第百十四話 戦国デモンストレーション 提言編
駿河の抱える問題の解決法とは。吉姫が一つ対策を話します。
『義元公への提言』
天文十七年五月、今川義元公との会見で国を富ませる提言をせよとの仰せを受け、私は表情では微笑を浮かべつつ内心では苦笑いをしていました。
以前の武衛様との会見に似ては居ますが、今回はより具体的な政策提言を求められているのです…。
さて、どの様に答えますか…。
政策自体は遠からずこの様な話があるだろうと予想していましたから、一応考えては居ます。ですが、それはあくまで平成の世の知識にこの時代の書物を読んで得た知識をミックスした政策であり、必ずしもうまくいく保証はありません。
つまりは、またしても机上の空論なのです。
これが自分の領地であれば出来ることからコツコツと積み上げて行く形を取っているので大きな失敗はしないでしょう。
しかし、今回は一国の国主を相手にした話であり、恐らく義元公は自ら納得できれば実際にやってみようとなされるのではないかと…。
上手く行かなかった場合が怖いですね…。
父の庇護が何処まで通用するか、正直不安です。
私は気分を落ち着かせるため一呼吸すると話し始めました。
「仰るようにそれぞれの土地はそれぞれの国柄を持ちますから、同じことを同じ様には出来ません。
しかし、国柄にあったやり方を行えば豊かな国程には成らなくとも、国を富ませることは可能だと思います」
義元公は頷かれます。
駿河と云うと、平成の世では静岡であり遠江であった所は勿論、駿河であったところも農業の盛んな土地であり、代表的なお茶の他、みかんやいちご、ももなどの果物の産地としても有名であり、他にもわさびや葉生姜れんこんなども古くから有名です。
現在の駿河と云うと、後の世ほど大々的ではありませんが薬としても活用されているお茶が作られていますが、有名なみかんの栽培が始まったのは江戸時代中期以降、ももに至っては明治まで下ります。
またワサビもこの頃は自生しているものが採集されているのみで、栽培は江戸時代になってから。
閑話休題、駿河の農業で一番問題になっていて平成の世ではある程度解決しているものは何か。
それなりの広さを持つ駿河平野の石高が低い問題というのは、やはり富士山の存在が一番の要因なのです。
火山灰土、つまり『黒ボク土』の問題です。
黒ボク土の土壌改良にはリンが必要なのですが、この時代リン酸カルシウムなどは手に入りません。硝石と同じく日本ではほとんど産出されないからです。
しかし、リンが豊富に含まれているものなら手に入れることが可能です。
それは平成の世でもガーデニングショップなどで売られている『鶏糞』です。
鶏糞は作物の育成に重要な窒素、リン酸、カリを豊富に含んでおり、黒ボク土で一番注意すべき土壌の酸性が強くなった際に起こる黒ボク土に含まれるアルミニウムの溶出を防ぐための土壌をアルカリに進める作用も有るのです。
とはいえ、この時代当たり前ですがpHを簡単に測定する方法なんてありませんから、それこそ試行錯誤が必要でしょう。
「駿河は富士の山の麓にある国。つまりは昔富士が噴火した時の火山灰で出来た土である黒ボク土が領内に広がっているでしょう。しかも、それは平地にも広がっていてそこでは畑作をしても稲作をしても作物の成長が芳しくない。
それが、駿河の石高が伸びない原因では無いですか?」
義元公はその話を聞いて驚きます。
「良く知っておるな…。まるで見てきたような話をする…。
なぜその話を知っておる」
「黒ボク土は駿河に限らず武蔵など東国にも広がっておりますので、古くより書物などに書かれております」
「なるほどな、古くから東国では知られた話故、書物に載っておっても不思議ではあるまい。
されば、如何致す。
如何すれば、黒ボク土の土地を豊かな畑に変えられるのだ」
「黒ボク土は土としては耕作に向いた土壌をしております。
しかるに、なぜ作物があまり育たないのか。
それは、黒ボク土に作物が育つための養分が足りないからです。
勿論、肥は施して居るでしょう。
しかしそれではまだまだ足りず、一般的に使われている刈敷や草木灰、下肥では足りないのです」
「…、なればどうするのだ」
「鶏の糞を肥に使います。
米籾と混ぜ合わせて寝かせることで堆肥とし、種蒔きの二ヶ月前に畑に鋤き込むことで土になじませ、土に養分を与えるのです。
そうすることで、作物が育ちにくい黒ボク土の土地で作物が育つようになります。
鶏は領民たちに飼育を奨励すれば良いでしょう。
鶏は朝を知らせるばかりではなく、その卵は滋養に良く食べれば強い体を作ります。
そして鶏糞は農作に大いに使えるため、一石二鳥となります」
「ふむ…。
その様な話聞いたこともないが…、しかし鶏であれば我が領内でも飼っておる故、その糞を手に入れることも、また鶏を増やすことも困難では無かろう。
試す価値はあるな…。
良き話を聞かせてもらった。
感謝致すぞ」
「鶏糞での肥作りは私の領地でもまだ始めておりませぬ新しい取り組み。
恐らく、米籾と糞の分量、あるいは肥料とした鶏肥の適正な分量など、試行錯誤が必要で、すぐには答えが出ないかも知れません」
「何事も初めての試みでうまくいく事など数える程もあるまい。
我が領内にも農作に明るいものがおる故、そのものに差配させ取り組ませてみよう」
「それが良いかと思います」
義元公は微笑み頷きます。
そして、真顔に戻ると私に問いかけます。
かつて幾度も聞かれた事を。
「ところでそなた。
予の事を随分とかってくれて居るようだが、予はここより遠方の駿府に居り、尾張を訪れたのは随分と久方ぶり。
予の事をどうやって知ったのだ」
父もそれを聞き興味深げな視線を向けます。
「私の家臣に東国出身の者がおります。
その者が駿府を訪れたことがあり、どれ程活気のある街か話してくれたのです。
そして、今川の領内はよく整備されており、領民たちの暮らし向きも悪くはなさそうだったと。そう聞いたのです。
それで、駿河の国の事に興味を持ち、商人などからも義元公の政の話を色々聞き感服したのです」
義元公はうんうんと頷きながら話を聞き、満更ではないようです。
「感服したと言ったが、どんな事に感服した」
「はい、自らの領国の事をよく考え、二つの湊を整え商いを盛んにし、また商人を手厚く保護することで大いに銭の力を活用したことです。
他にも寄親寄子の整備など、国を富ませ兵を強くするという事を実に上手くやられております」
「ほう、良く知っておるな。
商いを厚くし銭の力で国を富ませる、我が駿河は耕作地が限られた故そうするしか国を強くする方法が無かったのだ。
そう言えば、そなたの父もまた同じやり方をしておるな」
「はい、我が弾正忠家もまた銭の力で身を立てた家でございます」
「うむ。
そして、それらの国を治める武衛殿もまた銭の力をよく理解されておる様に見える」
武衛様は言葉は発しませんでしたが扇子で口を隠され微笑まれます。
それを見て義元公が笑われます。
「ふふ、食えぬ御仁よ。
弾正忠殿、良き席を設けてくれた。感謝致すぞ」
「はっ。
我が娘の話、お役に立てれば何よりにござる」
「うむ。
既に始まっておるが、これからは互いの商いをより厚くし共に栄えようぞ」
父は頷くと応えます。
「海路を使えば駿河ももはや遠国ではありませぬ故。
これからは両国の行き来が活発になれば良いと願っておりまする。
そうなれば、お互い足りぬものも補えましょう」
「うむ。良き関係を願う」
切りの良いところで、武衛様が立ち上がります。
「では、そろそろお開きと致すか。
吉姫、ご苦労であったな。
我らはこれよりここで宴を開く故、構いなく。
領民らのところへ行ってやるが良い」
父も頷きます。
「吉よ、また今日の話を聞かせてくれ。
では屋敷でな」
「吉姫、また機会があれば会おう」
三人に見送られて、私は待っていた供のもの達の元へ戻ります。
そして、村へ戻ると村人たちと宴を楽しみました。
「乙名さん、田植えや種蒔きが終わったら、また新しい事を始めましょう」
それを聞き、乙名さんの目が期待に光ります。
「おお、新しきことですか。
それは楽しみです。
我が村は姫様のお蔭で幸せにございます。
協力は惜しみませぬ故何なりと仰ってください」
「はい。またその時が来たら相談しましょう」
この村でも、そろそろ鶏を飼いましょう。
この時代では経験則の積み重ねでの土作りは行われていましたが、科学的に土壌改良をしだしたのは昭和の時代になってからです。
ちょっと違ったアプローチから少し時代を先取りしてみました。