閑話四 第二次安祥合戦
今回は信秀視点になります。
安祥に度々攻撃を仕掛ける広忠を黙らせに三河に向かいます。
天文十四年九月 織田信秀
儂は安祥より松平広忠が度々攻め寄せては撃退しているとの報を受け、そろそろ機が熟したと判断し、此度の戦で落とせるかどうかは解らぬが、岡崎を攻める為、兵を出すことにし二千の兵で三河へ向かった。
以前の快川和尚の献策と、推挙によって新たに迎えた家臣達の働きもあるのか、安祥を託している長男の信広の仕掛けた調略が儂の想像以上に進んで居る。
松平の一門である山崎の松平信孝殿をはじめ、松平忠倫殿、松平清定殿が安祥に味方し、他にも水野信元殿、酒井忠尚殿ら西三河の国人衆も安祥に味方することとなった。
一先ず安祥へ入ると、信広に新たな家臣を紹介される。
快川和尚が推挙したという者たちで、一人は駿河で浪人をしていたという、兵法者の山本勘助殿、それにもう一人は伊賀の出身だという服部保長殿。いずれも優れた才を持つ者たちで、西三河の調略や安祥城の普請に大いに役立ってもらったそうだ。
確かに、山本殿は見た目は体中に傷跡があり、異形だが話せば中々の知恵者だとすぐに判った。そして、服部殿は恐らく伊賀の服部氏の一族だろう。
軍議の結果、岡崎城は落とせれば落とすが、無理はせず適当なところで撤退し、岡崎勢を釣り出す、尾張からの援兵は城には入れず城外の森などに伏せる。
安祥勢がうまく岡崎勢を安祥近辺の死地に誘い込んだところで、後方より横槍をいれ退路を遮断包囲し、岡崎勢を叩くという策で決まった。
夜のうちに尾張勢は兵を伏せ、翌朝、早速信広が安祥勢を引き連れ岡崎へ向かう。
ところが、物見の兵が既に広忠が岡崎を出陣し安祥を攻めるべく進軍中との報を齎す。
そこで、清田畷で迎え撃ちうまく釣り出すことにした。
岡崎勢の半数の兵力しかない安祥勢は軽く当たった後、叶わぬと見せかけ安祥へ逃げ出す。
広忠は直ぐ様追撃を命じ、名うての猛将本多忠豊を先手に猛追撃に入った。
安祥勢は、散り散りに逃げながら死地へ誘い込みそのまま城へ逃げ込んだ。
あまりに無様で上手い逃げっぷりに儂は思わず吹き出しそうになったわ。
そして程なく岡崎勢が勝ち戦を確信して安祥へ殺到した。
儂は時は満ちたりと、横槍を命じた。
まずは敵を混乱させるために、この日初めて戦で使う鉄砲を放つ。
数は少ないが派手な音をたて、鉛の玉を飛ばした。
ところが、岡崎勢は驚き周囲を見回し、横槍による混乱はしたが、期待したほど大きく取り乱すことはなく音に驚いた馬が竿立ちになった程度であった。
だが儂には弾に当たった者が倒れ込むのがしっかり見えた。
もっと鉄砲の数が多ければまた違った光景が見れたろう。
しかし、鉄砲は平手の勧めで試しに取り寄せてはみたが、あまりに高すぎる。
火薬も弾も馬鹿にならぬ。戦で本格的に使うのはまだまだ先であろう。
兎も角、鉄砲衆が放つと同時に横槍を繰り出した。
うまく包囲し、岡崎勢を散々に討ち果たした。
ところが、敵将の本多忠豊が聞きしに勝る猛将で、更には本多勢の精強なることこの上なく、血道を抉じ開けると広忠を逃したのだ。
本多殿と本多勢は殿として残り、もはやここで討ち死にする覚悟。
なんともあっぱれな御仁よ。ここで殺すのは惜しい。
とは言え、このような猛将を逃がすのは禍根となりそうだ。
なんとか儂の家臣に欲しいが…。
そこで、兵を下げ遠巻きに囲ませた後、儂は降伏を呼びかけた。
本多勢、誠にあっぱれな戦いぶりなり。
本多殿がここで降伏するなら、他の者達は逃がすが如何かと。
すると、本多殿は暫く考えた後、部下たちの顔を見、儂の首で部下たちを見逃してくれるなら、どうせ儂はここで死ぬつもり故、降伏いたす。と返答した。
ならば本多殿は一先ず武器を捨ててこちらへ参られよ。それ以外のものは手出し無用。
もはや追うことも無い故、引き上げられよと声を掛けた。
本多殿は武器を捨て、本多勢は負傷した者たちを連れ、去っていった。
残された本多殿は、さて、では約束通り、この首を差し上げる故、場所を貸してくれ。
と、既に死ぬ覚悟。実に潔い。
本多殿、貴殿の命は既に儂が貰い受けた。
これよりは、儂の家臣として尾張へ同行願おうか。と、伝えた。
本多殿は大いに驚いたが、生き恥を晒し残った者に迷惑をかけることは出来ぬ故、このまま腹を斬らせてくれと懇願した。
しかし儂は、本多殿はここで主君を逃して最後まで戦い討ち死にした。
ここに居るのは別の御仁じゃ。
もはや三河で戦うことも無い故、儂の家臣として尾張に参られよ。というと、
本多殿は困った顔をして、何故儂にそこまで拘るのか。儂は敵将ぞ。と。
儂の娘が命を大事にせよと言うのだ。戦で戦い死ぬのは致し方ない。
しかし、戦が終われば生きることに懸命であるべきで、死ぬべきではないと言うのだ。
儂はそれを聞いて、確かにそうじゃと思うたのだ。
そなたは役目を果たし、既に戦は終わり死ぬ必要が無い。
ならば新たな生き方をしたらどうかと思うのだ。
本多殿はその話を聞いて観念した表情となり、わかり申した。
この上は織田殿と共に尾張へ行き申す。
但し、織田殿にお仕えするかどうかは、その姫君にお会いしてから決めさせていただいてよろしいか。
お仕えしなくとも、もはや織田に抗うことはござらん。その上は出家でもして尾張のどこぞの寺にでも入り申す。
そう言うたので、儂はそれで構わん。では参ろうか。と返事した。
その後、安祥にて信広らを慰労すると、吉よりの手紙を渡した。
信広はそれを読むと、すぐに返事をしたためたので、儂はそれを懐に入れると軍勢を率いて尾張へ引き上げた。
此度の勝利で、岡崎は大いに兵を損じ広忠は面目が潰れ、更に調略が進むことだろう。
後ろに今川が控えておる故、さらなる深入りは今川が出てくるかも知れぬ。
いずれ今川とも戦う日が来るやも知れぬが、今はその時ではない。
今は安祥が平穏であればそれでよし。
さて、年が明ければ吉の裳着よ。
日に日に美しく育つ、吉の晴れ姿が今から楽しみだわい。
さて、史実と色々と変わってますが、何箇所くらい変わってるかわかりましたか?