閑話四十 朝比奈藤三郎 三河へ
前回の続き、三河に到着までの話です。
天文十七年六月 朝比奈政貞
三河への旅の準備を進めていたのもあり和尚の来訪から数日後、俺は父上や家族に出立の挨拶をし郷里を後にした。そして、昼になる頃には最初の目的地である清水湊へ到着した。
以前来たときも駿河の主要な湊だけあり活気があったが、久しぶりに訪れた清水湊は以前来た時よりもさらに活気があり、其処彼処から槌の音が響いてくる事に気がついた。
街並みを眺めながら湊へと歩みを進めていると、後ろより声をかけられた。
「これはこれは、朝比奈藤三郎様では御座いませぬか」
声のする方に向くと、声の主は駿河でも一番といわれる豪商友野二郎兵衛尉殿だった。
「友野殿ではござらぬか、先頃は世話になり申した」
「なんの藤三郎様、それが手前どもの仕事に御座いますれば。
ところで、清水の街に見えられたと言うことは、また何かご入り用に御座いますか?」
友野殿が揉手しながら用向きを聞いてくる。
「いや、御屋形様のご用でこれから尾張へ向かうので御座るよ」
「尾張へ向かわれるので御座いますか。
確かにこの湊から船が出ておりまするな。
今は定期船が日に何艘もこの清水から津島までを行き来する様になったので御座いますよ。
尾張の織田備後守様が船主だそうですが、最初はそんな日に何艘も船を出すほどの事などないだろうと。
そう思ったのですが、毎日何艘も船が出ており船賃もそれほど高くないと言うことが知れ渡ると利用する者が思った以上に多くなったので御座いますよ。
しかも、織田様の三角帆の船は従来の船と違って、船足が速く風向きにもあまり左右されません。
尾張まで一日足らずで到着しますから、随分と近くなったものですよ」
「一日で到着すると聞いて驚いたもので御座るが、船足が早くなるだけでそれほど変わりまするか」
「船足が早くなったことも大きな事でござるが、一番大きいのは駿河から津島まで、以前と違い水軍衆に止められ何度も関銭を取られることが無くなったのが大きいのでございますよ」
なんと、いつの間にそのような事に。
「ほう、しかしそれでは水軍衆が立ち行かぬのでは御座らぬか」
水軍は船を維持し続ける為に常に金が掛かると聞くが…。
「織田様が水軍衆をお抱えになったのでございます。
三河の水野、尾張の佐治に服部、この三つの有力水軍衆を傘下に収めたことで、力関係が大きく変わり他の尾遠参の水軍衆も織田様に臣従し、皆お抱えになったので御座います」
「それは…、なんとも途方も無い話でござるな。
じゃが、それでは今度は織田殿が立ち行かなくなるのでは御座らぬか」
「水運での関銭を廃する代わりに、織田殿が水軍衆に新しい三角帆の船を貸与し水軍衆は取り決めた水運の運上金を織田様に納めれば残りの売上は水軍衆の稼ぎになりまする。
運上金は安くは無いそうでございますが、船の維持も織田様が為さりますので、船便も多いこともあり人を出すだけの水軍衆は以前より豊かになったそうに御座います。
そして、航路の警護も水軍衆がやっておりますれば、安心に御座います。
織田様の船に手を出そうものなら、どうなるか童子でもわかりましょう」
俺は思わず手を打ち大きな相槌を打つ。
それを見て友野殿は微笑まれ言葉を続ける。
「そうなれば、尾張の方に用事のある関東の商人など旅する者は、わざわざ時間が掛かり物騒な目に遭うやも知れぬ陸路など通らず、ここ清水湊に来て船に乗るので御座いますよ」
俺も最初話を聞いたときは織田殿は裕福とは聞くがなんとも無駄なことをすると思ったのだが、言われてみればその通りだなと合点がいく。
事実、俺も以前なれば街道を何日も掛けて尾張まで歩いて行ったろう。そうなれば随行の供回りの者どもにしてもそれなりの人数で行かねばならぬところであった。
「なるほど、織田殿は噂には聞くが如才ない方で御座るな」
「まことに。
おかげで清水湊から船に乗る者たちがこの清水の街で宿を取ったり売り買いしていくものですから、随分と商いが活発になったので御座いますよ」
そう言うと、友野殿は機嫌良さそうに笑う。
そうであろう、街に入ってすぐに感じたがそういう事であればこの活気の意味がわかる。
「それは良いことで御座るな。御屋形様も喜ばれることで御座ろう。
ところで、街の其処彼処から槌の音が聞こえて御座るが?」
「ああ、あの槌音で御座いますか。
あれは、津島や熱田など他国の湊街の商人らが清水店を建てておる音で御座いますよ」
「清水店……、に御座るか?」
「左様、これも織田様からの申し入れなので御座いますが、それぞれの湊街の商家は別の湊に出店を作って、より商いを楽にしてはどうかと。そう仰られるので手前どもも津島に友野屋津島店を今建てております」
「ほう、出店で御座るか。
しかし、そんなことをすれば潰し合いになるのでは御座らぬか?
尾張の商人が安い品を大量に清水へ持ち込めば清水の商人の物は売れぬようになるのでは」
「その危惧は正直なところ御座います。
ですが、駿河には駿河の、尾張には尾張の特産品が御座いますし、駿河に居れば東国の、尾張に居れば伊勢や近江などの物を買い付けることも、物の相場を知ることもできますから、利はあるので御座いますよ」
「なるほどのう。
言われてみれば一々そうで御座るな。
どうせ見るならば自分の店の者に見てほしいのが心情で御座ろうし」
「左様に御座います。
それも以前のように陸路で何日もかかるのであればまた話が変わるので御座いますが、何もなければ一日もあれば行き来できますから、店の者の行き来も容易いのです。
御屋形様に言われて織田様の話を聞きに尾張まで行ったので御座いますが、織田様の言われる商圏の拡大と言うのがこれほどの物とは、手前どもの想像を超えておりました」
俺は思わず腕を組み溜息をつく。
知らぬ間にこれほど世の中が変化して居るとはな……。
その織田殿のお膝元の津島湊とはどれ程のものなのだろうか、今から訪れるのが楽しみになった。
「おっと藤三郎様、すっかりお引き留めしてしまい。申し訳御座いませぬ」
「いやいや、それがしこそ色々と話を聞かせて貰えて為になり申した。
これから向かう尾張のこと、正直あまり知って居るわけではなかったので、ここで会えて話を聞けたのは幸運に御座った」
「そう言って頂けるなら何よりに御座います。
それではお役目無事に果たされますことをお祈りしております。
またお戻りになられたら是非店にお寄りください」
「はは、気遣い有り難く。
しばし戻れぬやも知れませぬが、また戻ったら寄らせて貰いまするよ」
「なんと、尾張にしばらく居られるので御座いますか。
それであればこれをお持ちください」
そう言うと、矢立と紙を取り出すとさらさらと一枚の書き付けを用意する。
「津島の手前どもの出店への紹介状に御座います。
何か御座いましたら、遠慮なくお訪ねください。
きっとお役に立ちましょう」
「これは忝い。
では、友野殿も息災で」
「はい、藤三郎様も」
そうして俺は友野殿と別れると、船着き場へ向かった。
此度は公用故、船賃はすでに御屋形様の方から支払われていると和尚が言っておったが。
小者が船着き場の番頭に来訪を告げると、話が通っており早速乗り込むことになった。
清水を出ると遠江と三河の港に途中寄り尾張の津島へ向かうらしい。
初めて乗る織田殿の船は三角の帆が特徴的で、この船で船員の他三十人が乗れるそうな。
我ら一行が乗船した後にも次々と乗客が乗ってきて定員となった。
定刻になったからか定員になったからかは分からぬが、船出の合図らしい鐘がけたたましい音を上げると、ギシギシという音を立てながら船が湊を出ていった。
沖まで出ると風に乗って一気に船足が上がる。確かにこれは速い。
波を切り裂き船は滑るように海原を進み一刻がすぎる頃には遠江の湊が見えてきた。
沖を走る時は滑るように早いが湊へ出入りするのには時間がそれなりに掛かるようで、遠江の湊を出る頃には既に清水を出て二刻は経っていた。
そして、夕方頃三河の大浜湊へ到着した。
大浜湊は清水湊にも負けぬ大きな湊で、我等が乗ってきた船より大きな船が係留してあったりと、その規模は三河一の大きさと聞くが、安祥織田家が来る前は主要な湊ではあったがここまで大きな湊ではなかったらしいな。
安祥へは既に来訪を知らせて有るため、大浜湊で暫し休憩を取ると安祥へと向かうことにした。
大浜の街で食べた八丁味噌とやらを塗って作ったという握り飯はなかなか美味であった。
続く
道中いろいろな発見があります。