見
古渡城までやってきました。
本当は船で古渡城まで行けるのですが、古渡城の桟橋は工房区画と隣接し、先の水車小屋がすぐ側なので関係者以外船で来られなくなってます。城の裏口の様なものです。
天文十七年六月 朝比奈政貞
翌朝、我らは船で熱田へ向かい桟橋で先触れにやった小者と落ち合った。
熱田の町は有名な熱田神社の門前町として知られているが、こちらの町も津島の町程では無いが南北に続く街道沿いに街並みが遠くまで続くのが見える。
朝からかなりの人通りで、活況を呈しているのは津島と変わらぬ程だ。
古渡の城はこの街道沿いに少し行ったところにある平城だという。
「藤三郎様、備後様は本日お会いになって下さるとのことにござります」
「そうか。先触れ、大儀であったな」
「はっ。
……すぐに行かれまするか?」
「うむ。備後殿は多忙と聞く、すぐ伺うとしよう」
「ははっ、では早速先触れに行って参ります」
「頼む」
小者の太市が足早に城に向かう。
「では、道中の茶屋で着替えていく故、我らも向かうとしよう」
「はっ」
途中の茶店で旅装束を着替え、半刻後我らは古渡城へ到着した。
古渡城は西南を川に面し幅広の二重の水堀に囲まれた平城で、水堀の間に長屋や武家屋敷が広がる、そんな感じの城であった。
水堀は攻めるには難儀であるが、この水堀は川にも接続し水運路も兼ねているのか其処彼処に桟橋があり、小舟で行き来しているのも見える。
平城とはいえ、縄張りの時点ではそれなりに堅固な城であったろうに、信秀殿はあまりこの城に関しては攻められると言うことを考えておられぬのかも知れぬ。
そう思えてしまうほど、その後に拡張されたであろう部分がそれを台無しにしている様に見えた。
逆に住むには良い城かもしれんな。
城へ入ると、小者と城の者が出迎えてくれ、一室に通された。
暫し待っていると、足音が聞こえて来たので平伏して待つ。
「お待たせしたな、朝比奈殿」
「はっ。
朝比奈兵衛尉政貞にござります。
駿河より御屋形様よりの書状を携え罷り越しました」
「ほう、そなたが権六と一騎打ちをしたという藤三郎殿か。
まずはおもてを上げられよ。
駿河よりはるばるご苦労でござったな」
いきなり先の戦の話が出てきて面食らったが、おもてを上げて信秀殿と対面する。
初めて目に掛かる信秀殿はかつては尾張の虎とも渾名され、ここ数年の戦にはすべて勝利し負け知らずの戦上手と聞くからどれほどの猛将が出てくるのかと思ったが、案外と目元の優しげな御仁であった。
しかし、その漂う覇気というのは笑顔を浮かべて居っても伝わる迫力があるな……。
「はっ、その藤三郎にござります。
お気遣い、忝く。
主よりの書状はこちらになります」
書状を懐から出すと、包みを解き受け取りに来た小姓に手渡す。
手紙を受け取ると宛名と差出人を確認し、書状を取り出し読み始める。
この中に書かれていることは大体把握しているが読んだわけでは無い故、細部まではわからない。
信秀殿はしばらく笑顔で読み進めると、急に笑顔が消えると俺の方をじっと見る。
そして、フッと笑うとまた笑顔に戻ると手紙を読み進み、そして読み終える。
「手紙の方、確かに頂いた。
先の農学書の返礼と……。
藤三郎殿、そなたの事について書かれてあった。
この手紙に書かれてあることは、存じて居られるのか?」
「はっ、存じております」
「ならば話は早いな。
治部殿のお申し出、儂としては特に問題ない。
儂としても今後、駿府との関係は深めていきたいと考えて居る故な。
だが、我が娘の側仕えとなるとこの場にて返事することはできぬ。
本人の意向も聞かねばならぬからな」
「はっ」
「では、早速娘に聞いてみるから、この古渡の屋敷に逗留されるが良い」
「ははっ、お気遣い有り難く」
「うむ。ではな」
信秀殿との会見はこうして無事終わった。
和尚の見立てでは断らぬ筈とのことであるが、さてどうなるやら。
俺と供の者らは客用の離れに通されると、ここで返事を待つことになった。
しかし、意外にも一刻もせぬうちに屋敷の者が姫様がお会いになると知らせてきたのだった。
途中で姫様の側仕えをしているという武士に引き継がれると、姫様の部屋に案内される。
部屋の外でもう一人武士が控えており、どちらも相当な使い手だと言うことが見て取れた。
無論、見えるこの二人だけであるはずが無いし流石に警護は厳重の様だ。
部屋の外に控えると、部屋の中に一人目の武士が声を掛ける。
「姫様、朝比奈殿と申す方が訪ねて見えられておりまする」
すると、中から若い女性の声が返ってくる。
「お通ししてください」
「はっ」
障子を開けると、まず先に一人目の武士が進み入り、それに続き部屋に入る。
すぐに顔を見るのは失礼故、すぐさま平伏する。
その後に二人目の武士が入ると障子を閉め、俺の後ろに控える。
「お初にお目に掛かりまする姫様、朝比奈兵衛尉にござりまする」
「面を上げてください。
よく見えられました。父上より話は伺っております。
朝比奈殿というと、重臣の備中守殿のご家中の方でしょうか?」
初めて目に掛かる吉姫は齢十五と聞くが、凜々しい眉が特徴的な噂に違わぬ美姫だった。
その風貌はとても年齢相応には見えず大人びていて、優しげでそして聡明そうな目をしておられる。
一目で魅入られる、そんな御仁であった。
このような姫の近くで噂に伝え聞く様々な事を学ぶ機会を得られるとは、御屋形様には感謝せねばならぬ。
しかし、やはり朝比奈というと宗家の方を思い浮かべられるようだ。所詮我が家は庶流故な……。
「いえ、それがしは朝比奈でも庶流の出にござりまする」
懐から、和尚が手渡してくれた御屋形様よりの紹介状を取り出すと一人目の武士が受け取り姫に渡してくれる。
「主君、治部大輔様よりの紹介状にござりまする」
吉姫は早速と中を開くと目を通していく。
そして読み終えると後ろに控えていた侍女に手渡す。
その所作には無駄が無く、この侍女もただの侍女ではなさそうだな……。
吉姫は俺に視線を戻すと話し出す。
「先に話したとおり、父上より話は伺っております。
それでは暫く側仕えの役目、宜しくおねがいします」
「はっ。
それがしのことは藤三郎とお呼びくださいませ」
俺が名乗ると途端吉姫は思案顔になる。
信秀殿といい俺の名はそんなに知られているのか?
解せぬ……。
「それでは、藤三郎殿と呼ばせてもらいますね」
「はっ」
「では、はじめての土地で慣れないでしょうから、何かあればこちらの滝川殿に聞いてください。
そちらの小次郎殿は先ごろ私の側仕えになったばかりなのですよ」
二人目の武士がニッと微笑むと挨拶してくれる。
「一色小次郎にござる。
同じく、拙者もまだ新参者にござるよ。
これからご同輩にて宜しくお願い申し上げる」
小次郎殿は爽やかに笑いかけられる気持ちの良い御仁であるが、一色と名乗られたか。
一色というと清和源氏にも連なるかなりの名家の筈であるが……。うーむ。
「こちらこそ、宜しくお願い申し上げる」
「それがしは滝川彦右衛門にござる。
姫様のおっしゃられたとおり、何かござれば拙者に言ってくだされ」
一人目の武士が挨拶をしてくれる。この方は滝川殿と言われるのか。
口元に笑みを絶やさぬ優しげな御仁であるが、目が笑って居らぬ……。
「宜しくお願い申し上げる」
この二人はもしや、御屋形様の言われる同じ事を考えて居る家の者なのか。
それとも、俺の思い過ごしか。
いずれにせよ、俺や駿河に仇為さねばこちらから何かすると言う気も無い。
勿論役目故、万が一の時はこの吉姫をお守りせねばならぬがな。
しかし、どちらかならいざ知らずこの二人相手では正直一人で勝てるか自信が持てぬ……。
それはともかく、御屋形様より預かってきた返礼の品をお渡しせねば。
外で待っているはずの小者に声を掛け、檜の箱を受け取る。
そして、前に差し出すと侍女が受け取り姫に渡す。
「主君よりの返礼の品にござります」
「ここで開けても構いませんか」
「無論にござりまする」
さて、姫が気に入ってくれると良いが。
吉姫は箱から絹の刀袋に包まれた短刀を取り出すと、中から短刀を取り出した。
「無名にござりまするが、駿河の刀工義助の作だと聞いておりまする」
和尚から聞いた話を説明する。
話を聞きながら造形などをじっくり眺めると、少し刀身を露出させるとすぐに閉じ、こちらに視線を戻す。
そして、にっこり微笑むと応える。
「これは素晴らしい物を頂きました。
治部様にまたお礼の手紙をしたためます」
どうやら、気に入って貰えたようで胸をなで下ろす。
「はっ、それがしがしかと届けさせまする」
「では藤三郎殿、早速参ろうか」
「忝く」
こうして吉姫との会見も終わり、俺は滝川殿に連れられ部屋を後にする。
その後、滝川殿に信秀殿が手配してくれた屋敷に案内して貰った。
滝川殿は近くの長屋に住んで居るそうだが、俺は役目で今川家から派遣されている身なので屋敷が宛がわれたようだ。
ここで駿河から来た一行が役目が終わるまで滞在することになる。
慣れるまで戸惑うこともあるだろうが、明日から励まねばな。
これで吉姫の側仕えの役目に就くことができました。