第百十二話 戦国デモンストレーション 田植え編
いよいよ義元公を前に田植えです。
『田植え』
天文十七年五月、初夏の晴れ渡った空の下、いよいよ田植えが始まります。
予定とは違い、父信秀の他、武衛様に義元公が見学する前では有りますが…。
今日の田植えはこの時代には珍しい格子状の田んぼで、後は稲を植えるだけという状態になっています。
幾つもの桶に用意された稲の束が田んぼの脇に並べられています。
乙名さんの号令で、まず田定規が用意されます。
予め練習をしたのか、作業に携わる男達はうまい具合に真っ直ぐ転がしていきます。一番端まで田定規を転がすと、そのまま横にスライドしまた転がしながら戻ってきます。
そして、都合四回ほど往復すると作業終了です。
これで、稲を植える時のガイドになる格子の跡が残りました。
父の方に視線を向けると、丁度義元公に説明しているところで、仕切りと頷いて興味深そうに見ているところが見えました。
次に田植え機が運び出され、佐吉さんの最終点検の後田んぼに降ろされます。
こちらの方も既に予行演習を行っているせいか手際よく並べられます。
今回使用される田植え機は合計三台、父に数を作るように頼まれていた田植え機というのは今日の日の為のものだったようです。
つまり、父は田植え機の報告を聞いた時点で今日のデモンストレーションを考えていたと、そういう事のようです。
緊張した面持ちで指揮を執る乙名さんに話しかけます。
「随分と手際よく見えますが、今日までに何度か実験を繰り返しているのですか?」
乙名さんは頷きます。
「備後様より遺漏なきようのお言葉を頂戴しております。
手際よく流れるように田植えが進められるよう、村の衆と知恵を出し合いました」
「なんと、そんな事があったのですね。
という事は、父は一度見に来ているのですか?」
「はい、一度と言わず何度か足をお運び頂いております」
私の知らぬところでその様なことが…。
ここでの出来事をほぼ全て父が把握しているのは知っていましたが…。
なんとも複雑な気分になりますが、ここを管理してるのが父の代官ということを考えてもそれは致し方ないのかもしれません。もともとここは父の領地ですから。
「そうでしたか。
今日のこの視察は父にとっても大事なものだと思います。
良き働きにはきっと何か報いが有るでしょう」
乙名さんは首を横に振ります。
「この田植え機を余所に先駆けて我が村で使える以上の報いがありましょうか。
むしろ我らはご恩返しをしているのです」
確かに言われてみればそうなのですが…。
随分苦労をかけているような気もするのです。
「今日の田植えを終えれば、明日からは田植え本番でしょう。
景気づけに酒肴を持ってきましたから、後で宴でも開きましょう」
乙名さんはパッと表情を明るくします。
「おお、姫様いつも有り難く存じます。
村人たちも喜ぶでしょう」
私は笑顔で返すとまた陣幕の方に視線を向けます。
私が乙名さんと話をしている間にも、村の衆は手際よく準備を進めます。
女衆が桶から稲の苗束を取り出すと田植え機を動かす男衆に渡し、すぐさまバインダーに留めて行くという分業は見事です。
義元公は父の説明を聞きながら、知らずか立ち上がって食い入るように作業を見ています。
そして、武衛様は扇子で優雅に仰ぎながらそんな義元公を横目に見ながら口元に笑みを浮かべています。
どうやらこのデモンストレーションに武衛様も一枚噛んでいるようですね。
作業の村人たちが苗の取り付けを終えるとさっと手を上げで知らせます。
三台の田植え機の準備が終わると、乙名さんの号令を待ちます。
乙名さんは父に向かって「整いました」と声をかけます。
父は頷くと「始めてくれ」と指示を出しました。
すると乙名さんが作業の村人に声をかけ、操作する男たちが田定規が付けたガイドに沿って横並びに田植え機を押していきます。
すると、カチャカチャと機械的な音をリズミカルに立てながら、爪が上下するカラクリを動かし、バインダーから取られた苗が植え込まれていきます。
男たちの後ろから桶を持った女衆がついていき、バインダーから苗がなくなると止まって、またバインダーに苗を取り付ける、と言う流れ作業が行われます。
取り付けが終わると、また一斉に田植え機が進んでいきます。
まるで、それは例年の風景のように手慣れた自然な調子で段取り良く進んでいくのです。
その様を思わず私は夢中になって見ていました。
いつの時代も人は工夫する、こんな初歩的な田植え機であっても効率の良い使い方を編み出し見事に使ってみせる。
むしろ、便利なものが周りに溢れている平成の御代の人間より、何もないが故に最大限に創意工夫するのではないかと。
そう考えれば、私は思わず恥じ入らずには居られなくなったのです。
侮るべからず。正にその一言です。
そしてふと我に返ると陣幕の方に目をやります、義元公が口元に手をやり当惑と感動がないまぜになったような表情を浮かべ、それを横目に見る武衛様と父が満足げな笑みを浮かべる。
どうやらデモンストレーションは思惑通りに行ったようですね。
これで今川は、少なくとも義元公の代で盟を違えるような事はないでしょう。
田植え機が何度か往復すると、トラブルもなく田植えはすべて終了しました。
「乙名さん、今回の田植え見事でした。
これほど段取り良く終えられるとは思いませんでした」
「勿体無いお言葉、我らもこの真四角の田んぼの良さというのをこの度の田植えで実感致しました。
この秋にも田んぼの区画整理を姫様にお願いすることになると思います」
「わかりました。
きっと、皆に不満が起きぬようにしましょう」
「はい。
田植えが終われば来月には綿花の種まきを始める予定です」
「ええ、またその頃にこちらに来ましょう。
今日は、誠に大儀でした。
供の者に話をしていますから、宴の準備を始めてください」
「はい。それでは」
乙名さんと村人たちが道具を担いで村の方に戻っていきます。
そして、陣幕の父の方を向くと手招きしています。
そうですよね…。
続く。
全てに無駄のない信秀です。
次はいよいよ義元公との対面です。