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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第四章 激動の天文十七年(天文十七年1548)
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閑話三十八 今川義元 尾張訪問

駿河に戻った義元が禅師に尾張訪問の話をします。





天文十七年五月 今川義元



「して、此度の尾張訪問如何でござりましたか」


「うむ、実り多き旅であったと思う。

 つい先頃、戦した間柄とは思えぬほどの歓待であった。

 恐らく我らとの関係を重く見て居るのだろう」


儂の話を聞き、和尚は思案顔で顎を撫でる。


「底意はいずれ明らかになるでしょうが、如何されまするか」


「尾張を訪問し、同じことができるとは限らぬが驚かされることが多かった。

 何より耕作地に恵まれておるのもあるが、一つの村が持つ田畑が他国より随分と大きいように見えた。

 聞けば数年前より導入を始めた新しい農具が農民に余力を齎し、結果として石高が飛躍的に増えたのだと言っておった」


「噂には聞いておりましたが、それ程にござりまするか」


「農民が使う鍬の形からして違うのだ。

 我が領内の農民の使う鍬の少なめに見ても倍の速さで土地を耕す。

 それ以外にも、カラクリ仕込みの畑を押し転がすだけで耕す農具などもあった。

 特に、尾張でも出来たばかりの新しい農具の試用を見せてもらったのだがあれは圧巻であるな…」

 

「なんと、そんな他国に秘するような事まで…。

 どんな農具でごさりましたか」


和尚も興味を引いたのか身を乗り出す。

この御坊にしては珍しいことだ。だが、儂もあれは言葉を発することも出来ずただ圧倒されるだけであった…。


「あの日、儂は備後殿に面白いものをお目にかけるととある村に案内されたのだ。

 村の中には入らなんだが、傍の真四角に作られた田圃に案内された」


「真四角…、にござりますか。

 耕作に適した平地の多い尾張らしい贅沢な作り方にござりますな」


「うむ。儂も見た時そう感じたのだ。

 しかも、一人の農家の持ちたる田圃にしてはかなり大きかった故、これは備後殿の命で特に作らせた田圃なのかなとも思ったわ」


「それほどの大きさでしたか。

 一人の農家がそれほどの田圃を持つのは確かに現実的ではござりませぬな」


「そうであろう。

 その田圃の前に陣幕が設えられており、そこに案内されると武衛殿が居られた」


「以前より準備して居ったのでしょうな。

 本来は武衛殿に見せるための席であったのか、それともお屋形様が尾張を訪問されることを予想していたか…」


「あの様に整備された田をすぐに用意する事は出来ぬであろう。

 如何に、新しき農具があるといってもな。

 恐らくあの田は新しき試みの為に新しく作らせた田であろう。

 それを武衛殿が聞きつけて視察することにしたが、たまたまそこに儂が訪問したと、そういうところではないか」


「いずれにせよ、武衛殿が居られてただ田植えを視察しただけには終わらなかったのでござりましょう?」


「例の娘が出てきた」


「吉姫にござるか?」


儂は頷くと話を続けた。


「その村は備後殿の領地であるらしいのだが、恐らく吉姫の化粧地なのだろう。

 そうでなければ、有力国人の嫡流の姫があの様な場で村の乙名と親しげに話をし、田植えの采配をすることなどありえぬ」

 

「なんと、その様な事が。

 だとしても備後殿程の家の姫が村で土いじりに交じるなど。

 普通ではありえませぬな」


儂は吉姫を思い出し、思わず苦笑いしてしもうた。

禅師が不思議そうな表情を浮かべる。


「あまりにも普通にそこにおった故、その時はそこまで気にならなんだが、言われてみればそうであるな。

 ところが、驚くべきはそこではない。

 尾張で新たに使われだした新たな農具はその吉姫が家臣に作らせた物らしい」


「変わり者の姫の域を超えておりますな…」


「フッ、そうであろう。

 それが数え十五の姫なのだ。どう見ても十五には見えなんだがな」


「随分若うござるな。

 その歳でそれほどの見識を持つとは」

 

「尾張では賢姫と知られておるそうだ。

 流石に駿河までその話は届いては居らぬが、他に寺で学問を教えたりもしておるらしい」


「男子であれば良き僧になったやもしれませぬな」


「まことにな。まあ、男子であれば嫡男であるから跡取りであろうが。

 備後殿は信広殿といい、子に恵まれておるわ」


信広殿の名を聞き禅師が渋い顔をする。


「信広殿でござるか…。確かに、戦上手であるばかりでなく内政にも長けており、領民にも随分と慕われてると聞きますな」


「うむ。儂も広忠が苦労させられておるとは聞いておったが、まさかあれほどとは思わなんだ。

 儂はそれ程戦が上手いとは自分でも思っておらぬ故に、戦においては奇策は取らず正攻法の戦をする。

 信広殿はそんな儂を逆手に取って、実に上手く兵を隠し兵力を見誤った儂を陣深くに巧みに誘い込み、気がついたときには敵の大軍に囲まれておった…。

 備後殿も戦上手の負け知らずと聞くが、その長子が庶子とはいえ父にまさるとも劣らぬ才を持つとは…。

 儂は見誤っておった」

 

「それは拙僧の落ち度でもありまする…。

 遠江は失いましたが、向こうから和議と同盟を言ってきたのは幸いでしたな」


「禅師の責任では無い、儂は禅師に駿河を頼んでおったのだ。

 武田とは盟約は結んだが、結んだ相手の信虎殿は追放されてしまい代替わりした。

 表向き武田との同盟関係は続いて居ることになっておるが、武田にせよ北条にせよ隙は見せられぬ相手故な」


「然り…


 …随分話が逸れてしまいましたな。

 それで、田植えは如何でござりましたか」


「おう、済まぬ。そうであったな。

 最初に、六角形の骨組みの筒を田の上に転がして、稲を植える印を付けたのだ」


「格子の印を付けたのでござるな」


「その後、カラクリ仕掛けの田植えの道具が持ち込まれた。

 それは車輪が付いた見たこともない形をしており、それに予め稲束を取り付けておき、手で押しながら動かすとカラクリ仕掛けのカニの爪の様な物が上下して、取り付けておいた稲束を取り田に植え込むのだ」


「その稲束は幾つも取り付けられるのでござりましたか?」


「うむ、稲束を取り付ける板の様な物一杯に取り付けられておった。

 幾つ取り付けられるのかは解らぬが、カラクリを手で押しながら動かすと次々と植え込まれる故、直ぐに板は空になる。空になれば新たに稲束を取り付ける為、桶に稲束を入れ付いて回るのだ」


「ほう…。

 田植えは手で植える時は、中腰で一つずつ植え込みまする故きつい仕事にござる。

 それが、その農具があれば中腰で長い時間田植えをする必要がなさそうに見えまするな」


「田植えのカラクリ道具は三組用意されておったが、それらが整然と正方形の田を先に付けた印に沿って進んでいくのだ。

 後には等間隔で植えられた稲が綺麗に並ぶ。

 そして、田植えに掛かる時間も手植えとは比較にも成らぬ。

 作業を終えた民達はそれ程疲れているようには見えず、道具を手際よく片付けると村に戻っていったのだ。

 四角の田圃に綺麗に植えられた稲というのは実に美しいのだ。

 禅師にも見せてやりたかったわ」


「それ程にござるか…。

 駿河でも同じことができれば良いのでござるが…。

 駿河は火山灰土の為、耕作に適した平地は少のうござる故…」


「それよ、その火山灰土、何とかなるやもしれぬぞ」


禅師は目を見開く。


「ま、まことでござりまするか!

 もし、それができればどれ程の平地を田畑に変えられるか」


「その方策を吉姫から聞いてきたのだ」


「…吉姫とは一体何者でござろう…」


「それを考えても詮無きことよ、大事なことは方策を聞けたことであろう」


「た、確かに…」


「田植えの後、儂は吉姫との会見の席を得た。

 初夏の晴天の下、綺麗に植えられた田圃を前にするとは思わなんだがな」


「ははは、面白き趣向にござるな」


「吉姫は十五と聞いておったが、大人びており美しく十五には見えなんだ。

 柔らかい独特の物言いをする優しげな姫よ。

 そればかりでなく聡明でよく世の中が見えており、正に備後殿が自慢するのが判る姫であった。

 儂が問うた話はとても十五の小娘に聞くような内容ではない、禅師であってもそれに答えるには暫しの熟考を要するであろう。

 小賢しき娘に半ば戯れで問うてみたのだ」


「どんな事をお聞きになったのでござるか」


「戦をするのが馬鹿らしくなったかなどと問うのでな、儂は駿河は尾張とは違い耕作地にも恵まれぬ故同じことは出来ぬ。

 遠江も失った今、国を富ませるにはどうすれば良いかと問うたのだ」

 

「答えが火山灰土の事でござりますか…」


儂は頷くと話を続ける。


「儂もまさか火山灰土の話が出るとは思わなんだわ。

 弾正忠家は銭で身を立てた家故な、恐らく商いの話でもするのかと思っておった。

 既に今川では商人を手厚く保護することや湊の活用など思いつきそうな事は殆どやっておる故な」


「拙僧もその場に居ればそう思ったでしょうな」


「吉姫はこの駿河や我が今川の事も実に良く知っておった。儂の取り組みに感服しておるなどと殊勝なことを言っておったな」


「もはや、何故などと聞くのが馬鹿らしくなりまするな…」


「フフ、そうであろう。

 それで、火山灰土の話よ。

 火山灰土、農民らは黒ボクとも呼んでおるあの土だ。

 あの土は土そのものは耕作に適しておるが、土が普段用いるような肥では足りぬほど痩せておるらしい」


「それはなんとなく拙僧にもわかりまする。

 土地が痩せておる故、作物が育ちにくいのでござるな」

 

「普通の肥ではなく鶏の糞を使った肥を使うと言っておった。

 詳しくはこの書物に書かれておる。

 吉姫が記した本らしいが、備後殿より渡された」


『火山灰土改良法』と書かれた本を禅師に渡した。


「ほう、綺麗な字でござるな。楷書で読みやすい。

 確かに、鶏の糞を使うと書かれてござるな。

 糞をそのままを使うのではなく、米籾と混ぜて肥としそれを種蒔きの二ヶ月前に鋤き込むと…。

 鶏の飼い方、肥の作り方なども絵図面入りで載っておりまするな…。

 これは…、本当に火山灰土で耕作が出来るようになったなら実に貴重な本にござる」


「うむ、それでこの駿河の石高が大きく上がったなら、家宝にも相当しよう。

 同じく火山灰土で苦しんでおる東国の国人らは皆欲しがろう」


「まことに。

 この本、如何なさるつもりでござるか」


「まずは農学に堪能な者を召し出し、この本の写本を託して試させようと思う。

 吉姫も話しておったが、一度で成果が出るとは思えぬ故、鶏糞と混ぜ込む米籾の分量はどの分量が最も良き肥が出来るか。

 あるいは、鋤き込む鶏肥の分量はどれほどが適正か。

 駿河の土に合う様に幾通りも試さねばならぬ。

 試すための農地も新たに作らねばなるまいし、結果を早く出すのであれば一つの季節に一つの種類だけで試すのではなく、幾通りもの畑を用意したほうが良い。

 何れにせよ、何年かは掛かるであろうな。

 だが、何もせねばいつまでも火山灰土の土地は耕作に向いた土地には成らぬ」

 

「仰せのとおりでござるな。

 では、早速農学に堪能な者を探させましょう」


「うむ、頼むぞ」


「しかし、吉姫。何故を考えるのも馬鹿らしき御仁というのはわかり申したが、弾正忠の姫なればいずれ輿入れするでしょう。

 十五であればそろそろ相手が決まっておってもおかしくはござらん。

 相手はもう決まって居るのでござるか?」


「否、まだ相手は決めておらぬと備後殿は言っておった」


「それ程の姫なれば、妻に迎えればきっとその家は豊かになりましょう。

 吉姫のほうが年上になりまするが、龍王丸様にも年齢的には釣り合いましょう。

 龍王丸様の妻に如何でござろうか」


「儂もそう思って備後殿に話をしたのだが、家格が違いすぎるとやんわりと断られた」


「家格など、なんとでもなりましょうに…。

 やはり手放したくは無いのでしょうな…」

 

「であろうな。

 だが、面会も果たしこれで知己は得た。

 何処かへ輿入れした後は解らぬが、今しばらくは文でやり取りなどは出来よう。

 本を贈ってくれるくらいであるから、吉姫の知恵を借りることは可能であろう」


「そうでござりまするな。

 こちらからも何か贈り物を用意いたしましょう」


「うむ、それが良かろう。


 おお、そうじゃ。

 吉姫の元に一人送り込むか」

 

「間者でござるか?」


「フフ、間者か間者に近いが間者ではないな。

 吉姫ほどの知恵者、他家が狙わぬとも限らぬ故な。

 警護の武士は居るようだが、儂からも一人腕の立つ者を警護にやろう。

 間者働き迄は求めぬが吉姫の動向は知っておきたい。

 逆に間者など送り込んでは備後殿の事、無策などありえぬ故関係を壊す事にもなる。

 故に堂々と吉姫のもとで警護方々勉強させてくれと書状を持たせて送り込むのよ。

 まあ、案外似たようなことを考えておる者も居るやもしれぬがな」

 

「はは、それは妙案でござるな。

 されば誰をやりましょうか」

 

「うむ、その任は腕が立てば誰でもというわけにはいかぬ。

 朝比奈に一人良さそうな者がおるな。

 先の戦の城攻めで功があった、朝比奈政貞はどうであろう」


「藤三郎にござるか、あの者ならば腕が立つばかりでなく頭も切れまするな。

 爽やかな良き若者故適任に思いまする」

  

「そうであろう。

 よし、では政貞をやるとしよう。

 頼んだぞ」


「ははっ、趣旨を良く含め返礼の贈り物を持たせ送り出しまする」


「うむ。

 これからが楽しみよな」

 

「まことに」



そんな訳で更にお供が増えることに。

義元公とも文のやり取りが始まりました。

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