第百六話 模型作り
吉姫の趣味である模型作りの話です。
『模型作り』
天文十七年四月下旬、グレゴリオ暦だと五月の半ばですが寒の戻りがあるとまだまだ肌寒いです。
先月、父と誼を通じていた名君と名高い朝倉孝景殿が亡くなられたと知らせがあり、嫡男の延景殿が十六歳で跡を継いだそうです。
父は延景殿に今後も誼を通じたいとの書状を添え贈り物の使者を立てました。
多分、史実でも同様に使者を立てたのかもしれませんね。
前世での趣味の一つに模型というかミニチュア作りがありました。
きっかけは父の影響で子供の時に始めたプラモデル作りだったのですが、模型屋や上手い人が作ったジオラマの精巧さに魅せられて、自分でもジオラマを作ったりしていました。
その後ミニチュアの世界に出会い、展示会に足を運んだりしていましたが、自分でも作るようになるのにはそう時間はかからなかったと思います。
基本的に一人で全部作りますから、スキマ時間を見つけてはちまっちまっと作っていくのです。
その前世からの継続となりますが、意外とこの世界でもミニチュア作りは可能です。
最初の頃と違って、今は道具も色々と充実していますし、接着剤も前世のような高性能ボンドはありませんが、無いならないで工夫すればやりようがあります。
今生においては前世と違って何しろ屋敷が広いので、製作中の模型を置いておく部屋を確保する。なんて贅沢な事が出来てしまうのです。
ですので、乾燥に時間が掛かる分、少し作っては作業机ごと別室に保管しまた机ごと別の模型を持ってきて続きを作ってみたいな事が出来るので、幾つもの模型を並行して作っています。
父も模型を見るのが楽しみのようで、色々と協力してくれるのも大きいですね。
娯楽の少ないこの時代ですが、ミニチュア作りは楽しいのです。
今年に入って製作しているのは前世でも何度か作った私が好きな帆船です。
その船の名は『カティサーク』、帆船の時代の最後を飾る快速船でその美しい船体は今も見るものを魅了します。と言っても、この時代には影も形もないのですが。
この帆船を初めて作ったのはプラモデルでした。完成したときの感動は私をドハマリさせるのには十分すぎるものでしたね。
その後、ウッドモデルをほぼ一年掛かりで作り上げましたが、その時の経験はミニチュアを自作する上でのテクニックを身につけるのにピッタリの教材でした。
しかも、その完成品たるやまさに実物さながらで、作ったときは長い時間見とれてニマニマしていたのはいい思い出です。
カティサークはその後も今度は完全自作で作りました。最後に作ったカティサークは内部にも拘りたくて、模型を開閉式にして中に船員のミニチュアとかも配置した精巧なものです。これは結局、途中仕事で時間が取れず暫く放置してたこともあり、完成には数年を要しましたが、どこに出しても恥ずかしくない物ができたと思います。
実際、SNSで公開したときはかなりの評価でした。
さて、今生も半分実益も兼ねて再開した模型作りでしたが、以前作ったダウは最初は趣味で作ったものでした。結局、それをもとに実物が作られたのですが…。
今作っているカティサークも完全に趣味で作っているのですが、この時代照明は貧弱で油は高く、夜間に精密作業は無理なので模型って昼間しか作れないのです。
しかし、平成の御代と違って朝が早く全体的に時間がゆっくり進んでいる為、午前中は色々と忙しい事も多いのですが、午後には纏まった時間が取れる日も多く、暇な日はのんびり模型作りをやっている日が多いです。
模型作りをやっている時は千代女さんが好奇心旺盛に張り付いていて、言えば手伝ってもらえるのが良いですね。
今回作ってるカティサーク、前世に比べて時間が取れるのも有るのですが、六月頃には完成しそうです。
父も気になるのか屋敷に帰って来ると必ず様子を見に来るのですが、完成を楽しみにしてるみたいですね。
そう言えば来月義元公が船で来るみたいです。
今回は小話的な吉姫の趣味の話です。
ちなみに、ミニチュア細工って紀元前のローマの頃には普通にあったようですね。